ディスコを愛し、ディスコに愛される人物といえば、それはもうDJ OSSHY! 特に2018年は同氏によるディスコムーブメントが花開き、老いも若きも子どもたちも「ディスコって楽しい!」と気づかされた一年でした。12月27日にはグランドハイアット東京で「「We ♡ 80s Disco」イベントを開催。ディスコの夜をHOTに盛り上げ、参加者にとって忘れられないスペシャルなひとときを演出しました。日本において「平成型ディスコ」を切り拓いたともいえるDJ OSSHY氏ですが、2018年はご自身もたしかな手ごたえを感じたそう。ミラーボールデザインのネクタイピンがキラリと輝くその胸の奥では、どんな野望を燃やしているのでしょう。
──2018年はテレビでもたびたびDJ OSSHYさんの活動が取り上げられ、ディスコ全盛期とはまた一味違うかたちでディスコが注目され始めました。そしてなんと、高級ホテルをダンスホールにして80sディスコのビッグイベントを開催! ……とびっくりしたのですが、これまでも同イベントは開催されてきたのですね。
今回で五度目となるディスコイベントですが、その前は十年くらい続いた70sのイベント「クラブシック」があり、先輩DJから僕へと引き継がれ「80s」が始まりました。僕は70sと80sの音楽が大好きですし、それぞれ特徴があります。ずばりその違いはbpm、ピッチです。
70sの音楽は、60sからの流れもあり、素朴なバンド編成の生演奏がメインで粗削り。80sに入ると、シンセサイザーやエレクトリカルファンクといった機械的な音楽が増えてきます。バブル期にみられた王道のキラキラ感ですね。90sの音楽は特に機械的な要素が強いでしょう。そういう音色の流れを汲んだ今だからこそ、80sは面白い! 生っぽさと機械がミックスされたようなダンスミュージックが80s、「ゆれの音楽」です。
──ゆれ?
70s~80sの音楽は、打ち込みが主流だった90sほどきちっとしていない。人の手による演奏は、興奮していくとテンポがあがります。特に当時はドラムスがビートを引っ張りますから、ドラムスの人間のテンションがアガるとテンポもアガる(笑)。だからDJは大変です、素人では音を気持ちよくつなげられません。DJの腕前がしっかりしていないと、80sディスコミュージックは崩れてしまうんですよ。
──うわ、カッコイイ!DJ OSSHYさんの手で踊らされたい(笑)!
ディスコのダンスって、実はスタイルがあるんです。70sは曲によって振りが決まっていたり、ラインダンスみたいだったり。YMCAダンスやフォーチュンクッキーみたいに、みんなと一緒に踊るイメージです。一方でユーロビート全盛の70年代中頃くらいから、自由に体を動かすフリーダンスが増えてきました。ハジケたいならピッチの速い曲でタテノリで盛り上がるのもいいですね。DA PUMPの『USA』はbpm140くらいで速いですから、自然と動きがタテになる。逆にロービートだと、腰で踊る。こちらもオシャレでカッコイイですよね。
──へ~! ディスコホールに来るとなんだか自然と音楽に合わせて体が動いちゃいますが、テンポによってそういうところに変化が生まれるんですね
映画『サタデーナイトフィーバー』が公開されたのが1978年。映画のサウンドトラックに収められている曲、70sや80sに街で流れたあの歌が、今2018年になってより多くの人に共有されています。
当時20歳だった人が今や還暦。25歳で青春真っただ中だった人は65歳で高齢者。でも皆さん、元気ですよね。お子さんやお孫さんがいらっしゃる世代でありながら、現役感バリバリ。「サタデーナイトフィーバー」の音楽に合わせて踊っているんですよ。グルーヴ感というかね。バブル期のキラキラ感を振りまきながら。そんな姿を見たお子さんやお孫さんが「アレ? 楽しそう。カッコイイじゃん!」と見様見真似で踊り出す。同じ音楽をシェアして踊るんです、そういう手応えを全国で感じてきました。
──当時の20歳が影響を受けたのは外国の映画。今の若者は60歳前後の方たちに触発されて、ディスコで踊る。面白いサイクルが生まれてきましたね。
ABBAの『Dancing Queen』、Earth, Wind & Fireの『September』、Donna Summerの『Hot Stuff』とか懐かしのメロディーも、若い世代には新曲のように感じられるようです。僕はDJを「音楽の紹介者」だと思っているので、自分がイイ!と思った音楽を熱意を持ってリコメンドしていきたいし、少しでも多くの人に楽しんでもらいたい!
