人生100年時代を楽しむ、大人の生き方 Magazine

満州から日本へ。漫画で語り継ぐ、敗戦後引き揚げの記憶。 ちばてつや 氏 インタビュー【第3回】

 

 

2018年は『あしたのジョー』連載開始から五十年目の年。漫画家のちばてつや先生は現在、エッセイ漫画『ひねもすのたり日記』を連載中です。

ちば先生は戦中、満州・奉天で幼少時代を過ごしました。敗戦を機に一家は日本への帰国を目指しますが、それは簡単な道のりではなかったそう。

『ひねもすのたり日記』では満州時代と現在とが行き来し、少年ちばてつや氏と漫画界の巨匠ちばてつや氏の視点が交錯します。

80代突入を間近に迎えた今、ちば先生が自らの人生を漫画に描くその想いとは――?

 

 

──連載中のエッセイ漫画『ひねもすのたり日記』を読みましたが、79歳(2018年秋の取材時点)とは思えないくらい筆がのっていらっしゃいますね。

 

私が描いていた少年漫画からすると、タッチが随分違うでしょう。

 

──やわらかいタッチでユーモアも散りばめられていますね、とても楽しいです。なかでもちば先生の戦争体験のエピソードは貴重ですよね。「満州引き揚げ」のエピソードはなかなか耳にする機会がありません。歴史的な証言としても興味深い作品です。

 

掲載一回分が4ページだから、描ききれないことが多いんです。『これも入れたいな』という話もあるんだけど、あんまり入れると重くなっちゃう。私は幸い家族全員が無事に日本へ帰ってこられたけど、辛い状況に遭った人はたくさんいたと思います。

 

 

 

 

──コミック第一巻は戦中の満州時代から始まり、平和で穏やかな様子がうかがえます。しかし日本の敗戦後は命からがら満州から引き揚げて、ようやく日本へ到着する……。終戦によって人生が一変した少年時代。ショックもあったのでは?

 

のんびりというか、何をやっても遅い性格をしていたから、(危ない状況が迫っているということに)あんまり気がつかなかったんだ。敏感な子供は気がついていたとは思うんだけどね。日本が戦争をしているという意識すら持っていなかった。日本の兵隊さんがやってきても『な~んでこういう恰好をしているんだろう?』と疑問を感じていたくらいぼんやりとした子でね。

父親は印刷所勤務でした。私たちは印刷所の敷地内にある社宅に住んでいたから、なおさら外のことがよくわからなかったのかもしれないなぁ。だけど私には小さい頃から放浪癖があってね。親からは「絶対に外へ出ちゃダメ」と言いつけられていたのに、こっそり社宅を抜け出しては迷子になっていました。

その時に目にした中国の記憶といえば、穏やかなものだったんだ。その頃の日本は爆撃を受けたり大変な状況にあったけれど、奉天で空襲はなかった。防空壕にも入ったことがないかもしれない。う~ん、忘れているだけかな……。それくらい、日本が戦争をしているという感覚はなかったんだよ。

 

 

 

 

──当時の満州には日本からの多くの入植者が暮らしていたそうですが、中国人との関係性はどうでしたか?

 

中国人はやさしかったんだ。私を見かけるとピーナッツやまんじゅうの切れ端をくれた。小鳥屋のオジさんが片言の日本語で「この鳥かわいいだろう」と話しかけてくれたり、一緒に遊んでくれるお兄さんもいたよ。

だけど段々と、私の姿を見るとみんなが嫌な顔をするようになった。周りに視線を走らせて、日本人の子供と一緒にいるところを見られていないか気にしている風だった。きっとなんやかんやと言われてしまうんだろう。あとからわかったことだけど『日本は負ける、アメリカから爆撃を受けている』というニュースを中国人は知っていたんだね。それに日本兵に頭を押さえつけれられていた鬱憤も溜まっていたのかもしれない。

そうして少しずつみんなの目が厳しくなっていく。『小鳥屋のオジさん、やさしかったのに……』と私は不思議に思っていたんだ。

 

 

 

 

──学術書や公的な記録とは違って、ひとりの少年の身に起きたあの頃の現実が『ひねもすのたり日記』で語られていきます。満州の厳しい冬、敗戦後の危機感、引き揚げの道中……。日本へ帰国してからは政府から現金が渡されたそうですね。

 

