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服部文祥氏「生きることは食べること。人間はみんな ワイルドアニマル だ!」インタビュー【第1回】

 

 

都会の喧騒から離れ、山に登る。サバイバル登山家・服部文祥氏は、「自分の力」で山を登ることを突き詰める。最小限の装備のみを携えて自分が食べるものは自分の手で殺す、というストイックに思えるスタイルで辿った人生には、生き物の命の足跡がしかと残されている。
当日は服部さんのご自宅服部さんにお邪魔しての取材。黒の薪ストーブで部屋を暖めつつインタビュースタートです!

 

 

──先ほどは薪割りをする姿も撮影させていただきありがとうございました。ご自宅でも自給自足の要素が至るところに見られますが、服部さんが「サバイバル登山」を始めようと思ったのは何がきっかけでしょう。

 

「自分の力で山を登りたい」と思ったんです。

サバイバル登山とは何かというと、「電気製品を持っていかない、テントを持っていかない、食糧は米と調味料だけであとは現地調達する、そうして長く山を歩く」ということです。それって昔は普通だったんですよ。でも現代人にとっては違う。「現代の普通の感覚」で登っているとき、俺は自分の力で山を登っているとは思えなかった。

昔からそういう普通の登山に対する疑問を感じてはいたけれど、それが何なのかまではわかっていなかった。

俺、若い頃にフリークライミングをやっていたんですよ。自分の手足を使って岩を登っていくのがフリークライミング。フリークライミングの反対側の概念に人工登山があります。壁に器具を打ちこんで、縄ハシゴを伝って真っすぐ岩を登っていく。流行りましたし、それはそれで格好いいんですけど、人工登山をずーっとをやっていくと、登ることが作業になっていく。「これ、登っているのとはちょっと違うんじゃないか?」と考える人たちが出てきた。そんな彼らがフリークライミングを始めました。

俺も自分の力で登ることにこだわり始めて、フリークライミングをやってみたら面白かった。これこそ「登る」ということなんじゃないか、と。

けれど日本や海外の山に入ったとき、果たして俺はフリークライミングのように登れているのかと考えたとき、そうは思えなかった。自分の力で登ってはいない。登山道を使ったり、フィックスロープを使ったり(固定ロープ)、酸素を吸ったりしている。自分の力では登っていないという側面がどうしてもある。サバイバル登山だって全部自分の力というわけではないんですが、より自分の力にこだわって登ってみたい、登ったら面白いだろうな、と思うようになったんです。

そうこうしながらサバイバル登山という、食料や装備をできるだけ持たずに山を歩くスタイルを考えました。やってみたらどうだったか?とても面白かったんですよ。

 

 

 

 

──サバイバル登山中の食料はほぼ現地調達とは肉体的にも精神的にもシビアですね。

 

山の中に入っておかずをとるわけです。山菜やキノコを採り、山に生きている生き物を食べる。そこには喜びと後ろめたさがあるんです。んで、サバイバル登山をしている最中に、岩魚を殺したことが狩猟というものを強く意識したきっかけですね。そのとき、悲しみ……ではないんですけど、マイナスの感情とプラスの感情の両方が湧いてきた。

獲物を仕留めたときの心情はこう。『獲れて嬉しい、うまそうだ、これで明日も腹をすかせないで山を登っていける、でも自分がこんなことをしたから本来は生きていた生き物が死んだんだ』そんなプラスとマイナスの感情が両方があるんです。そして思った。「生きることは食べることだ」と。

それって当たり前のことなんですけど、わかっていなかった。実際にやってみて、ようやくわかった。それまでは食糧を自分で取ったことなんてほとんどなかったんです。食料はスーパーや商店街で買うのが当たり前。しかしサバイバル登山をやってみて「ものを食べるってこういうことだったんだ」とわかった。簡単に言うと、見つけて、殺して、それを自分で処理して食べる。そこに付随するリスクは自らの判断で自ら負います。

サバイバル登山をしてみて、本来の食べるということは殺すことなんだというのを実感しました。サバイバル登山はいろんなことを考えさせられます。

そうしてサバイバル登山を数年続けてから、町中で肉を食べたときに気づきました。岩魚を殺したときのようなプラス・マイナスごっちゃまぜの感情がない。「うまい」とかの喜びしかなかったんです。マイナスの感情がそこには含まれていなかった。

