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服部文祥氏インタビュー第3回 生きることは食べること。だからこそ自分の力で。

 

都会の喧騒から離れ、山登る。サバイバル登山家・服部文祥は、「自分の力」で山を登ることを突き詰める。最小限の装備のみを携えて、自分が食べるものは自分の手で殺す。ストイックに思えるそのスタイルで彼が辿った山道は、生き物の命の足跡がしかと残されている

当日は服部さんのご自宅での取材。黒の薪ストーブで部屋を暖めつつインタビューがスタート

 

――自身初となる小説『息子と狩猟に(服部文祥著、新潮社、2017年発行)』では、服部さんの人間観、自然観が発揮されているように感じました。自然のなかで生きている生き物と人間とを、等価値に見つめていらっしゃいますか?

 

その質問は前提として、生き物と人間を等価値ではないと思っている人がいるということですよね。人間が偉いというのは間違っているなとは思います。人間の命の方が尊いだとかね。でも、俺はそういう人に対して自分の意見を表明したいわけじゃない。

生きる戦略の違いでしかないと思うんですよ。人間の大脳皮質は確かに他の生き物より大きいし、言葉を用いているし、時間の概念を持っているけど、それは生きるための戦略でしかない。ゾウは鼻が長い、キリンは首が長い、そういった生きるための方法の違いでしかないんです。知能指数が高いからといって、命に関して偉いというわけではないですよね。

サバイバル登山と狩猟を続けていると、そう思わざるを得なくなってきました。「人間だけが特別な生き物だ」というのは単なる勘違いです、それはない。

 

――小説の構成も面白いですね。オレオレ詐欺集団に所属する人間、狩猟生活に身を置く人間。対照的なそれぞれの視点が交互に展開されています。

 

最初は違う構成でした。話を書き進めていくうちに変わってきましたね。草稿の段階では、倉内(登山と狩猟を行うサラリーマン)の視点だけでした。都会でハンティングする詐欺集団と山の狩猟集団を意図的に対比したわけではないんです。

ストーリーを思いついたのは、サバイバル登山中のこと。もしもですよ、死体を捨てに来たチンピラと登山中に出会ったら……?そんなシチュエーションって面白いなと思った。創作になりそうだと頭の中に置いておいたんです。それから新潮社の編集者と知り合いになり、小説を書いてみることになりました。

最初の構成では、チンピラ側がなぜ死体を捨てに来たのかを書いていなかった。でも書き進めていって、その理由を書かないと作品が完成しないことに気がついたんです。そこを書くのは面倒くさいから、自分が逃げていただけ。

新潮社の担当と話して、「加藤側も書かないと作品が成り立たないですよね」と言ってみたら、「ハイ。その通りです」と(笑)。それから詐欺側の話をちゃんと書くようにしました。加藤(詐欺グループのリーダー)に、「なんでそんなことしたの?」と聞きながら。

加藤が悪者だとか反社会的だとか違法だとか、倉内は正義だとかいう二元論に落ち着くのは嫌でしたね。僕のなかでは加藤は格好いい奴。だって自分の力で生きている。違法かどうかは法律の判断です。加藤は自分にとって必要なものを自分の力で獲ってくる。狩猟者が山に入って鹿を獲ってくるのと同じ。悪者というより、どちらかというと格好いい。法律的には違法ですけどね。

キャラが動いてくれればいいんです。書き手の俺はというと、彼らに聞くだけ。なにがあったの?って。

 

 

――命の等価値というと、服部さんが著書で触れていた詩を思い出します。狩る側、狩られる側の立場が交換可能だった時代ですね。今、サバイバル登山をしていて、「あ。俺ヤバい。狩られる!」と思ったことは?

