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自立と孤立、依存と共存 中村うさぎ連載コラム 〜第31回〜

 

 

〜連載第31回〜

自立を目指して生きてきたら、いつの間にか孤立していた。

依存症に苦しんでたら、共存という新たな道が見えてきた。

これは、そんな私の半生の話です。

 

 

前にも申し上げたとおり、私は「アスペルガー症候群」だ。

この障害を持つ人は、基本的に嘘をつくのが苦手である。

だからといって今まで嘘をついたことが一度もないとは言わないが、嘘をつくとものすごいストレスになるのは確かなので、自分の心の平和を保つため、できるだけ嘘をつかないようにしている。

 

と、こんな風に言うと、「嘘がつけないなんて正直者でいい人ではないか」と勘違いする人もいるのだが、じつは「嘘のつけない人間」は全然「いい人」ではない。

むしろ、その逆だ。

世の中には、「本音を言わない」ことが優しさであるケースが多々あるからだ。

 

たとえば嘘をつくのが苦手な私は、嫌いな人を好きなふりができない。

はっきり口に出して「嫌い」とは言わないまでも、顔や態度に出てしまうので、相手にもそれが伝わって傷つけてしまう。

結果、私は容赦なく人を傷つける人間となるわけで、そんなの「いい人」でも何でもない。

 

嘘をつくのはストレスだが、人を傷つけてしまうのもまたストレスだ。

嫌いな人を好きなふりは絶対にできないが、それでも何とか傷つけずに済む方法はないのだろうか?

アスペの私にとって、この問題の対処法は、社会的な死活問題でもあった。

人間関係をスムーズに築けないコミュ障は、どうしても孤立しがちである。

私が現在の職業に落ち着いたのも、コミュニケーションスキルが低くても何とかやっていける職種だからだ。

そのためか、物書きや漫画家にはコミュ障や変人が多い(苦笑)。

 

だが、やはり日常生活において、他者との軋轢は極力避けたいものである。

こうして私は、「本音を隠せないコミュ障が嘘や演技をせずに他者と繋がっていられるにはどうすればいいか」を考え続けた。

そして、それを考えるにあたって、自分の「本音」についても考えるようになった。

 

そもそも、私の「本音」とは、いったい何なのか?

すなわち、「自分の本音の成り立ち方」について考えるようになったのである。

たとえば、私はAという人物がどうにも嫌いだ。

それはもう嘘偽りのない「本音」であることに間違いないが、しかし、その「嫌悪」自体は何を根拠に生じているのか?

もしかしたら、それは私の「嫉妬」だったりするのではないか?

だとしたら、その嫌悪は相手にとってフェアではない。

私は己の嫉妬を率直に認め、攻撃の矛先を相手から自分に向けるべきだろう。

そうすれば、相手に対する嫌悪も幾分かは希釈されるのではないか。

うまくいけば、相手への罪悪感が生じ、以前のように避けたり不快な態度を取ったりしなくて済むようになるかもしれない。

 

そこで私は、誰かに嫌悪感や不快感を抱いた場合、その原因究明に心を傾けるようにした。

自分の心を分析する作業は、嫌いではない。

自分を知りたいという欲求が、私の人生のモチベーションでもあるからだ。

自分の中の「わだかまり」の正体が判明すれば、より自分という人間を知ることにも繋がり、むやみに他者を嫌う必要もなくなって、嘘や演技を強いられるストレスからも解放される。

それでも、どうしても嫌悪感を払拭できない相手とは、もう無理に交流しなくてもよろしい。

世の中には、相性の合わない人間も存在するのだから。

 

アスペならずとも「人間関係が苦手」と吐露する人は多い。

そもそも私たちは「他者」を苦手とする生き物なのだ。

自分が一番大事だから、自分の世界を壊したくないから、どうしても異分子である他者を疎ましく思ってしまう。

だが、その一方、私たちは「他者との繋がり」なしでは生きていけない「群れの習性」も持っている。

いわゆる「帰属欲求」というやつだ。

他者に自分を侵害されたくないが、他者との繋がりは欲しい。

わがままな欲求ではあるが、それが私たちの本性なのである。

まずは、それを自覚すべきであろう。

 

世の中にはそこに無自覚な人間が少なからずいて、そういう人々はたいてい他者に近づいては相手を支配しようとしたり、共通の敵を作って団結を強めようとする。

彼ら彼女らは、それが単なる「わがまま」だなどとは夢にも思っていない。

むしろ、自分の正義こそ正当であると思い込んでいる。

そして私は、その手の人間とは本当に相性が悪いのだ。

私には彼ら彼女らの「正義」が独善的な「自己正当化」と「自己欺瞞」にしか見えないからだ。

 

私にも自分なりの「正しさ」はある。

だが、それはあくまで私の個人的な倫理だ。

他者に押し付けるつもりもなければ、反対する者を駆逐する気もない。

私は「正しさ」というものがきわめて相対的で流動的だと考えているからね。

 

人はわがままで独善的で他者に厳しいくせに、孤独を恐れ他者と繋がりたいと熱望する矛盾した生き物である。

そんな我々が他者と繋がることは、本当に可能なのだろうか?

その問いに対して、私はこう答えたい。

完全に繋がることは不可能だ。

それは他者への侵害を引き起こしかねない。

だから、一部だけ繋がることで満足しよう。

腕や肩を組んで団結するのではなく、伸ばした指の先が誰かの指に触れていれば、それで孤独は癒されるはずだ。

それ以上の強い結びつきは、依存や抑圧、多様性を排した悪しき全体主義を生む。

 

普段はひとりで自由に生きていても、何かの時には助けを求められる他者がいること。

それは家族でなくても、友人でも隣人でもいいのだ。

そういうゆるい繋がりを、私たちがもっと上手に作れたら。

 

それにはまず、他者に対する嫌悪や侮蔑を、相手の問題ではなく自分自身の問題として捉え直す視点が必要なのだと思う。

これはアスペという障害を持つ私が辿り着いたメソッドだが、健常者にも応用できるのではないかと期待している。

だって、私の見る限り、健常者だって完璧なコミュニケーションなんかできてないもの。

みんな、心の底で他者を恐れ、批判し、苦々しく感じている。

コミュ障じゃない人々は、コミュニケーション能力が高いというより、コミュニケートしている「ふり」が巧みなだけなのだ。

だから、いくつもの誤解や勘違いやすれ違いが生まれているのだが、そこから目を背けるのも健常者の皆さんは得意である。

 

健常者は基本的に嘘つきだ。

それはひとつの処世術だから、仕方ないと思う。

ただ、嘘をつくことに慣れ過ぎて無自覚になっている人が少なからずいることに、私は驚きを禁じ得ない。

もしかすると、それは「健常者の病」なのかもしれない。

(つづく)

 

イラスト:トシダナルホ

 

 

 

 

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編集・構成 MOC(モック)編集部
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PROFILE

中村 うさぎ

1958年生まれ。エッセイスト。福岡県出身。
同志社大学文学部英文学科卒業。
1991年ライトノベルでデビュー。
以降エッセイストとして、買い物依存症やホストクラブ通い、整形美容、デリヘル勤務などの体験を書く。

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