人生100年時代を楽しむ、大人の生き方 Magazine

中島義道氏インタビュー第1回 “人生に”入門”がないように、哲学に入門なし”。

 

 

古代から人々の知的好奇心を刺激してやまない学問・哲学──。真理の探究を掲げ、人生や世界というあやふやな物事を、理性でもって追求する。そんな哲学の分野で“戦う哲学者”の異名を持つ中島義道先生に、自身が開いた哲学塾のお話しを伺いながら「そもそも哲学は私たちに何をもたらすのか」ということを聞いてきました

 

 

──中島先生は基礎から哲学を学べる「哲学塾カント」を開いていらっしゃいますが、どんな方々が塾生になっていますか?

 

ここはね、すごいんですよ。ちょうどこの(2018年)1月で10周年。で、1500人くらいが受講しに来た。そして、どんどんどんどんいなくなるんですね。どんどん来て、いなくなる。

今、塾生は100人くらいますけども、若い人(20代)はそんなに多くないんですよ。(60代以上の)老人も多くない。30代40代が多いですよね。男女比は8対2……、あるいは7対3くらいかな。

それでね、学歴がすごく高い。半分近くが修士号保持者で、お医者さんや弁護士、公務員。それから東大京大はざらにいますよ。

 

──哲学というと難解といいますか、とっつきにくい印象があります。塾生の層は、やはり哲学を齧ったことがある人が多いのでしょうか?(イマヌエル・カント:1724~1804年。ドイツの哲学者。『純粋理性批判』『実践理性批判』『判断力批判』は3大批判書と呼ばれ、現代でもなお世界的な哲学書として読まれている)

 

驚かれるかもしれないけど、私の本の愛読者って半分くらいなんですよ。残りの半分は「なんか読んだことあるかな?」くらい。哲学に興味があるとか、「あ、こんなところにあるんだ」っていう人もいるんですよ。塾に入ってからはじめて私の本を読む人もいます。

来てもらいたくないなと思うのは、まず私の本の愛読者。あらかじめ私に対するイメージを持っちゃって、期待が大きすぎるからキツイ。笑い話なんだけど、かつてこんなことがあった。帰りがけに「先生、普通の人なんですね」と、言われました。私のこと狂人だと思ってたんですかね。

 

 

 

 

──これまでの著書や発言を拝見していると、狂人のイメージを持つ人の気持ちもわかる……のですが、違うんですね!

 

私の授業は、実は絶えず冗談言ったりしてかなり明るい授業なんですよ。哲学塾のホームページ見ると、難しそうじゃないですか。でね、私は電通大に勤めたときに「無用塾」というのを開いていたんですよ。1997年から4、5年かな。その時、病的な人がいっぱい来たんです。いわゆる人生に悩んでる人が。

本に書いたことがあるけど、自殺者が出たりした。とても嫌だった。だから、「哲学塾カント」はその反省もあるんですよね。でも、今でも、「中島さんのTwitterに殺人予告をしたのは私です」というメッセージが届くことがある。たぶん女子高生からかな。1回執着してしまうと、もう振り切ろうとしても離れないんですね。あるいは、自殺予告とかもありました。「今晩、自殺する」とか言って、ものすごい形で痛めつけるんです。あるいは、断っても断っても分厚い手紙が来る。100通くらいありました。

哲学というのは病的なイメージが強いから、油断していると病的な人がワーって来ちゃうんです。それをすごく私は恐れています。

 

──気軽な気持ちで塾を訪れる人がいる一方で、しがみつく人もいる……。哲学には、人をのめりこませる何かがあるんでしょうか。

 

自殺寸前まで悩んでいたり、引きこもりになったり、そういう人は若い世代に限らない。今は引きこもりだって50代にも多いというじゃないですか。

展望がまったく見えない時に、私の本に出合って、「哲学塾に来なさい」と言われると、「これっきゃない」と思い込んじゃう。これは、キツイですよね。

もの凄くしがみついてくるわけです。どうやってもダメで、振り払ってもダメ。彼らは哲学には興味がないから、すぐいなくなるんですけどね。

そういう人のことを、私もずいぶん分析しました。

わりと知力の高い人が、ずーっと世間から隔絶して生きてきているわけでしょ? あるいは、たまたま大企業に就職しても、仕事に生きがいを感じない。そういう人が哲学に転向して、人生を“全部取り戻せる”と思ってしまう。

でも、そううまくいかないじゃないですか、悪いけどね。哲学ってそんなにラクなものではないですから。そうすると、今度は「騙しやがった」とか「そんな害のある本を出版するな」というように、私に対する憎しみに変わっていく。

そんなに多くありませんが、ちょっと間違えると、“殺してやる”か“自殺”かのどちらかになるんですよね。

 

 

 

 

──人生を歩むうえで、誰しも大なり小なり哲学を持っているように思えますが、それを学ぼうとするとしんどい?