 

「むかし人間はすきな時に動物になれたし、動物も人間になれた」インディアンの詩ですね。それはいつでも人間と動物の立場が入れ替われる地平にあったということです。俺とナツ(服部さんの愛犬)が物理的に入れ替わることはないんですよね。SFじゃないから。

日本の山にはグリズリーとか攻撃的で危険な生き物はいないんです。ということは、鉄砲を持った生き物・人間は圧倒的に強い。一対一だったら鉄砲を持った人間にかなう動物はいないんです。「狩猟は勝負だ」とか言われますけど、基本的に人間側の負けはないのが実際のところ。

人間は仕留め損ねる、あるいは獲る。対して、相手は生きるか死ぬか。ズルいっちゃズルい。一方的な殺戮ですね、簡単に言えば。人間は獲れなくても「疲れたな~」と家に帰ってくるだけでいい。崖から落ちたり寒かったり、いろいろなリスクはありますけど。

人間と動物の命に違いがないという意味においては、本来立場が入れ替わることができるというのは一つの真実。だけど人間がやられる側になるというのは、日本で狩猟をしている限りほぼない。

熊による被害ね。実は日本だと、熊による被害より猪による危険の方が多いんですよ。猪の牙で太ももの大動脈を裂かれると危ない。出血多量です。

人間って自分が餌になることにすごく敏感ですよね。ただし本来は熊のメニューに人間は入っていない。大型動物を獲るのって、ものすごくリスクがある。それは人間も熊も同じ。熊からすれば人間は怖い大型動物なんです。積極的に人間を襲いに来ることはほとんどない。

ですが、人間ほどイージーな獲物って……、ない。それをわかってしまうとどうなるか。一番最初に熊が人間を襲うシーンはこんな風です。

ある人が山菜を採りに山に入る。たとえばネマガリダケをその人間は必死に採っている。その近くでは熊が必死にネマガリダケを食べていた。一人と一頭が鉢合わせ。熊は驚いて人間を叩いた。すると人間はころっと死んでしまった。熊はせっかくだから、人間を食べてみる。すると、うまかった。脂がのっていてうまい。

熊は不思議に思います。『お母さんはあの生き物に近寄るな』と言っていた。けど、すぐ死ぬし、うまいじゃん。熊は馬鹿ではありません。それを覚えちゃうと、ちょっとやんちゃなヤンキーみたいに人間を叩きに来ちゃう。あんなに怖がってたのに、「たいしたことねーや」って。

そういう個体がたまにいて、人間側は今度はその個体を処理するしかない。ニュースで熊出没を報道する。お互いにとっての不幸です。

 

 

――熊による被害はニュースで報道されますが、熊目線の見方ですね。

 

客観的にどちらがプレデターか、どんだけ肉を食ってんだって話です。人が殺すのは熊だと年間3千頭くらいかな。鹿は数万頭。家畜の豚なんて1日で6万頭殺していますからね。4万から6万。一日でですよ。そんで殺して、そんなに食べている。日本中にスーパーがあって、豚肉が売られていて。熊が殺す人間は多くて数人です。ゼロの年もあります。

 

――食べることが欠落してしまっては、狩りと生きることが繋がりませんもんね。「肉を食べるからには自分の力で」という思いで始めた狩猟ですが、服部さんが初めての狩猟に成功したときは、達成感を感じましたか?

 

いえ、最初はやっぱりナイーブでした。「とうとうやったんだな」という感じになるんですけど、やっぱり可哀そう。今でも可哀そうですね。

初めの頃と変わりないか?う~ん!?……変わる、なぁ。慣れる、殺し慣れる、慣れるけど、慣れることにもまた抵抗がある。慣れちゃうことが怖いんですよ。「あ、慣れちゃうんだ」みたいな。可哀そうだし痛いだろうなと思うけど、殺生と食は別。

撃つその瞬間までは不思議と考えないんです。自宅から猟場に行くまで2、3時間かかります。労力がかかりますよね。獲れるか獲れないかわかりもしない。もちろん獲れない日もある。散々歩いてもです。積み上げた努力の結果を出すためには、可哀そうとかは考えない。山を歩いて行って、獲物を見つけたら、銃を撃つ一瞬に向けて集中していくんです、一気に。

そうして獲物の肉体に弾が入ったのを見た瞬間、「あぁ、やっちゃった」と。銃猟に後戻りはありません。相手は壊れちゃうから。やるべきことを全うするしかないんです。

 

 

――『サバイバル!』では「岩魚を殺すことに私は罪の意識を感じていない。私は私の生を精一杯生きるだけだ。それ以外にこの世に敬意を表す方法はない」とありました。この本を執筆されたのは2008年、現在の服部さんにとって「生きることは食べること」は改めてどんな意味を持ちますか?