マイナスの感情がよぎるのはいつなのか。やはり殺す瞬間です。岩魚を獲ったとしましょう。棒で叩くなり、エラをぬくなり、しめ方はいろいろあります。棒で叩くときって気持ちよくはないんです。嬉しくもない。可哀そうだな、痛たいだろうなというマイナスの要素が多い。

街で肉を食べているときはマイナスの要素が全くない状態で、食料が目の前に並んでいる。それってどういうことなんだろう。俺はその分のお金を払っている。ということは、お金でマイナスの感情を誰かに肩代わりしてもらっているのだろうか。100グラム100円程の豚の細切れの中に、「殺しの値段」が含まれているのかな。

では値段って一体なんだろう。100グラム100円というのはどういうことなんだろう。一頭にしたらいくらなんだろう。考えてみてもよくわからない。

疑問は増えていくばかり。大型の哺乳類の肉をこれからも食べていくのなら、食べるために殺すということはどんな意味を持つか、大型の哺乳類を殺すときに俺の胸に湧くマイナスの感情はどのくらいの大きさなのか知りたいと思った。

それらを知らないまま肉を食べて生きていくのは、俺は嫌だった。

 

 

 

 

──身体感覚がお金に代替されることに抵抗があった?

 

それは一部ですね。疑問のうちのひとつ。メインは自分が何を感じるんだろう。肉を調達するにはどうしても生き物を殺すわけで、その時に自分が何を感じるのだろう。それを知りたかった。

だからどうすればいいのか考えたんです。野生化したヤギに困っている島に行ってみようか、もしくは屠殺場でバイトしてみようか、いろいろ考えていって狩猟に思い当たった。もともとマタギに興味があったんです。狩猟は俺にとって大きな選択肢の一つで、実際にやってみようかなと思っているときに、狩猟をしている知り合いができました。そこで本格的にやってみた。

結構大変でしたね。でもやってみたら面白くて、今やメインの活動がそっちに移りつつあります(笑)。登山から獲物へと。

 

──人工登山を続けていると作業になってしまうことに抵抗があったように、食べることを作業にしてしまうことを避けたかったのでしょうか。

 

うん、そうかもしれない。俺ね、何に関しても人任せが嫌な人間なんです。家を自分でいじっているのもそう。からくりを知らないでいるのが居心地悪い。(自宅をぐるりと見回しながら)配線ってどうなってるのかな、壁の中ってどうなってるのかな。そういうのを知らずに過ごすのは居心地が悪い。できることは体験としてやってみたい。

そういう感情って、登山の影響かもしれないですね。そう思っていろいろやってみるのって、面白いんすよ。

家いじりは自分の巣を作るようなもんじゃないですか。楽しいことなのにそれを人任せにしちゃって、ましてやそこにお金を払う。どういうことなんだ(笑)。人に任せれば自分は何もしなくいいし、その時間に外へ働きにも出られるし、綺麗に仕上がるわけです。けれど俺のなかでモヤモヤがある。だから自分のことはできるだけ自分でしたい。

 

 

 

 

──だから食料調達も人任せにしない、と。著書で「食糧調達が究極のアウトドア」とも仰っています。狩猟の面白さとは?

 

狩猟の面白さか~! だってこれが面白くなかったら、どうなると思います?

まず、食うことは間違いなく生きることそのもの。生きるためには酸素を取り込む、水を飲む、食料を食べる。自分の肉体を作るための栄養素を取り入れるわけです。溶かして、吸収しちゃう。食べるということそのものが、ほとんど生きることなんです。同時に、食べるということは殺すこと。食べものというのはおそらく、塩と水以外は概ね、ほとんどすべてが生きているものです。生きている炭素化合物ですね。

生きることは食べること、そしてそこには自分以外のものの死がある。なにかの命を基本的には奪っているんです。生きるために食べるために、殺す。不思議な矛盾がそこに含まれていますね。生きるために食べるんだけど、常に何かがそのために死んでいる。

そう考えていくと、狩猟とは何だろう。生きることは殺すこと、さらに極論すれば狩りそのものだって生きることです。だってダイレクトに食料を調達することだから。スーパーで買うのはちょっと間接的ですね。

生き物を自分の中に取り込んで、溶かして吸収して栄養素とする。それらを生きることの中心命題だとしたら、狩りは重要な過程です。狩りそれ自体が面白くなかったら、命は続かないでしょう。狩りが人間にとってつまらなくて嫌なものだったら、誰もしなくなるわけだから。

そうなったら命は続かない。獲物を追いかけて、捕まえて、殺して食べることは絶対的に面白いに決まっている。なぜなら、命はほかの命を食っていくから。そうして続いていくから。

