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自立と孤立、依存と共存 中村うさぎ連載コラム 〜第6回〜

 

 

〜連載第6回〜

自立を目指して生きてきたら、いつの間にか孤立していた。

依存症に苦しんでたら、共存という新たな道が見えてきた。

これは、そんな私の半生の話です。

 

 

心肺停止した時のことを私は覚えていない。

夫の話によると、看護師さんに着替えを手伝ってもらいながら「痛い! 痛い!」と大騒ぎしていた私がふいに黙り込んだので見てみると、目を大きく見開いたまま、みるみる唇が灰色になっていったそうだ。

 

異変に気付いた看護師さんが心臓マッサージをしたり、担当医を呼びに行ったりして、その場は騒然となったらしい。

そして担当医の指示で私はすぐさま氷漬けにされたのだが、この処置のおかげで脳に障害が残らずに済んだようだ。

 

それから3日間、私は意識不明だった。

担当医は「このまま植物状態の可能性もある」と家族に伝え、夫と父はそれぞれに覚悟を決めたという(母もその場にいたが、認知症なのでいまだに理解していない)。

みんなが「もう、この人はこのまま死ぬか植物状態なんだな」と諦めかけた頃に、私は突然、目を醒ました。

 

いや、「みんなが」ではないな。

夫は諦めていなかったと、後に私に語った。

 

「ワタシは、あなたが絶対帰ってくると信じてたの」

「何の根拠があって?」

「根拠なんかないけど、ただ信じてた」

 

信じる者は幸いである、というキリストの言葉を思い出した。

何なんだろう、この人の信念は?

信仰も持っていないのに?

 

一方、クリスチャンである父はさっさと私のマンションを引き払うよう夫に命じ、信仰を持つ人と持たない人の真逆の対応が面白かった。

普通は反対なんじゃないか?

信仰を持つ人は神に祈り、持たない人は早々に諦めて現実的な対処をするような気がするんだけど?

 

まぁ、それはともかく、私はこうして3日間意識不明であったのだが、その時にいわゆる臨死体験的に何かを見たとかいう記憶は一切ない。

白い光にも包まれなかったし、死んだ祖母ちゃんが花畑の向こうで手招きするのも見なかった。

私の記憶に残っているのは、突然、プツッと電源が切れたようにブラックアウトしたこと。

そして、次の記憶は、目を醒ましていつもの日常に戻ったこと。

いや「戻った」という自覚さえない。

普通に、いつものようにベッドで目を醒ました感じだ。

そして、夫に「あんた、3日間も意識なかったのよ」と言われて、「え、そうなの?」と驚いたことくらいである。

 

この体験によって、私は「死後の世界なんかない。臨死体験もない。死とはプツンと電気が切れて、そのまま無になることだ」と確信したのであるが、夫の話によると、どうやら私はその生と死の境界で誰かの声を聞いたらしい。

 

「戻って来いって言われたから戻ってきた、って、あんた、目を醒ました時に言ってたわよ」

「え? 誰に言われたんだろ、そんなこと?」

「わかんない。それ聞いた時、ワタシは自分の声が届いたのかと思ったの。あの三日間、あなたの手を握って、ずっと『戻ってきて』って耳元で言い続けてたから」

「じゃあ、あんたの声だったのね」

「ううん。あんたに『ワタシの声だった?』って訊いたら、あんた、『いや、違う』って答えたわよ」

「ふぅーーーん……」

 

この声の主が誰だったのか、じつはいまだに不明である。

何しろ私は、何も覚えていないのだ。

だが、その正体不明の「声の主」が、私を今日まで生かしている。

 

我々は生まれたくて生まれたわけではないし、死にたくなくても死んでしまったり、逆に死にたくても死ねない場合も多々ある。

命に対して、我々は徹底的に無力なのだ。

では、我々の命をコントロールしているのは何者なのか?

人によってはそれを神だと考えるだろうし、もっと別の存在を信じる人たちもいるだろう。

しかし私は、そういう超越的存在を信じないので、すべては偶然の為せる業だと考えていた。いや、今でも、その考えは基本的には変わらない。

しかし、どうやら私は何者かの声を聞いて、この世に戻って来たらしいのだ。

これをどう解釈していいのか、私にはわからない。

もしかすると、今後の私の人生は、その「声の主」を探すためにあるのかもしれない。

 

 

さて、こうして、私は死の淵から生還した。

その後も二度の呼吸停止を経験したが、いずれの場合も回復し、半年後に退院して自宅に戻ったわけである。

本当の地獄が始まったのは、そこからだった。

(つづく)

 

イラスト:トシダナルホ

 

 

 

 

 

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編集・構成 MOC(モック)編集部
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PROFILE

中村 うさぎ

1958年生まれ。エッセイスト。福岡県出身。
同志社大学文学部英文学科卒業。
1991年ライトノベルでデビュー。
以降エッセイストとして、買い物依存症やホストクラブ通い、整形美容、デリヘル勤務などの体験を書く。

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