 

今現在かぁ……。そうですね、自分が生き物としての生命力の頂点を通過した気がしています。歳をとって落ちていっている。ゆっくり死んでいる。ゆっくり死んでいるのに、生命力あふれる野生動物を自分の都合で殺していいのか戸惑っています、正直なところ。

子供たちにうまい肉、質的にも思想的にもより良い肉を食べてほしいと思っています。しかし子供が自立して出ていったとき、狩猟のモチベーションはどうなるんだろう。

鉄砲仲間で、高齢の方が辞めると言い出したことがありました。でも当時の彼はそんなに体が弱っているわけでもなかった。当時の俺は30歳くらいだった。「まだまだ一緒にやりましょうよ!これからも肉を食べるなら、自分で獲らなきゃでしょ!」と言っったんですが、「俺、これから死ぬし。ほとんど死んでるようなもんだし。獣に悪いわ~」ってね。それを聞いても俺にはわからなかった。肉を食べるなら自分で殺した方が筋が通っていると思っていたんです。でも彼は鉄砲を返しちゃった。

今はその気持ちがなんとなくわかる。ただそう感じているだけですけどね。

死についてとか、殺しのことを考えますね。いい悪いは置いておいて、サバイバル登山や狩猟をしていると、そういうことを経験するし、すごく考えさせられます。だからかな。深いところまで行けた気がするから面白いです。みなさんもやるといいと思いますよ。

 

 

――狩猟にチャレンジするのも面白そうですが、まずは『アーバンサバイバル』から入ってみたいです。

 

『サバイバル登山入門(服部文祥著、デコ、2014年発行)』はサバイバル登山についてのハウツー本で、その姉妹本が『アーバンサバイバル入門』ですね。食べることもだけど衣食住について写真やイラストで解説しています。何から始めるのがいいかな……。ミドリガメ?

 

――カメ、推しますね~(笑)!

 

カメはね、甲羅が繋がっているんですよ。解体の仕方が書いてあるので、読んでやってみてください。

いやホント、ミドリガメはうまい、相当うまい! 野生のミドリガメは日本中にいますよ。雪国にはいないかな。あと清流もどうだろう。でっけーミドリガメがいるところ?それは皇居です(笑)。

でも皇居はヤバいからなぁ……。スッポンもいますよね。散策しながらいつも、いいスッポンがいるな~と思うけど獲りません、獲れません。もしも獲ったら、菊の御紋が甲羅に入っているんでしょうね(笑)!

ヤバくないミドリガメなら多摩川の支流の野川がいいですよ。あそこはナマズもいるしいろいろ面白いですよ!

あとはヒキガエル。ヒキガエルには毒があるけど、触ったから食べたからといって死ぬ毒ではないんです。ただそのときの体調によりますから気を付けるに越したことはないか。毒は皮にあるので、捌くときには注意しましょう。洗って、塩をふって焼いて食べる。すると毒の苦みがかすかに残っていますが、北大氏魯山人はそれがうまいと言っていますね!

みなさん。サバイバルはカメとカエルから始めてみましょう。カメとカエル、「サバイバルはK・K」から!

 

一同笑

 

 

 普段、眺めているだけの山や川、空や海。そこは私たちの食卓と、すなわち命と繋がっている。もっと自然に近づいてみよう。すると何が見えてくる?心揺さぶる感情に襲われるかもしれない。けれど、食べることは生きること。生きることの手ごたえを、自分の力で獲りに行ってみませんか?

 服部さん、命を見つめなおすきっかけをくださるお話をありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

服部文祥氏インタビュー第1回 生きることは食べること。だからこそ自分の力で。

服部文祥氏インタビュー第2回 生きることは食べること。だからこそ自分の力で。

 

 

写真:杉江拓哉 TRON     文:鈴木舞

 

編集・構成 MOC(モック)編集部
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PROFILE

服部 文祥

1969(昭和44)年神奈川県生れ。東京都立大学フランス文学科卒。大学時代からオールラウンドに登山を実践し、1996年にカラコルム・K2登頂、1997年の冬から黒部横断を行い、黒部別山や剱岳東面、薬師岳東面の初登攀など、国内外に複数の登山記録がある。その後、装備を切りつめ食糧を現地調達する「サバイバル登山」と自ら名付けた登山をはじめる。それらの山行記に、『サバイバル登山家』『狩猟サバイバル』『アーバンサバイバル入門』などがある。

服部文祥氏インタビュー第2回 生きることは食べること。だからこそ自分の力で。

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