 

そういう人は、人生と哲学とが、ごちゃごちゃになっちゃっている。そこで、私は「哲学塾」では「無用塾」の反省もあって、人生相談は受け付けず勉強すること強調している。カントやヘーゲルやニーチェといった難解な哲学書を読む一方で、ドイツ語、フランス語、ラテン語、ギリシャ語もやっています。そういう学問に対する興味と、自分の人生をどうしていくかっていうこととのバランスがうまく合えばいいんですけど。

主に、人生の悩みを解決しようとしてやってくる人に対しては、私は人生の教師ではないので、答えは用意できないですよ。私には、今でも自責の念を感じていることがありましてね。「無用塾」のときに、人生相談に乗ったうちで二人が自殺したんです。潜在的にはもっといるかもしれない。どこまでも悩みを聞いてやった結果でしてね。だから、今ではそうすることに対する恐怖と自己嫌悪があります。

「この場所によって救われました」とか「哲学をやってよかった」と言われることもありますよ。こういうことをしていると、どうしたって両方あるわけです。

だから、私を脅迫してきたり、納得できない恨みつらみを抱かれることは、当然だと思っています。「哲学塾」は、ある意味において、それを引き受けるためにやっているんです。

人生と哲学とが、ごちゃごちゃになって哲学の道に来た人が、哲学に失望して、途中でいなくなってくれれば、それでいいんです。哲学の方に行ってもよいとも思うけども。

あるいは、哲学でなくてもいい。きわめてプライドが高いから、例えば東大の大学院試験や司法試験に受かれば、それで救われるんですよ。

つまりみんなから尊敬される職業とか、地位を得ればいい。哲学塾には文学の新人賞を取った人もいますよ。取っても、そのあとがキツイですけどね。

だから所謂、“承認”が欲しいのでしょう、自分が知的に優れているという承認を望んでいる人が多いわけ。でも、そうした虚栄心もしくはプライドと、“純粋な知的興味”は違うわけですよね。

 

──純粋な知的興味で満ち足りない人というと?

 

会社にちゃんと勤めていて、バランスをとっている人は長続きしますね。

一概には言えないけど、いまのところ希望がかなわなくて、かつ知的プライドがとても高い人は「哲学塾」に長くいるのは難しい。

小学校からずーっと優等生で来たのに何かで挫折しちゃうと、その後生きるのがキツイわけですよね。私もそうでしたけど。哲学を続ける自信もなく、といって、今さらどこかの会社でも働きたくもないし。中ブラリンの状態にいる。そういう人たちが多い。

『非社交的社会性 大人になるってこういうこと(講談社現代新書、2013年刊行)』にも、そんな人たちについて書きました。私はかなりいい加減な人間だから、本を書けるんですが、もの凄く真面目な人が私の本を読んで、そこに書いてあることを文字通り信じちゃうと、生きていけなくなるわけですよね。

『うるさい日本の私(1997年刊行、後に日経ビジネス文庫、角川文庫)』を読んで影響を受けて、周りに私と同じように騒音の苦情を言ったりする。そして会社で働けなくなる。

自分の信念と感受性に忠実に、どこかで生活できればいいけども、1人でできる仕事以外はなかなか難しい。

私と「同化」しすぎる人もたまにいて、私の人生を自分の人生の手本にして、生きていこうとする。といっても、大学に12年もいて、さらにウィーンに4年いて、ドクターを取り、東大の助手になり、本をいっぱい書いてから大学を辞めて「哲学塾」を開くって、割と大変ですから、絶望的になる。そして、その通りできないから、といって生きる望みを失うのです。

 

 

 

 

──先生の著書『七〇歳の絶望』では、塾生と言い争いになって「もう出ていけ!」というシーンも描かれていますね。

 

その人は、とてもまじめにドイツ語を学び、完全に予習して授業に出る。しかし、あるときから、私との対抗心をむき出しにして、ちょっとした私の間違いを責めたてる。あるいは、ちょっとした解釈の違いにしつこくこだわり続ける。

そして、いつしか、自分が「先生」のような口ぶりになって、私がある説明をしたのちに、「いまの説明をもっとわかりやすく言えば・・・・」とか言い出す始末。そのうちに、他の生徒の質問に対して、私が答えるより先に「それはこういうことでしょう」と自分が答えるようになる。

こくたまにいますが、熱心のあまりに、私を「やっつける」目的のほうが大きくなる。彼も「道場破りに来ている」と言っていました。

あるいは、他の人ですが、絶対に私のカント解釈を承認せずに、えんえんと何時間も自分の解釈にこだわる。それが思い込みであることが多いのですが、「そう読めるかもしれないけど、長く読んできた経験からすると、その解釈は適当ではない」と言っても聞かない。他の論文を見せても、納得しない・・・・。こうして、その人は、私が強引に自分の説を強要すると思い込んで、やめていかざるを得ない。