 

──サバイバル登山は服部さんからすると、より根本的に”生きる”手段のひとつのようですね。

 

サバイバル登山は俺にとって、いわゆる正しい登山、登山のど真ん中です。登山に「サバイバル」という形容詞をつけて説明していますけど、本当の登山はこっち(サバイバル登山)であると思っているんですよ。だって自分の力が多いわけだから。山に入って、山のものを食って、山を登る。

登山というのは全てが「旅」です。ただ単に自然の中に入り、ウロウロし、ものを食って帰ってくるわけじゃない。この山頂に行き、このルートを繋ぎ、こう進むんだという計画をたてて自分の力でこなす、その行為が面白いんです。そしてその行為をしているのがサバイバル登山!

冬の食料だったら鹿とか猪、夏だったら岩魚や山菜。食料調達は、自分が生きるためのものでもあるし、登山の手段でもあるんですよ。

では「純粋な狩猟」が何かというと……。殺生を目的とすることは基本的にはないです。狩ったならば食べる。殺しは目的にならないわけです。食べることが目的。もちろん登山に関係なく獲物を狩りに行くことも多いですが、それは登山の手段ではなくて、生活の中で食べる肉を得るためです。一方で狩ることが行為として面白い、いわばレクリエーションのような部分も否定できませんね。

俺がお金を稼ぐ手段は会社に出勤して山登りの雑誌を作っていること。だけど生きることにより近いのはどちらかと考えると……、微妙です。狩りに行き肉を得ている瞬間は、「生きているど真ん中」に近い。なので狩りは趣味でしょと言われると抵抗があるんです。趣味、レクリエーション、週末の時間つぶし。そんな風に言われるとちょっと違う。どっちっかっていうと登山が本気、仕事は手抜きなんだよね(笑)。

いや、仕事も本気ですけど! 人生に占める時間を考えたら仕事のほうが割合は大きいのかもしれない。でも、より自分の命に近づいて行っているのは登山や狩りの瞬間なんじゃないかな。

 

 

 

 

──狩りの最中に自分のなかに野性を感じることは?

 

野生か~。普段の生活では野性味がない、というところから疑問ですね。普段は野生的じゃない、という感覚が俺にはないんですよ。かといって自分は常にワイルドな奴だと言いたいわけじゃない。

人間は地球の生き物です。俺たちは自然から離れた都市文明で生活を営んでいます。だから自分たちはワイルドな人間ではないと思っている。だけど、とことんワイルドなんですね。生きているわけですから。殴られたら死ぬんです、岩魚も人間も。どちらも地球の生き物であることは間違いないんです。

地球の生き物のくせに、「社会の中で生きている自分はワイルドアニマルとは違うんだ」と考えていることが間違っている。

山に入ったからといって日ごろ自分のなかで眠っている野性味が目覚めるという感覚はないです。だけど、より「自分という存在が何か」ということに関してはいろいろ考えさせられます。猪という存在は何なのか?鹿は?岩魚は?というようなことを考えないと、狩りのとき獲物には近づけないですし。同時に自分という存在は何かを考えないと、獲物にはやはり近づけません。

結局のところ狩猟というのは、獲物と自分の物理的な距離を縮めることです。最終的にはそれがゼロになる。食べて溶かして吸収するわけですから。それをどんどんどんどんゼロに近づけていくのが狩猟であり、釣りであると思っています。

獲物のことだけじゃなく、自分とはどういう存在か、何ができるのか。そういうことに意識的でなければ、距離は一向に縮まらない。

 

──現代社会で私たちは24時間絶え間なく、何かのサービスを享受しています。いわば24時間お客様状態で、それが当たり前のこととして生活しています。そういう意識は、サバイバル登山をしていると剥がれていくのでしょうか。

 

獲物が合わせ鏡で見せてくれますよ。山の中に行くと、自分の小ささを知るとよく聞きますね。実際そうです。教えてくれるというよりは、最終的には自分で考えている。

若い頃は、アルパインクライマーやヒマラヤリストになりたかったんです。当時の俺は、自意識が強かった。「俺は服部文祥だ!周りを押しのけてでも山を登ってやるんだ」と肩に力が入っていた。

しかし今。最小限の食料と装備を持って山に入り、鹿を追いかけていると、服部文祥が消えるんです。服部文祥である前に、ホモサピエンスなんですよ。ホモサピエンスであって、ほかのホモサピエンスが作った銃を持って、山に入り、鹿を追う。そんな一人の人間でしかない。服部文祥という個性うんぬんの前に、人間であるということに強く意識が向くんです。

