
80年代の幕開けとともに、世の中は「女の時代」ともてはやされ始めた。
そんな中、1982年に開業したのが交際クラブ『愛人バンク 夕暮れ族』だ。
経営者は現役女子大生と名乗り、「愛人バンク」は瞬く間に流行語となった。
当時、筆者の知り合いがここに登録していた。
地方から出てきた大学生で、実家の商売がうまくいかなくなり仕送りがなくなったのだ。
彼女は愛人バンクに登録、「おじさま」に生活のめんどうを見てもらい、副産物としてセックスの快楽を手にして無事に卒業した。
あれから37年、今、愛人バンクはパパ活と名前を変えて流行している。
「30歳を前に東京に出てきました。当初は家と職場の往復だけ。東京は広すぎてまったくわからないし、お店も知らないし友だちもいなくて。休みのときは家に籠もって勉強していましたね」
おっとりとそう話すミキさん(仮名・34歳)は、すらりと背が高く、目鼻立ちのくっきりした女性だった。日本海に面した県の街に生まれ、故郷で就職したが、もっと自分を成長させたい、という思いが強くなり上京してきた。
「パパ活」というものがあることは知っていた。しばらくたって生活が落ち着いたころ、あちこちの交際クラブのホームページを検索するようになった。生活に潤いをもたせたいこと、奨学金を早く返したいことが目的だった。
「とはいえ、いろいろ不安だったのでどういうクラブなのか、どういうシステムなのかを徹底的に調べました」
そして行き着いたのがユニバースだった。面接に行くと、オフィスは「怪しいくらいきらびやか(笑)」で、ちょっと構えてしまったが、スタッフの対応は非常に親切だったという。安心感を覚えて登録したものの、写真での顔出しは躊躇した。
「顔が見えないので最初、なかなかオファーがなくて。誰にも選んでもらえないと思うと少しさみしかったですね」
最初にオファーがあったのはアラフィフの会社経営者だった。クラブからも話しやすくていい人だと口添えがあった。
「初めてだと伝えていたので、お会いしたときも『不安だよね』と言ってくれて。お手当のこととか、いろいろ親切に説明してくれました。その方は口説きつつも、『無理はしなくていいからね』と言ったので、最初は楽しく食事だけして帰らせてもらいました」
年上の男性に対しては抵抗感はなかった。男兄弟にはさまれたミキさんは、父親にかわいがられ、「おとうさんの膝の上は私のもの」と思いながら育った。20代前半のころはバツイチで一回り年上の男性とつきあっていたこともある。
「年上の男性には、むしろ惹かれます。このクラブに入って、さらにその思いが強くなりました。みなさん包容力があるし、乱暴だったり無理なことを強いる方はいませんから」
最初のうちは、どんな服装でデートしたらいいのか、この人はどういう女性が好きなのかを探るだけで精一杯だったという。だが、経済的にも精神的にも余裕のある男性たちと接してみて、ミキさん自身の世界も広がっていった。
ようやく慣れてきたころ、ミキさんに好きな人ができた。最初はクラブにいることを隠していたが、そのうちウソをついていることに耐えられなくなり、スタッフに相談、休むことにした。
「本当に好きな人ができると、やはり続けられなくなりますね。でもその後、彼が転勤することになったんです。結婚してついてきてほしいと言われたけど、私はやはり成長をしたくて上京してきたので、ここでまだ仕事を辞めるわけにもいかない。
それにいずれは家族の面倒も見たいので地元へとも考えています。別れを選ぶしかありませんでした」
自分で決めた別れだが、ひどく落ち込んだ。数ヶ月は仕事と勉強に明け暮れていたが、あるとき、クラブのことを思い出し、連絡をとってみた。
「スタッフの方にけっこう愚痴りました(笑)。その後、活動を再開したんです」
その後、以前にも会った男性と再会、思わず自分のことを話すと、彼は親身になって話を聞き、支えてくれた。
「どうしてこの人にはこんなプライベートなことまで話してしまうんだろう……。そう考えたとき、話しやすくて何でも受け止めてくれるからだと気づきました。そこで私、わかったんです。実は休会前、私は長続きする方がなかなかいなかった。何度か会うと連絡が途絶えてしまう。私に魅力がないのかなと悩んだこともありました。でも自分自身が話を聞いてもらううち、相手の男性もそういうものを求めているんだろうな、と」
ある程度、割り切った関係でなければならないが、そこに人と人としての感情的な交流がなければ続かない。そこが風俗とパパ活との違いなのかもしれない。