大人、子供、年寄りなど年齢に関係なく、一人につき千円でした。当時の千円だから小さくない金額だったのでしょう。ウチは六人家族だから六千円をもらったんだけど、すぐ下の弟がお守りみたいに首から千円札を入れた袋を提げていたら、奪られちゃって! そういうことがあって、五千円で日本での生活をスタートしなくちゃいけないことになったんです。でも、六千円と五千円じゃ全然違うよねぇ。

 

──千葉県の飯岡に暮らす親戚の家を目指し、ついに最寄り駅までたどり着いたちばさん一家。ですがお父さんは、駅から動こうとせずにひたすら姿を隠して夜を待つ。その理由が「昔からの知り合いにこんな姿を見られたくない」からだった……。同じ日本人ですが、満州引き揚げにコンプレックスのようなものを感じていたのでしょうか?

 

コンプレックスとは違うんだ。内地にいた人は食糧難や空爆で大変な目に遭ったでしょう。広島と長崎もとても厳しい状況だった。そんなところへボロボロの服を着て病気に罹っているような風体の人間たちが帰ってきたわけです。船からゾロゾロ蟻みたいに降りてくる引き揚げ者を見て『こいつらどうやって生きていくんだ。こいつらをどうやって食わしていくんだ!』と不安を抱かせたんでしょうね。同じ日本人から「引き揚げ者だ」という視線で見られているのを感じました。

当時の日本はマッカーサーに抑えられて無政府状態。内閣はありましたけどね。日本政府が引き揚げ者に言ったのが「外地で暮らしていた人は日本に帰ってこないでください。現地の人と仲良く暮らしてくださいね」ということ。だから日本へ帰るのに時間がかかったんです。

それではあまりにひどいでしょう。体の弱い人から倒れていき、毎日たくさんの人が亡くなっているのに。「どうして放っておくんだ!」という憤りが起こり、何人かの日本人が満州から抜け出してマッカーサーや吉田茂など力のある人に訴えました。そうして帰国できたんです。

当時の日本としては「もう帰ってこないでくれ」というのが正直なところだったのでしょう。それもそうですよ。自分たちが食べるものだってない、住む家もない。そんなところへ泥だらけでノミと虱を連れてきた人間がやってくるんですから。『自分たちだって食っていけないのに今さら帰ってきやがって』と思うだろうね。

 

 

 

 

──第二次世界大戦直後の中国では毛沢東と蒋介石との内乱が勃発、さらに旧ソ連兵との遭遇など、およそ一年にも及ぶ引き揚げは混乱と過酷を極めていたのでは?

 

昼間は動けない状況でした。中国人が寝静まるのを待って、コッソリと……。もっと日本へ近いところへと、少しずつ少しずつ移動したんです。

私は子供だったから、両親とハイキングしているような感覚でした。親のそばにいると怖くないんです。私の父も一度は兵隊に徴兵されたのですが、シベリアへ行く途中に蹴飛ばされ列から外れ、戻ってきてくれました。

けれどすべての家族がそうだったわけではないんだよ。藤原てい(作家。著書に『流れる星は生きている』など。2016年没)さんの引き揚げの話は私の体験とはやはり違いますし、辛い経験をした人はたくさんいました。死んでしまった我が子をおぶったままの母親がいたりね。死んでも連れて帰りたい、もしくは死んでいるのに気がつかない……。今思い出すと地獄のようですね。

あの広い満州、奉天という郊外で私たち一家が日本人たちとはぐれてしまったことがありました。あの状況下では団体行動をしなければ非常に危ないというのに。途方に暮れていたときに出会ったのが、徐さんという父親の親友だった中国人です。奇跡のような出来事で、本当に助かりました。

 

 

 

 

──しかし幸運ばかりではありません。ちば先生も船で海を渡る途中、友達を亡くしました。『ひねもすのたり日記』はタッチがやわらかく、画面のエグさに目を引かれる作品ではありませんが、悲劇がたしかに発生したことが伝わってきます。

 

そういった事実は今も起きているでしょう。ボートピープルじゃないけど、家族で逃げている人たちは今もたくさんいるじゃない。あの頃だけの話ではなくて、ず~っと続いているんですね。

 

──ちば先生は『文藝別冊 ちばてつや漫画家生活55周年記念号』のインタビュー(2011年発行)で漫画家としてやり残したことを聞かれ、「引き揚げ体験」とおっしゃっていましたが、今まさに着手されていらっしゃる。

 

