人生100年時代を楽しむ、大人の生き方 Magazine

俳優・千葉真一氏、銀幕の向こうで見つけたサムライたちを偲ぶ。インタビュー第2回。

 

 

 

いつの時代にもサムライはいる。仁義に厚く礼を尽くす、人生の師ともいうべき先達だ。日本映画界の全盛期を駆け抜けた千葉真一氏にとって、サムライとは誰なのでしょうか? 千葉真一氏が生涯最も尊敬するアノ俳優さんについてお話を伺いました。

 

 

――千葉さんが抱く日本人であることへの自覚や自意識は、一朝一夕のものではないような印象があります。少年時代はオリンピックを目指して日本体育大学に入学したという、異色の俳優ならではの経歴をお持ちですね。

 

幼いころは俳優になるんだとも、オリンピック選手になるんだとも考えていなかったなあ!親父が軍人だったという話をしましたが(インタビュー第一回を参照)、飛行機乗りだったんです。自分も飛行機乗りになるのだろうかと思っていました。

ところがオリンピックを見て、僕は非常に感動したんです。日本人選手がメダルを手にし、日章旗を仰ぎながら君が代を歌っている姿を見て、涙が溢れた!俺もオリンピックに出たい、そのために日本体育大学に入りたい、と思ったのが中学生の頃ですね。

そんな僕に親父はこう言いました。「お前、君が代を聴いて涙を流したのか。うん。それはいいことだけれど、君が代の意味を知ったうえで涙を流しているのか?」当時の僕は君が代の意味をよく知りませんでした。そうして親父に歌詞の意味を教えてもらい、君が代は日本の心を歌っているのだと知ったのです。そこでまた感動した……。

そしてね、僕は君が代だけでなく世界中の国歌を勉強してみたんですよ(笑)。

 

 

 

 

――世界中の国歌についてですか?興味のアンテナの張り方が広いですね。各国でやはり並々ならぬ意図が込められているのでしょうか。

 

どの国歌もすごい意味が込めていますよ!フランスの国歌は極端に言ってしまえば「行け行け!獲れ獲れ!領土を獲っちまえ」ということを歌っていますね。アメリカの国歌も突き詰めると、「俺たちは強いんだ」という歌です。興味深いのはドイツの国歌。ドイツの国歌は1番から3番まであるのですが、現在は3番しか歌われていないんです。理由は1番と2番の歌詞がひどいもんだから(笑)。気になる人は自分で調べて見てごらん。国歌って面白いよ。

だけど今の学校では自国の国歌についてさえ、子どもたちにきちんと教えていないでしょう。そこは教えていかないと。

僕が今の日本に対して感じている憤りとは、そういうところです。著書『サムライへの道』でいろいろ書いているけど、まだまだ言いたいことはあります。言うべきことは言うべきなんだと、歳を重ねるほど強く思っている。そういう信念を持って僕は生きています。

 

 

――希望通りに日体大へ進学しオリンピックへと邁進していた千葉さんですが、一転して俳優の道を歩み始めてから、どんな意識を持っていましたか?

 

俳優になってからは、いろいろな本を読み漁りました。様々な日本の側面を見るように心がけていましたね。たくさんのことを学ぶうち「日本の映画俳優として自分は何をすべきか」ということを考えるようになりました。

今もその思いに変わりはありません。「日本のためにいい映画を撮らなきゃいけない、子どもたちのために伝えなきゃいけないことがあるんだ」という使命感が沸々と湧いてきたのです。そういう想いがあって、映画の企画をたてていますね。

「日本人ここに在り!」を見せたいんです。日本人は素晴らしい民族だということを、国内外に対して表現したい。日本とは何か、日本人とは何ぞやということを教えるのは、我々大人の役割です。大人がしっかりしないといけませんよ。

自虐観念という言葉を用いて、日本の教育の現状について触れてきました。これら間違った価値観を教わった世代というのが40代や50代の世代です。間違った歴史本によって教育された世代が、その子どもたちにまた間違った歴史を教えるという流れが出来てしまった。そこに「待った!」をかけられるような映画作品を撮りたいですね。

 

――千葉さんの人生において、サムライを感じる日本人はどなたでしょう。

 

サムライの心を持った人ってね、なかなかいないですよ!しかし挙げるなら、高倉健さん。あの方なら、人のために死ねるんじゃないかな。いつでも自分を犠牲にできる人ですよ、オーラがまるで違います。