「それからはまずお相手の気持ちを考えるようになりました。田舎だと知り合いが多いし、ごく普通に愛情をもって人と接していたんです。だけど東京は人が多いのに知り合いはいないし、私自身、孤独感が強くて、そのために逆に人に対して壁を作っていたのかもしれない……。そう考えました。それ以来、相手の方が何を求めているのかを考え、より愛情をもって接するようになったんです」
現在、「パパ」は40代から60代まで6人。もちろん、相手には「あなただけ」と言っている。ミキさん自身、仕事や勉強で多忙なため、そう頻繁に彼らに会えるわけではないが、それでも時間を作り出している。
「特に優先順位があるわけではないんですが、遠方から来てくださる方たちもいるので、その方たちにはまず私のスケジュールを送ります。どの方も人として尊敬できる方ばかりだし、お仕事の話など私の知らない世界を教えてくださる方たちばかり」
相手のことやスケジュールなどは、すべて携帯アプリで管理している。当日、自分が着ていった洋服、一緒に行った店などを細かくメモって、次に会うときに話の整合性がとれるようにしているのだ。それが彼女の「誠意」でもある。できるだけ長続きさせたい、せっかく出会ったのだから縁を紡いでいきたいと考えているそうだ。
とはいえ、押しの強すぎる人、独占したがる人とは次第に縁が切れていくこともある。
「もっと会いたい、旅行したい、泊まりがけでどこかに行きたい。そう言われることが続くと、その方とはだんだん疎遠になりますね。でもすべての方が、会って2,3回目に『クラブをやめて僕のものになってほしい』と言うんです(笑)。それは男性の本能なのかしらと思うことがあります」
もちろん、セックスの関係もともなうのだが、今まで生理的に受けつけないタイプの男性とは出会ったことがないという。
「コスプレなどの趣味がある方もいらっしゃいますけど、無理強いはされたことがありません。食事をしてからお部屋(シティホテル)へというケースがほとんどですが、私はあまり性欲が強いほうではないと思います。今は楽しんではいますが、イクとかイカないとかにはあまり興味がないんです。相手の方が満足している姿で幸せを感じますし、心地よければいいかな、と。恋愛だったらもっとわがままになるかもしれませんが、やはりこういう関係は恋愛とは違う。だから自然と自分をセーブする面はあるかなとも思います」
ゆっくりと言葉を選びながら話したが、「恥ずかしい、暑い」と手で上気した顔を仰ぐ。彼女の素朴な一面が垣間見える。
それにしても彼女のホスピタリティに驚かされる。「私のような若い女性とセックスできるのだから、対価としてお金を払う当然」と思っても不思議はないような気がするのだが、彼女にそんな気持ちは微塵もない。あくまでも相手を立て、相手の喜びを自分の喜びとしているのだ。
「自分では絶対に行けないお店で食事をしたり、プレゼントをいただいたりするので申し訳ないと思う半面、やはり相手の方にも喜んでいただきたいと思うんです」
今までにいちばん高価だったプレゼントは腕時計。80万円程度だという。会員制のレストランへ行ったり、おいしいものを食べるだけのために一泊の京都旅行に招待されたこともある。同世代の男性とつきあっていたら決してできない経験だ。
彼女が毎月受け取る報酬は、その月にもよるが数十万円から最大80万円ほど。この春、奨学金を返し終わり、ほとんどは貯金にあてているという。
「これだけお手当をいただくと、正直言って、本業をやめてこちらだけでとぶれることもあります。ただ、こんなことは長くは続かない。私が上京するにあたっては、地元の方たちが応援してくれましたし、それを裏切るわけにはいきません。お金を稼ぐのはとても大変なことだとわかっている年齢になっていたから、本業を失わずにすんでいるのかもしれませんね。もっと若かったら、浮かれてこっちの世界だけで生きていこうと思っても不思議はない」
あと数年、東京で仕事と勉強を続けたら、地元に戻る予定だ。とはいえ、「普通の」恋愛や結婚ができるかどうかが不安だとミキさんは笑った。
「私がつきあっている方たちは、ほとんど既婚なんです。それを考えると、結婚願望がなくなります(笑)。仕事は続けたいし、子どもはほしいと思うんですが……」
この経験が、彼女の今後の人生にとってどういう位置づけになるのだろう。あるいは彼女自身が、どういう位置づけにしていくのか、そこにとても関心を引かれた。
(つづく)
取材協力:ユニバース倶楽部
編集・構成 MOC(モック)編集部
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