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自立と孤立、依存と共存 中村うさぎ連載コラム 〜第58回〜

 

 

〜連載第58回〜

自立を目指して生きてきたら、いつの間にか孤立していた。

依存症に苦しんでたら、共存という新たな道が見えてきた。

これは、そんな私の半生の話です。

 

 

 

 

「愛を諦めた先に愛は存在する」という言葉は逆説的に聞こえるかもしれない。

だが、こう言い換えたらどうだろう?

 

自分を愛することを諦めた先に他者への愛は存在する。

あるいは、愛されること諦めれば愛される道が開ける、と。

 

この場合の「自分を愛する」とは、言うまでもなくナルシシズムのことであって、自尊心とはまったくの別物である。

多くの人がナルシシズムと自尊心の区別をつけずに考えるために、「自分を愛すること」と「自分を尊重すること」がごっちゃになっている。

「自分を大事にしなさい」という言葉をよく聞くが、それは自分の尊厳を守れということであって、自分の正義や欲望を優先することでない。

他人に比べて自分がいかに劣っていると感じても、自分を無価値な存在と考えて卑屈になったり粗末に扱ったりする必要はない、という意味だ。

これは「自尊心」の問題である。

尊厳はどんな人間にも与えられた権利であるから、「私の尊厳を大切にしてくれ」と他人に要求するのは間違ってはいない。

が、尊厳とナルシシズムを混同してしまうと、「もっと私を大切に扱ってよ」とか「もっと俺を認めろよ」といった承認欲求にすり替えられてしまい、そんなものを他人に要求する権利など誰にもないのである。

 

他人から暴力的に搾取される筋合いはないし、家畜のように支配されて当然の人間などいない。

これが「尊厳」だ。

だが、他人があなたの機嫌を取る必要はないし、あなたを愛したり必要としたりするよう強要される理屈もない。

それは「尊厳」ではなく「ナルシシズム」の要求だからだ。

 

だから、私の「自分を愛することを諦めろ」という言葉を「尊厳を捨てろ」という意味には取らないで欲しい。

私はあくまで「ナルシシズム」による自己欺瞞や正当化を問題としているのである。

うぬぼれ鏡に映った自分に見惚れている限り、他者の姿は目に入らない。

他者の愛にも気づかないし、他者への愛も持ち得ない。

他者と繋がりたいと望んでも、あなたが他者を自分のナルシシズムを満たす道具としか見ていない限り、繋がりようがないではないか。

あなたが「愛されたい」と望むのは、そして「誰も愛してくれない」と絶望するのは、単に「愛される自分」が好きなだけである。

そこに他者はいない。

あなたに都合のいい脳内他者しかいないのだ。

 

我々は自分しか存在しない孤独な惑星の住人である。

それは、我々の脳が「私」を中心に世界を組み立てているからだ。

人間は死ぬまで己の「主観」から一歩も出られない。

まずはその事実を認めないと、あなたは永遠に、いもしない「幻の他者」を求めてさまようことになる。

誰かから愛されたいなどというナルシスティックな夢は諦めて、自分の孤独を受け容れることから、始めなければならないのだ。

この世で自分が唯一無二であるように、他者もまた唯一無二の個であることを認識する。

あなたと同様に他者もまた孤独であり、代替不可能かつ不可侵な存在なのだ。

そこに気づかないと、あなたは他者を道具として扱い続けるというミスを犯し、自分もまた他者から道具として扱われ続けることになる。

そんなものは「愛」でも何でもないだろう。

 

私はずっとナルシシズムによる自己欺瞞に騙されてきた。

誰かに愛されたい、必要とされたいと常に切望してきたが、それが単なるナルシシズムだとはなかなか気づけず、むしろそれこそが「愛」なのだと思い込んでいた。

好きな人のために貢いだり献身的につくしたりするのは、彼を愛しているからこそだと勘違いしてしたのだ。

そして、当然のように相手に見返りを期待した。

こんなにつくしてるのに、あなたのためにこんなにいろいろ頑張ってるのに、なんで感謝の言葉のひとつもないのよっ、と恨みつらみを募らせていた。

感謝の言葉が欲しくてやっているのなら、それは自分の利益や快感のためではないか。

「相手のことを思って」などというのは、ただの欺瞞だ。

 

愛を求めては手痛いしっぺ返しを食らい、もう自分に都合のいい愛を探すのはやめようと思った。

そんなものは存在しないと、きっぱり自分に言い聞かせることにした。

その時の私は「おそらく、愛なんてものはこの世に存在しないのだ」と考えていた。

見返りを求めない愛なんて存在しない、人は誰でも自分のためにしか他者を愛せないのだから、と。

まあ、それは半分くらい真実だったのだが、その先には絶望しかないように思えた。

孤独な惑星として永遠に宇宙に浮かび続ける自分を想像すると、生きていく意味なんかあるのかと虚しくなったのだ。

 

この世に生きている限りは、社会の中で他者と関わらなくてはならない。

他者と関わると傷つくし、ついつい他者に期待もしてしまう。

それを諦めるのなら、社会に背を向けてたったひとりで生きていくしかないではないか。

と、そんなことを思っているうちに病に倒れ、ひとりで生きていくどころか他者の手を借りなくては自力でトイレにもいけない身体になってしまった。

他者を必要とせずに生きていくつもりだったのに、他者を必要とせざるを得ない状況に立ち至ったわけである。

そして、ほとんど寝ないで私の介護をする夫を見ながら、「この人は何のために私の世話をしているんだろう?」と不思議に思った。

 

以前は私が彼を養っていたから、彼が経済的に私を必要としているのは明白だった。

利害関係がはっきりしている方が、私も自分のすべきことがわかるからありがたい。

恋愛関係のない私たちだからこそのドライな関係性だが、アスペの私には恋愛という暗黙の了解よりも、こちらの方が快適だったのである。

夫が私を愛しているかどうかなど、あまり気にかけたこともなかった。

恋愛関係から生まれた夫婦ならそれは重要事項であろうが、初めから「愛してる」などと言い合ったこともなければ性的に求め合ったこともない私たち夫婦に、「愛しているか? 愛されているか?」などという確認は不要であり、だからこそ何の罪悪感もなく外で自由に恋やセックスにうつつを抜かすことができたのだ。

 

そう、私は夫が大好きだったが、それを「愛」だとは認識してなかった。

それは確かに「親愛」という愛情のひとつではあったが、恋愛よりもずっと穏やかで地味な感情なので、意識にのぼることがなかったのだ。

彼はまさに「空気」のような存在であった。

なくてはならぬ重要なものなのに、普段はその存在を気にも留めない。

そして、介護を必要とする身になって初めて、私は自分がいかに彼の存在を軽視してきたかを思い知らされたのだった。

(つづく)

 

イラスト:トシダナルホ

 

 

 

 

 

 

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編集・構成 MOC(モック)編集部
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PROFILE

中村 うさぎ

1958年生まれ。エッセイスト。福岡県出身。
同志社大学文学部英文学科卒業。
1991年ライトノベルでデビュー。
以降エッセイストとして、買い物依存症やホストクラブ通い、整形美容、デリヘル勤務などの体験を書く。

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