映画界に入りたての頃、僕はまだ学生気分が抜け切れていなかったのでしょうね。日本体育大学の学生のときに東映のオーディションを受けて、合格したのがこの世界に足を踏み入れるきっかけです。東映への入社後は劇団・俳優座で勉強するというスケジュールでした。幸運にもすぐ主役をいただいたのですが、一張羅を買うひまがなかった。勉強と撮影の繰り返し。いまだに学生服に身を包んでいたんです。

そんなある日、「高倉健さんがお呼びです」と声をかけられた。えっ!俺、なんかしたかな。コレはやばい……と不安を感じつつ、健さんがいる部屋のドアをノックしました。「おう、入れ」と健さんの声が返ってくる。部屋に入ると健さんがいらっしゃって、「どうだ。作品はうまくいっているか?」と。僕が、ハイ!と答えると「頑張れよ」なんて励ましてくれました。

しかしどうやら話は終わりではないらしい……。「ひとつ、お前に聞きたいことがある」と健さんが僕に言った。

 

 

 

――新人の頃は上司や先輩に呼び出されるだけでもド緊張ですが、相手が高倉健さんとは……。その後どうなりましたか?

 

「お前は社会人になって、東映から給料をもらっている。もう学生じゃない。学生服はやめろよ」とおっしゃいました。

……あぁ。そうだよなぁ。僕は自分の姿がどんな印象を与えるか痛感しました。「着るもんないのか?」と聞かれ、スミマセン!かくかくしかじかで役をいただいてはいますが、まだ着るものがないんです、と説明した僕……。「そうか。でも学生服は辞めろよ。社会人になったんだからな」健さんがそう言って、やがて僕はその場を失礼しました。

そんなやり取りをした一週間後。健さんから荷物が届いたんです。中を開けると、まだ1回か2回しか袖を通していないであろう背広がどーんと。その時にいただいた背広は、今でも大事に取ってあります。

いかにして人の心を掴むか、人の心を察知し、相手の気持ちを読み取るか。これが武士の大切な心です。東京オリンピックの誘致では「お・も・て・な・し」がキーワードでしたが、それも人の心を慮るところから生まれてくる感覚ですよね。健さんはそういった素晴らしい感覚を持ち合わせた方でした。当時の健さんは30歳そこそこだったと思います。ですが僕が30歳くらいのとき、あんな風に若者に対して言葉をかけてあげることはできなかった。随分と大人な方でしたね。

 

 

 

――千葉さんが若い折に撮影現場で窮地に立たされたときには、高倉さんから「ケツまくる時は場所とタイミング見てやらないとな(前述の著書の第四章より)」と助言があったそうですが、非常に賢い方だという印象があります。

 

あの方は若い頃どういう環境で生きてきたのでしょうね。どんな人に囲まれて生きてきたんだろう。わからないけれど、きっと素晴らしい環境だったんじゃないかな。

あの人をあそこまで大人にした環境については興味がありますね。当時の東映には親方がたくさんいらっしゃいました。中村錦之助さん(1932-1997。歌舞伎役者にして時代劇俳優。東映俳優労働組合委員長を務めた)など素晴らしい方々です。ですが、僕の目には健さんが特に偉大な親方として映っていました。あんな凄い人はそうはいない。戻ってきてくれるなら戻ってきてほしい。

他人に対して感情的に怒るなんてところもを見たことがないですね。僕は健さんの付き人をしていました。ある日、撮影所から自宅へと物を届けたことがあります。用事を終えた僕に「何か食べるか?腹減っていないか」と健さんは気遣ってくださったけど、僕は正直に腹が減っているとは言えなかった。武士は食わねど高楊枝っていうじゃない(笑)。

でも健さんはすっかり見抜いていたんだろうね。「俺は腹が減っているからお茶漬け食べるけど、お前も食うか?」と、そういう言い方で僕を思いやってくれたのです。健さんが食べるなら……と結局、僕は一緒にお茶漬けをいただいた。そういう言い方をするんです。なんという人格者でしょう。感動しましたよ、すげぇ人だなと。

 

 

 

 

――高倉健さんに憧れ、その生き様を目標としてきた。同時代に生きる日本人に、サムライを見出せたのは貴重でしたね。

 

本当には武士やサムライにはなれなくとも、そういう精神をいつまでも抱いて生きていきたい。そう思い続けてきましたし、健さんは、「男の生きる道」を示してくれました。だけど、なかなかあそこまで僕は到達できなかった。今でもまだ僕は健さんの足元にも及ばないけれど、あんな風になりたいという気持ちは変わりません。

それから、この人ぞサムライといえば深作欣二監督です。映画とはなんたるかの一から百までを教えていただきました。深作監督のおかげで演じ切れた役柄もありましたね。

サムライは武道をたしなむものですが、僕も武道をやっています。師は大山倍達先生(1923-1994。武道家、空手家。国際空手道連盟総裁・極真会館館長)。生まれは朝鮮半島で日本へ渡ってきたのですが、やはり凄い方です。

高倉健さん、深作欣二監督、大山倍達先生。この3人はサムライのような素晴らしい方々です。

 

 

 

――その生き様にサムライを見たと仰っていたのが深作欣二監督ですが(インタビュー第二回参照)、『仁義なき戦い 広島死闘編(1973年公開)』では、深作監督のなかにどのようなサムライを感じましたか?