ええ。それでも語り切れないと思うので、インタビューを受けたり講演をして、戦争や引き揚げの話をしています。戦前はこんなことがあったんだよ、と可能な限り伝えていきたいですね。

 

 

 

 

──あの頃に生きた人でしか伝えられないことはたくさんありますよね。これからもこういう情報発信をしていってほしいです。

 

漫画家には満州からの引き揚げ者がけっこういたんですよ。だけどみんな自分からは言わないの。赤塚不二夫さん、森田拳次さん、北見けんいちさん、古谷三敏さん。仲良くなっても、自分は引き揚げ者ということを言わなかったんだ。けれど日中の国交が回復したときに、誰かが「これで中国に行けるなぁ」と言ったんだ。「なんで行きたいんだよ」とまた誰かが聞いたら「オレ、引き揚げ者だからだよ」と。すると「えっ。俺もだよ!」「俺も俺も……」なんてみんな話し出した。

住んでいた場所を聞いてみたらみんな結構近くで暮らしていたのがわかったよ。私と赤塚さんなんて、おんなじ小学校に通っていたんだから! 家も100m、200mくらいしか離れていないくらいご近所さんだったんだ。

(父親が働いていた)印刷工場は今も中国人が工場として使っているらしくてね。当時の建物が今もけっこう残っていると聞いています。

 

──有名な漫画家さんも満州引き揚げを体験していたとは、あまり知られていなかったかもしれませんね。ちば先生のように語り出す人がいることで、また後世に残る歴史に厚みが出てきそうです。

 

漫画家以外にも、著名人に引き揚げ者はたくさんいるんだ。山田洋二さんもそうだね。最近は自分が引き揚げ者だと口にしている人も増えたかな。僕は漫画に描いているし、映画だったり何だったりで語る人も出てきました。

でも以前はちょっと言いにくい雰囲気があったんだよ。隠しているつもりではないんだけど、思い出したくないのかもしれないね。辛い出来事もあったから。ウチはたまたま徐さんの助けもあって家族みんなで帰ってこられたけど、大抵は違う。妹と離れ離れになった、母親が死んでしまった……、こういう悲しいことがあったんだ。もっともっと辛い思い出を抱いている人もいるはず。

 

 

 

 

──辛い側面も含みつつ、『ひねもすのたり日記』を楽しんで描いているようにも思えます。楽しんでいるといいますか、自然体といいますか……。

 

週刊誌と違って隔週連載ですし一話が4ページなので、『あしたのジョー』とは違いますね。ただしページ数がとても限られているので、悩むこともあるんだ。そうだなぁ、これまでは小説を書いていたのが、俳句を詠んでいるようなものかな。もしくは短歌だね。短いページに伝えたいことを入れて、尚且つ季語を入れるような感覚。難しいところもあるけど充実感もあるんですよ。

 

 

人生100年時代といわれる現代日本は、ほんの70年ほど前は戦争の真っただ中にありました。そして今もこの世界のどこかで戦火に脅かされて生きる人々がいます。私たちができることのひとつが「過去から学ぶ」こと。当時を生き抜いた方々の体験談はとても貴重です。ちば先生の『ひねもすのたり日記』を読むと、戦争がまた違った角度から見えてくるはず。ちば先生のメッセージは漫画の一コマ一コマに散りばめられています。是非お手にとり、その想いを受けとってみませんか?

 

 

写真:田形千紘     文:鈴木舞

Ⓒ/  講談社

 

 

 

 

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編集・構成 MOC(モック)編集部
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PROFILE

ちば てつや

1939年(昭和14年)1月11日、東京築地の聖路加病院で生まれる。
同年11月に朝鮮半島を経て、1941年1月旧満州・奉天(現中国・遼寧省瀋陽)に渡る。
1945年終戦。翌年中国より引揚げる。
1950年、友人の作る漫画同人誌「漫画クラブ」に参加。1956年、単行本作品でプロデビュー。1958年「ママのバイオリン」で雑誌連載を始め、1961年「ちかいの魔球」で週間少年誌にデビュー。
主な作品に「1・2・3と4・5・ロク」、「ユキの太陽」、「紫電改のタカ」、「ハリスの旋風」、「みそっかす」、「あしたのジョー」、「おれは鉄兵」、「あした天気になあれ」、「のたり松太郎」など。
公益社団法人日本漫画家協会会長。
東京都練馬区在住。

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