──70年代や80年代当時を振り返ると、日本中を席巻したディスコブームの熱はかなりのものでした。だからこそ熱が冷めたあとのディスコは、クラブの勢いによって隅に追いやられてしまった。それが90年代ですね。
80年代以降のディスコは暗黒の時代ともいえる状況でした。ですが90年代の終わりに、僕にはたしかな予感があったんです。きっと再びディスコがフォーカスされる、と。ファッションの流行が十年サイクルだといわれているように、ディスコにも流れがあるのだと考えていました。
そんななか僕は、2001年に「ダンスクラシック」を始めたり、認知症予防の「シルバーディスコ」や誰でもダンスを楽しめるようにと「ファミリーディスコ」の取組をスタートさせました。ディスコといえば若者が親からコソコソ隠れていく場所。『ちょっと悪いことしてる』感がある遊び場でしたから、それはもう白い目で見られまして……。仲間からは「ダサいことしやがって」と反感を買ったことも(笑)。
──ディスコは夜遊び、ですよね。またそれが特別な感じがしてちょっと誇らしくて……(照)。アブナイ夜遊びの象徴だったディスコが、DJ OSSHYさんによってお茶の間にまで浸透してきたのはどんな試みによるものなのでしょう。
養護施設を訪ねてお年寄りにディスコミュージックで踊ってもらったら、とても楽しんでもらえたんです。お年寄りの皆さんが音楽にふれるといえば童謡とか民謡がほとんどだったらしくて。そういうのも悪くないけど、ポピュラーミュージックだってありなんです。ディスコだって楽しんでもらえるんです。施設の看護師さんも最初は「え、ディスコ?」と訝しんでいたけど、今はもう喜んでくれています。僕もそれがとても嬉しい! あの皆さんの笑顔を信じ、それを後押しに続けてきてよかった。
ファミリーディスコを初めてやってみた時だって、参加者は少なかったです。けれどお年寄りと小さな子どもが一緒になって音楽に合わせて踊っている。みんなが汗だくになって笑顔になっている。それってすごくいいでしょう?
──超高齢化社会を迎える日本。ディスコは大きな可能性を秘めていますね。
もうひとつ、とても嬉しかった出来事がありました。7月22日が「ディスコの日」として制定されたんですよ。この日は映画『サタデーナイトフィーバー』が日本で公開された記念すべき日。2018年は公開から数えて40年の記念すべき年でした。今年は「ディスコフィーバー40キャンペーン」が音楽業界で打ち出され、僕も札幌から福岡まで全国をディスコ行脚してきたんです。
シルバーディスコやファミリーディスコなどの活動に反響が出てきてうれしいですが、2019年はさらに幅広く開催していきたい。そのためにはディスコ発信のための環境づくりをしないと、ですね。
僕には、お年寄りも若者も子どももディスコでひとつになる未来が見えるんです。そのためにディスコをみんなに届けていきますよ!
70年代80年代の若者文化の象徴だったディスコ。しかしディスコの魅力はそれだけではありません。DJ OSSHY氏はディスコムーブメントによって誰かの人生を、これからの未来を明るく盛り上げていこうと邁進中。「ディスコ行こうよ!」このひと声が、誰からでもあがる未来はきっと楽しくて仕方ないはず。あなたもDJ OSSHY氏と一緒に、昼でも夜でもダンス・フィーバーしてみませんか?
取材・文:鈴木舞
大人の男女を輝かせる!スーパー スカイツリー ディスコ2018に潜入!! 今回は、DJ OSSHY(オッシー)に密着。シリーズ【第3回】
編集・構成 MOC(モック)編集部
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