 

実は、大友勝利のような役を僕に演じられると思えなかったんです。企画段階では別の役を割り当てられていたという経緯もあったし、大友は礼節を重んじる武士とはかけ離れたキャラクターでしたから。けれど深作欣二という男が監督であるならば、演じ切れるでかもしれないと思った。

いくら俳優が役に入り込んだとしても、やっぱり凄いのは深作監督です。「俺が天下を取るんだ」という意気込みを持っていらっしゃった。では僕がこの役に挑むに当たって、何ができるか。……千葉真一を失うことだ、自分を出してはいけない。そう考えました。

とあるシーンの撮影で、深作監督が「千葉ちゃん金玉掻けない?」と言い出したことがあります。「監督、金玉を掻く必然性はなんですか?」と尋ね返したところ、「だってお前、大友は性病だよ」とおっしゃった。ああ!そうだ!深作監督の言う通りだ、と思いました。大友勝利にはモデルがいましたが、その人物は性病に罹っていたのです。だから僕は性病らしい金玉の掻き方で演じるべきだった。

裏設定ではありましたが、そこまで演じ切ることを深作監督は求めていた。役柄の生き様を撮ろうとする信念があってこそですよ。

 

 

 

――千葉さんが演じた大友勝利は、日本映画史上最も凶悪で残虐なヒールと言っても過言ではありません。後の悪役演技に影響を与えているように思います。

 

そんなことはないでしょう(笑)。山中正治と大友勝利という二人ヤクザに焦点を合わせて深作監督が撮ったから、文ちゃん(故・菅原文太さん)の出番は少なかったね。

当時、僕は「仁義なき戦いの現場に、俺を訪ねて来てくれるな。俺じゃないから」とみんなに言っていたんですよ(笑)。だって役に入り込んでいたから、そこにいるのは僕じゃない。撮影中にファンが現場に来るのが一番嫌なんです。その時の役柄、例えば大友勝利になり切っているんもんだから、お客さんに向かって「こんにちは~!」なんて愛想振りまいたりできないですよ。時間をかけてだんだん大友勝利になっているわけで、そこに他の感情を入り込ませたくないのです。

後々への影響かぁ。与えたかもしれないね。ビートたけしさんのヤクザ映画があるでしょ(『アウトレイジ』)。ビートたけしさんはヤクザの組長を演じたけど、その役名は「大友」だよね、アッハッハ!!

 

――デビュー直後の千葉さんはスタントを極力使わない、何でもできる俳優として、快活な正義のヒーロー風な役柄が多かったですよね。『仁義なき戦い』は俳優として大きなイメージチェンジをされたように思いますが、それ以降の心境に変化はありましたか?

 

そうだね、飲み友達の言葉でハッとしたことがあるよ。寿司屋で一緒にメシを食べていると、俳優仲間の夏八木勲さん(1939-2013)から僕に電話がかかってきた。すると飲み友達が手を叩いて言いました。

「夏八木さんに伝えてよ。『白昼の死角(1979年公開)』は凄い面白い映画でした。詐欺師を演じた夏八木さんがあまりにも素敵だったから、日本にどれだけ詐欺師が増えたことか!」

俳優からすると、ドキッとする言葉ですよ。僕に当てはめるなら「千葉さん。あなたはどのくらいの人間をヤクザにしたの?」ってこと。すごい見解でしょう。僕たち俳優がそのことをどう受け止めるか。「なるほどなぁ、そんなにいい演技だったなんて」と喜んでいいのか、反省しなきゃいけないのか(笑)。

みんなに刺激を与え続けていこうじゃないか。僕はそう結論づけた。役者である限り、そのくらい刺激的であることが僕の使命だから。演技が良ければいいほど影響は大きいものです。ある時はこちらが思いもよらぬ影響もあるでしょう、それをどう解釈していくかを考えることもまた、俳優ですね。

 

 

 

――千葉さんもまさに生けるサムライです。出演映画を観ていると、命がけのスタントをされているので毎回驚かされました。

 