それはどうしてか。鹿の目には自分がどう見えているんだろう、と考えるからです。だって俺はよく考える。「あいつら(鹿)、何してんのかな。どこにいるのかな」と。考えて山を歩いていると同時に、「向こうは俺をどう見てる?」ということも考えます。あいつらに気づかれないように近づきたい、気が付かれてもいいけど物理的に距離を縮めたい。

一体、鹿は人間をどう認識しているんでしょうね。山のどこから人間が現れると思っているんだろう。「今日は来るか?」とか悩んでいるのかな。そういういろいろなことを鹿目線で考えるんです。

 

 

 

 

──鹿目線?!

 

鹿目線で考えているとき、そこにいるのは俺じゃない、ただの人間です。そんなときは自分のことを服部文祥としてではなく、「個性が消えた一人の人間」という意識で見ています。

そんな経験、今までなかった。鹿目線で自分を見る。狩猟をして初めてそういう目線に立てた。そして、いろんなことが見えてきた。

いつも思うことがあるんですよ。「鹿も俺も物体なんだ」って。命があって、意思がある。意思を持って動いている動物です。けれど、その前に物体なんですよね。物体だから消しようがない。それが俺ら彼らの存在のど真ん中でありながら弱点でもある。消えようがないから、どうあがいてもそこにいなくちゃいけない。

鹿が山の斜面で草を食んでいる。俺はそこに、ソ~っと近づいていきたい。俺は物体です。体重60数キロの物体が、山の中を進もうとしている。がつがつ歩くと、どうしても足音が出る。新雪だったら足音はだいぶ抑えられますが、落ち葉を踏む音だったり衣擦れだったり。「うわ。俺って結局60キロの炭素化合物と水の塊なんだ」そういうことに気づく。

大体、鹿って丸くなって寝てるんですよ、大っ体ね(笑)。鹿が歩いている場合はチャンスです。俺にとって有利。餌を食っているとき、歩いて移動しているときに出会えると、鹿はそのことに集中しているから、近寄っていけるんです。俺が鹿の存在に先に気がついたなら、待ち伏せたり回り込んだりできる。でも大体は寝てます。寝ているところに二本足の物体が近づいてくる。

鹿に丸くなって寝られてしまうと、こちらからほとんど見つけられません。犬がいれば別ですけどね。5メートルまで近づくのは……かなり難しい。30メートルくらいでも、どんなに神経質じゃない鹿でも立ち上がる。神経質な鹿なら100メートルくらいの距離でも感づきます。

鹿が立ち上がったその瞬間、俺のほうも向こうの存在に気が付きます。しかし、物体である鹿もそこから消えようがない。俺は俺でワープなんてできないから距離を縮められない。

ラムちゃん(『うる星やつら(高橋留美子・作のマンガ)のヒロイン』)みたいに空中にフヨフヨ浮くことができたらどんなにいいか……!!もしくはどこでもドア。でも、そんなの絶対ないし。第一、そんな能力や道具があったら狩りが面白くないですよね。狩猟の意味がない。生きる意味がない。だって狩猟の面白さは生きることそのものだから。

 

 

生きている限り、人間も動物も同じワイルドアニマルだ。生と死は、どんな生き物にとっても等しく、尊いもの。そこに気づき、そこから考えることができるかどうかで、人生の意味が変わってくる。さらにここからサバイバル登山における「食」について、より深く聞いていきましょう。生と死に迫る臨場感あふれるお話しはインタビュー第二回で!

 

 

写真:杉江拓哉 TRON     文:鈴木舞

 

 

 

 

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編集・構成 MOC(モック)編集部
人生100年時代を楽しむ、
大人の生き方マガジンMOC(モック)
Moment Of Choice-MOC.STYLE

 

PROFILE

服部 文祥

1969(昭和44)年神奈川県生れ。東京都立大学フランス文学科卒。大学時代からオールラウンドに登山を実践し、1996年にカラコルム・K2登頂、1997年の冬から黒部横断を行い、黒部別山や剱岳東面、薬師岳東面の初登攀など、国内外に複数の登山記録がある。その後、装備を切りつめ食糧を現地調達する「サバイバル登山」と自ら名付けた登山をはじめる。それらの山行記に、『サバイバル登山家』『狩猟サバイバル』『アーバンサバイバル入門』などがある。

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