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自立と孤立、依存と共存 中村うさぎ連載コラム 〜第48回〜

 

 

〜連載第48回〜

自立を目指して生きてきたら、いつの間にか孤立していた。

依存症に苦しんでたら、共存という新たな道が見えてきた。

これは、そんな私の半生の話です。

 

 

「永遠のよそ者」としてこの世を生きる人々にとって、世界も他者も深い謎の霧に包まれている。

どうやら自分はみんなと同じ世界に住みながら、どこかズレた世界に生きているようだ。

他者たちもまた、自分を同じ世界の住民とはみなしてないようで、恐る恐る近づいてくる者もいれば不愉快そうに顔を背ける者もいる。

時には、自分にはまったく理解できない理屈で激しく攻撃してくる者もいる。

 

世界とは何か? 他者とは何か? 自分とは何か?

幼い頃からそんなことを考えながら生きてきた私であるが、その私を生み育てた母は、これまた世界や自分にまったく疑念を抱かないタイプの「無自覚なマジョリティ」の人であった。

彼女には「世間」と呼ばれる他者の集団がいて、その「世間」の目に自分や家族がどう映っているのかが最大の関心事であり、彼女の行動基準はほぼその「世間」に依拠していた。

私に言わせれば「世間」などは存在するのかどうかも怪しいフィクショナルな集団なのだが、彼女はその「世間」の存在を確信し、「世間」のルールに従うことが正しいのだと私に教え込もうとした。

でも、その「世間」のルールははっきりと言語化されないうえに状況によってたびたび変わるという複雑怪奇なもので、私にはとんと理解できなかったのであった。

 

私にとっては、母や世間こそが「異邦人」であった。

「嘘や隠し事は絶対にいけません」と言いながら、「ああいう質問にはこう答えなさい」などと心にもない嘘を吐くよう強要したり「あの人には絶対言っちゃダメよ」と隠し事をさせたり、そのたびに融通の利かないアスペ脳の私を激しく混乱させるのだ。

母に見えている「世間」が、私には見えなかった。

見えないものの存在を信じるのは難しいし、それを行動基準にしようにも理解できないのだから従いようがない。

 

小学校に入って同じように意味不明な事態に直面すると、必ず母にどういうことなのか尋ねてみたのだが、母もまた明快な答を出してくれない。

小学校の担任に不可解なことで叱られたと母に相談したら、母が取った行動は菓子折りを持ってその担任を訪問する、というものだった。

なぜ叱られたのかを誰も教えてくれないから私の中では未解決の謎のまま残ったし、何故菓子折りでそれが解決するのかもわからない(当時小学1年生だった)。

そのうえ、「お父さんはこういうことするのが大嫌いだから、絶対に言っちゃダメよ」と私に言い含めたのだが、その理由がわからなかったので私はあっさり父に喋ってしまった。

父が何故、担任に菓子折りを送ると嫌がるのか、それもわからなかったからである。

母は父に咎められたらしく、後で「あんたが喋るからバレちゃったじゃない!」と私にプンプン怒っていた。

隠し事をするなといつも言ってるのは自分じゃないか!

何もかもが不思議で、なんだかとっても不当なことをされてる気分だった。

 

それでもまあ、成長するにつれて「世間とは建前と本音で分離しているのだ」ということがなんとかわかってきたものの、今度は「何が建前で何が本音なのか」という新たな難問に悩まされるようになった。

こうして努力をしつつ世界に順応しようと生きてきた私だが、相変わらず世界は謎に満ちており、他者が何を考えているのか皆目見当がつかない。

そして、私には見えないものを見ているかのように難なく順応している母を「俗物」として軽蔑しながらも、心の底でどこか羨んでいたふしもある。

「楽そうでいいなあ、何も考えない人は」という苦笑を含んだ羨望である。

 

ところが、認知症になった母にとって、突然、世界は理解不能なものになった。

今まで何の疑問もなく生きてきた世界が自分の認識と大きくズレていき、周りの他者も不意に見知らぬ他人に変貌してしまう。

知らない男が「おまえの夫だ」と名乗って家に居座っていたり、見たこともないけばけばしい女が「あなたの娘よ」などと図々しく近づいてきたりする。

慣れ親しんだはずの世界は理解不能なグロテスクな悪夢となり、他者が何を考え何を言っているのかまったく読めなくなってしまった。

 

皮肉な話である。

今の彼女は、幼い頃の私以上に戸惑い混乱しているだろう。

私にとって世界は最初から意味不明であったが、彼女は違う。

たとえそれが自分の脳内の妄想だとしても、彼女の目は「世間」が見えているつもりだったし、彼女はそこで完璧に自分の役割を果たしていたはずなのだ。

現実には、彼女が存在していると信じていた「世間」なんてものは彼女の勝手な思い込みに過ぎず、じつのところ実在していなかったのだと思うが、それでも彼女はその「脳内世間」というコミュニティに所属し安心しきっていたのである。

その地盤が、今、根底からガラガラと崩れ落ちている。

 

ウサギの穴に落ちたアリスのように、難解で無意味な言葉を吐き散らす登場人物たちに翻弄され、次々と奇妙な出来事が襲いかかり、しかもどうやら間違っているのは周囲ではなくて自分らしい。

あ、なんという「不条理世界」に迷い込んでしまったのだろう。

彼女はきっとそう感じて、ひどく困惑し怯えているに違いない。

でもね、お母さん。

世界は最初から不条理だったんだよ。

 

他者はどこまでいっても他者であり、自分と同じ価値観など共有していない。

今まで信じていた規範や常識は、すべて自分の妄想にすぎなかった。

本当の世界がこんなにも不条理で意味不明なものであったことに気づいた彼女は、私から見ると、長い長い夢からようやく醒めた眠り姫のようだ。

だが、彼女自身にしてみれば、目覚めているつもりなのに抜け出せない悪夢に閉じ込められた気分なのだろう。

 

我々は蝶の夢を見ている人間なのか? 誰かの……いや、自分の夢の中の蝶なのか?

「胡蝶の夢」という永遠に解けぬ問いを胸に、私と母は別々の地獄を生きている。

(つづく)

 

 

イラスト:トシダナルホ

 

 

 

 

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編集・構成 MOC(モック)編集部
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PROFILE

中村 うさぎ

1958年生まれ。エッセイスト。福岡県出身。
同志社大学文学部英文学科卒業。
1991年ライトノベルでデビュー。
以降エッセイストとして、買い物依存症やホストクラブ通い、整形美容、デリヘル勤務などの体験を書く。

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