どんなシーンだろうと、僕は手を抜いたことがない。映画、テレビを合わせて1500本の作品を撮りました。俳優になったきっかけは、映画やテレビから感動や夢、希望、勇気をもらったからです。そして僕もみなさんに与えたいと思った。そして作品を撮らなければ与えることはできない。

自分が望んでいたとしても、必ずしも作品を撮れるとは限りません。幸い今までに1500本を撮ることができました。そのなかでたくさんの方に影響を与えてきたと思っています。

日本の代表的な俳優さんに、「僕は千葉さんの真似をしているんだよ」と仰ってもらった時、涙が出るほど嬉しかった!日本の最先端をいく男が、たかが僕から刺激を受けているんだ。

ジャッキー・チェンがデビューして、初来日したことがありました。なんと彼は「私はあなたの映画を観て育ちました。どうしてもあなたに会いたかったんです」と言ってくれたのです。

あぁ、映画をやっていてよかった、伝えることができてよかった……。心の底からそんな喜びが湧きました。僕の映画がこれだけ人に影響を与えたんだということが非常に嬉しい。いい加減な作品は作れない、どんな作品も命を賭けて作ろうと誓ったんです。

 

――妥協をしない情熱を感じます。それだけの気骨がある分、撮影現場では苦労をしたこともあるのでは?

 

若い頃は、生意気だとよく言われましたねぇ!僕は俳優ですから、カメラで撮影される機会が多い。そんな時はいつもいい写真を撮りたい。カメラマンと一緒になって、本当にいいものを作りあげたいんです。

そのために重視しているのは、カメラマンの意図を確認すること。相手の意図を知ったうえで、それに近づいていこうと協力することができますから。世の中に「いい写真だな!」と思ってもらいたいでしょう。もっといいものを撮るためなら、「今のショット、甘いんじゃないですか」と発言していました。

しかしね、こんな風だと得てして生意気だと言われてしまう。ええ、散々言われました。今はみんな言わなくなっちゃったけれど(笑)。いいものを撮りたいから同じ目標に向かって力を合わせましょうよ、というのが僕の意図なんです。

普通は若手俳優ならそんなことはしないんでしょうね。だから僕は映画界で「異端児」と評されました。日本人はこんなことでグチグチ言うような民族じゃないはずですが、欠点はあるものなんでだろうね(笑)。そういった欠点を自覚し理解できたとき、日本人は最高の民族になるのではないでしょうか。

 

 

 

 

 

――高倉健さん然り、深作監督然り、大山先生然り。先達が築いた財産は学んでも学びきれないようです。ところで近年はサムライを感じさせるような人との出会いはなかったのでしょうか。

 

いいえ、先日とても感動したことがありました。国会議員の義家弘介さん(1971-。日本の政治家であり教育者)、ヤンキー先生にお会いしたんです。以前から骨のある人だと思っていたのですが、彼の後援会があったので行ってみました。

するとどうでしょう。僕は感銘を受けましたよ。あそこまできちんとモノを言う人はなかなかいない!ヤンキー先生はサムライのような国会議員です。教育現場の問題点をハッキリと言い切っていくその雄姿。凄い男だ。昔なら殺されてしまうような内容だって、彼は果敢に発言している。今でもなお危険ですよ。それでもヤンキー先生は「真実を言っただけです」と、堂々としています。そういうところがいかにもサムライらしいよね。こういう国会議員がもっと増えなきゃいけないんです。

 

 

 俳優道を歩むなか出会ったサムライたち。その生き様は千葉さんの胸に深く刻まれている。歴史を学ぶことは、人を学ぶこと。先達の礎は、今を生きる私たちの人生にも確かに根付いているのでしょう。次回、アメリカと日本を行き来する千葉さんが思うこれからの日本映画界に迫ります。

 

写真:田形千紘     文:鈴木舞

 

 

 

 

 

 

千葉真一氏「歩め、サムライの道。誇れ、日本文化。武士道精神とはなんぞや」インタビュー第1回。

俳優・千葉真一氏「誇りを抱き、世界に示せ。素晴らしい日本人、ここに在り!」インタビュー第3回

 

 

編集・構成 MOC(モック)編集部
人生100年時代を生きる、
大人のためのマガジンMOC(モック)
Moment Of Choice-MOC.STYLE

 

PROFILE
千葉 真一

千葉 真一

国内外で1500本以上の作品に出演している日本を代表する国際俳優、監督のクエンテン・タランティーノ、俳優のサミエル・ジャクソン、キアヌ・リーブスといったハリウッドのトップスターも千葉にファンとして有名である。
国内外の映画界に多大な影響を与え続けている千葉真一の俳優魂は今も衰えることなく健在です。

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