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自立と孤立、依存と共存 中村うさぎ連載コラム 〜第30回〜

 

 

〜連載第30回〜

自立を目指して生きてきたら、いつの間にか孤立していた。

依存症に苦しんでたら、共存という新たな道が見えてきた。

これは、そんな私の半生の話です。

 

 

人は何故、家族を作りたがるのだろう?

家族を持たない者も、コミュニティという疑似家族に属したがる。

現代では、ネットがその役割を果たしている節もある。

 

人間には「帰属欲求」があると言われる。

何かしらの集団に属することで安心し、アイデンティティを確立しやすくなる習性だ。

群れを作って生活し進化してきた生き物ならではの本能なのだろうか。

確かに群れを作らない生き物……たとえばキツネなどは、子どもたちがある程度成長すると巣穴から追い出してしまう。

ドキュメンタリー番組でその光景を見た私は子狐たちが不憫でならなかったが、その子たちが母親との別れにすぐに順応してそれぞれ逞しく生きていく姿を見て、彼らを不憫に思った自分の勘違いに苦笑した。

孤独に耐えられないのは、人間だけなのだ。

 

私たちが孤独をかくも恐れ、必死で周囲に溶け込もうとする悪足掻きこそ、他の生き物の目には不憫に映るのかもしれない。

帰属する集団を必要とせず、独りで生きていける彼らには、真の自由がある。

我々の口にする「自由」など、彼らの自由に比べれば、「檻の中の自由」に過ぎない。

人間は自ら「檻」を求める生き物なのだ。

「家族」という檻、「社会」という檻の中で、適度に「個」を保ちつつ生きていける……それが我々の望む「自由」である。

 

「自由になりたい!」と叫ぶ若者たちは、ただ「今の檻から抜け出したい!」と叫んでいるだけだ。

本当に自由になって荒野にひとり放り出されたら、たちまち次の檻を探し当てて飛び込むだろう。

そして、その檻でまたしても不自由感と不満を募らせ、より快適な檻を求めて飛び出す。

思いのままの自分でいられる檻など、この世に存在しないというのに。

「居場所がない」と呟く者たちも同様だ。

どこかにし自分を100%肯定してくれる檻があると期待している。

その檻こそが自分の「居場所」だと。

しかし、「居場所」とはどこかに用意されているものではない。

自分の選んだ檻を居場所にするよう、本人が何かしらの我慢や努力をするしかないのである。

 

現代人の「居場所がない」問題は深刻だと私は思っているが、その「居場所」の定義かあまりにも自分勝手で甘ったれていたりすると、「君には一生居場所なんかないよ」と言いたくなってしまう。

「居場所」とは「俺様帝国」ではない。「自分が適応できる檻」にすぎないのだ。

適応の努力を怠って、手前勝手な居場所をひたすら要求する人たちに、私は少々ウンザリしている。

そんな者たちの居場所より、適応したくて努力しても檻から弾かれてしまう人々の「居場所の無さ」こそが深刻なのではないか。

たとえばそれは、知的・精神的障害を持つ者や謂れなき差別を受けている者、特殊な性癖を持つ者といった、いわゆる「マイノリティ」たちだ。

だが、彼らの声はしばしば掻き消され、マジョリティにあぐらをかいた者たちばかりが「何の努力もせずに快適でいられる居場所が欲しい」などと声をあげる。

彼らの居場所とは、「ありのままでいられる場所」なのだそうだ。

そんな場所、どこにもねーよ!

あるとしたら「自分の中」だが、そこには君しか住めないよ。

いいかげん、「自由と孤独」か「不自由と帰属」か、どっちか選ぶ覚悟をしなさい。

 

人間は弱い。弱いから群れを作りたがり、「居場所」という檻に帰属したがる。

完全なる自由を恐れ、孤独を忌み嫌うくせに、檻の中にいる不自由さに不平を漏らす。

「家族」とは、そんな人間たちが作る最小単位の「檻」である。

その檻が快適だとは限らない。

血縁という幻想で結び付いているとはいえ、しょせん他者の集まりだからだ。

血が繋がっているからといって、心が繋がっている保証なんかあるか?

私はないと思うぞ。

 

理想の帰属場所を求める者たちの一部は、カルト教団に入ったりもする。

そこはたいてい教祖を家長とする疑似家族というスタイルのコミュニティであるが、この絶大なる権力と影響力を持つ「父」が狂うと、全員が巻き込まれて悲惨な結果を生むのは、ご存知のとおりだ。

オウム真理教のサリンテロ然り、人民寺院の集団自殺然り、マンソンファミリーのセレブ連続殺人然り、ブランチ・ダビディアンの立て籠もり事件然り……信者たちは何故、このような「狂った父」に盲目的に従い、悪夢と化した「家族」になおも帰属したがるのか?

 

洗脳だとか恐怖支配だとか、さまざまな要因が挙げられるだろうが、私は「選民意識」だと思う。

これらの狂った家族は、狂っているからこそ、自分たちは特別だというナルシスティックな幻想を与えてくれるのだ。

どこの檻に属してもそこを自分の居場所だと思えなかった人々が、狂ったカルト教団で得たものは、「自分は特別だからこそ凡庸な居場所では満足できなかったのだ」という自己認識だったのではないか。

要するに、肥大したナルシシズムを満たしてくれるのは「狂った父」の存在しかなく、ゆえにその狂気も社会的逸脱も、すべて「選ばれし者の権利」として正当化されてしまうという流れなのだ。

でもね、この世に生きている人間の誰ひとり、「選ばれた者」などいないのだよ。

自分が「選ばれし者」になれるのは、ゲームやファンタジーの世界だけ。

この現実世界で自分を「選ばれし特別な者」と思う時点で、それは妄想であり狂気なのだ。

気をつけなさい。君は誰にも選ばれてないと肝に銘じなさい。

 

人間の帰属欲求が生み出す「家族幻想」。

そして、「家族幻想」が肥大したナルシシズムと結びついた時に生まれる狂気。

カルト教団ならずとも、さまざまな疑似家族コミュニティに、その狂気の芽は潜んでいる。

疑似家族を作るのも血縁家族を作るのも自由だが、そこをナルシシズムの揺り籠にしてはならない。

ましてや、そこに絶大なる権力者を置いてもいけない。

そんな家族を作るくらいなら、父も母も必要としない野生の狐に私はなりたい。

(つづく)

 

イラスト:トシダナルホ

 

 

 

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編集・構成 MOC(モック)編集部
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PROFILE

中村 うさぎ

1958年生まれ。エッセイスト。福岡県出身。
同志社大学文学部英文学科卒業。
1991年ライトノベルでデビュー。
以降エッセイストとして、買い物依存症やホストクラブ通い、整形美容、デリヘル勤務などの体験を書く。

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