あるいは、語学などで、私が初歩的な失敗を1度しただけで軽蔑的なまなざしを向け、次回からはその科目を取るのをやめるという人もいて、温厚にばかりやっていけません。

自分がものすごくできないのに、私がちょっとでも軽蔑的な言葉を吐くと、絶対に許さない人もいる。ある女性は、あまりにもできないので、私が彼女だけに向かって「いつも、私の言うところを見ていない人がいる。2ページの次は3ぺージです。わかりますか?」と言うと、「バカにするな!もう来ない!」と怒鳴って出ていき、その晩、彼女から残りの授業料を返せというメールが来ました。返しましたけどね。

こういうのは、まだよくて、ずっと前のことですが、私がある青年に「初めてですか?」と聞いたところ「2回目です」と静かに答えたのですが、その晩の2ちゃんねるに、「2度行ったのに忘れている、まったくバカにしやがって、謝れ!」という書き込みが実に100回以上連なっていました。

そして、最悪の例は、あるときこれも若い男ですが、私の質問に対する答が間違っていたので、そう言ったところ、下を向いて身体がこわばってしまった。心配だったので、あとで呑みに誘うと「今日、先生に叱られたら自殺しようと思っていた」と告白。もう来るな、と思いましたね。

 

 

 

 

──「知的に認められたい」という気持ちをくすぐってしまう魔力みたいなものが、哲学にはあるのでしょうか?

 

哲学にはね、“名前の持っている響き”があるんです、吹き溜まりって言いますかね。最後の最後に“そこ”に行くという感じ。

哲学を学びたいと言うと、親が嫌がる理由もそこ。宗教とか哲学っていうのは、なんか最終的に、人生というものに全部絶望した果てに行く感じがあるじゃないですか。芸術もそうかもしれない。その発想だと、もうそこにいったら戻れない。もちろん、プラスの価値もあるとは思うけれども。

私もそれに賭けてきて、たまたま今こうやって生きていますけど、やっぱりそういうギリギリのところがある。

もちろん、「哲学塾」でとてもうまくいっている人もいる。ごく普通に大学を出て大手企業に勤めたていて、ここにきてドイツ語もラテン語、カントもヘーゲルも学んでいる。大変なことですよね、それでいてちゃんと勤めてもいる。で、別に学者になるつもりでもない。ギリシャ語でプラトンやアリストテレスが読みたいとか。あるいはフランス語でパスカルやサルトルが読みたいと考えている。これは健全ですよね。こういう人は続くんです。やはり、勉強そのものが好きな人が続きます。

「会社に行ったけどあんまり熱心になれなくて」という人が、土日に哲学をやるというパタンは、会社とのバランスという意味でも長続きしますよね。

あるいは図書館の司書って人気のある職業ですよね。ある人は普通の文学部を卒業して大学図書館の司書になり、十何年勤めてから哲学塾でよく勉強して、昨年東北大学と上智大学の大学院哲学科に受かりました。他の人は大企業に20年勤めながら時々「哲学塾」も利用して、やはり昨年上智大学の大学院に行きました。これまで、いくらでもそういう例がある。

でも、どこにも勤めずに、家に閉じこもったまま、“敗者復活戦ですべてを得よう”というのは、ギャンブル的なものであり、なかなかうまくいかないでしょうね。

 

──哲学が生きるうえでの命綱になってしまっているようなかたちでしょうか。

 

哲学ですべてを、という風に考えない方がいいわけです。いつでも(哲学を)捨てる覚悟でいるのがいい。「もともと勉強が好きだから」とか「難解な問題を考えるのが好きだから」というくらいの発想で取りかかる人の方が長続きしますよね。当たり前だと思うけど。

 

 

哲学を捨てる覚悟とは、なんと潔いのだろう。哲学は面白い。知を愛し、思考を磨く。その一方で“欲求”や“執着”という重しを自分の人生にくくりつけてしまう危険性もあるようです。次回インタビューでは、誰しもの頭によぎる死、忍び寄る老いをどのように先生が捉えているかに迫ります。

 

写真:田形千紘   文:鈴木舞

 

 

 

 

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編集・構成 MOC(モック)編集部
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PROFILE

中島 義道

1946年生まれ。1977年 - 東京大学大学院人文科学研究科哲学専攻修士課程修了1983年 - ウィーン大学哲学博士  電気通信大学人間コミュニケーション学科元教授。 著書に『哲学の教科書』『時間と自由』(講談社学術文庫)『哲学実技のすすめ』(角川ワンテーマ)『哲学の道場』(ちくま新書)『カントの時間論』『カントの自我論』(岩波現代文庫)『「死」を哲学する』(岩波双書哲学塾)『観念的生活』(文藝春秋)、その他多数。

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