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自立と孤立、依存と共存 中村うさぎ連載コラム 〜第41回〜

 

 

〜連載第41回〜

自立を目指して生きてきたら、いつの間にか孤立していた。

依存症に苦しんでたら、共存という新たな道が見えてきた。

これは、そんな私の半生の話です。

 

 

我々には「なりたかった自分」と「死んでもなりたくない自分」がある。

「なりたかった自分」というのは、多かれ少なかれ似たり寄ったりではないかと思う。

美しく賢く才能にあふれ、他者から愛され崇拝される自分だ。

そのうえ性格が良ければ、なおのことよろしい。

 

だが「死んでもなりたくない自分」というのは、人それぞれであろう。

他人に媚びる卑屈な人間にだけはなりたくないという人もいれば、他人に媚びてでも世渡り上手で成功する人間の方を良しとする者もいよう。

平気で嘘をつく人間を激しく嫌悪する私のような者もいるし、嘘には寛容だがふしだらで下品な人間が大嫌いという人もいる。

 

母は「男に媚びるふしだらな女」が大嫌いだった。

近所の奥さんがちょっとモテ話などすると、その場ではニコニコ聞いているが、陰では「自分をいくつだと思ってるのかしらねぇ。子供もいるのに、いつまでも浮ついててみっともない」などと口を歪めて汚らわしげに批判していた。

そのくせ、自分が若い頃にモテた自慢話は、ちょいちょい私に聞かせていた。

 

なかでも母のお気に入りは、姉の結婚式で新郎側の友人から見初められたというエピソードだ。

しかし母は既に父と婚約していたので、丁重にお断りしたそうである。

この逸話のキモは、あくまで母には「モテる気などなかった」ということだ。

自分はもう結婚相手が決まっていたから、それ以外の男に目もくれてなかったのだが、先方が勝手に母に岡惚れした、という構図である。

「私にはそんな気なかったのにぃ~」というやつだ。

この話はよほど母の「女としてのナルシシズム」を満たしたらしく、何度か聞かされた記憶がある。

 

このような母にとって、露出度の高い派手な服を着て男の気を引く「ふしだら女」は、天敵とも言える存在だったのだろう。

女はあくまで慎ましやかに、服もメイクもナチュラルにしていてモテるのが理想なのである。

女の方から誘ったり言い寄ったりするのは「下品」なのであった。

 

なので、認知症になって私を娘だと認識できなかった母が、短いスカートを穿いて生足を出している私に激高して「ふしだら女」呼ばわりした時、私はしみじみ思ったのだった。

ああ、そういえば、お母さんはずっと私のような女が大嫌いだったんだよなぁ、と。

自分の娘だから大目に見ようとしていたのだろうが、じつのところ、私は母がこの世でもっとも軽蔑し「死んでもああはなりたくない」と思い続けてきた女の典型であった。

派手な服装、男好き、化粧も濃くてけばけばしく、平気で下ネタを言う下品な女。

愛する娘がそんな女になっていくのを、母はどんな気持ちで見ていたのだろう。

さぞかし苦々しい想いだったと推測されるが、小言など言うと何十倍も言い返されるのがわかっていたので、何も言えなかったのだろう。

 

自分が母の期待に応えなかったことは十分に承知していたが、ここまで母に敵視されるタイプの女になったという自覚は特になかった。

母にどう思われようが、気にも留めていなかったからである。

だが、母が私を憎々しげに睨みつけて罵倒した時に、母の積年の侮蔑と憎悪をこれ以上ないほど生々しく感じ取ったのだった。

母は既に母ではなく、女であった。

女として私を見、怒りと嫌悪感をあらわにしたのである。

 

私はずっと母に対して軽い侮蔑の念を抱いていた。

賢いわけでもなく、強さも果敢さもなく、ただただ誰かに依存して生きている羊のような女。

そのくせ妙に頑迷で、古臭い価値観に疑問も抱かず縛られたまま、世間体を気にして常に見栄と僻みの間を右往左往している女。

アホな女やなぁ、と、心の底から思っていた。

ただ、バカにしてはいたが嫌悪や憎悪は特になく、逆にそのようにしか生きられない母に同情的でもあった。

時代的にも、ああいう女でいるしかなかったのだろう、と。

 

だが、母にとって私のような女は、侮蔑だけではなく嫌悪の対象だった。

それは、母から夫を盗む天敵的な存在であり、モテたい願望をはしたないと思って封印してきた母の生き方を真っ向から否定する女であったのだ。

実際に父に愛人がいたとも思わないが、いたとしても間違いなく私のような女ではなかったと思う。

父もまた、派手な女が嫌いだからだ。

商社マン時代に接待で銀座のクラブなどにも行っていたようだが、そのような「夜の女」を彼が軽蔑しているのは明らかだった。

だから、もし彼が愛人を持ったとしても、母と同じような地味で従順なタイプを選んだに違いない。

実際のところ、母の「天敵」は、母と同類の女だったわけである。

だが、母の中では、それは私のような派手で奔放で下品な女なのであった。

何故なら、そういう女の方が何の屈託もなく敵視できるからだ。

仮想敵というものは、リアルであることよりも、むしろわかりやすく類型的であることが求められる。

 

私と母は、特に仲が悪かったわけではない。

母は私の言いなりといっていいほど私を溺愛して甘やかしてきたし、私は私で母を嫌ったり憎んだりした覚えはない。

世間には激しく憎み合う母娘もいるので、その人たちに比べれば、私たちは普通に良好な関係の母娘だったと思う。

だが、そのじつ、私たちは心の底で互いを軽蔑し合っていたのだった。

母は私を「女の敵」の典型とみなし、私は母を「男尊女卑を疑いもなく受け容れている不自由な女」と思っていた。

 

ただ、私たちが互いに抱き合っていた「軽蔑」には質の違いがある。

私は母のような女をバカにしていたが、憎む気持ちはまるでなく、むしろ憐憫の情すら抱いていた。

一方、母の方は、私のような女を軽蔑すると同時に激しく憎んでいたのである。

「軽蔑」も「憐憫」も、明らかに「上から目線」の賜物だ。

互いに軽蔑し合っていたのだから、互いに憐れんでいてもおかしくないのに、母の軽蔑には憐憫よりも憎悪が強く含まれていた。

それは何故だろう?

 

それは、彼女にとって「ふしだらな女」が「脅威」だったからだ。

派手な服装を身にまとい男を誘惑するような女は、彼女から夫を奪い、「妻の座」という彼女の唯一のアイデンティティの礎をも侵害する。

が、私のような女は、母のような女から何も奪われる心配はない。

私の自由も権利もアイデンティティも、何ひとつ彼女は奪えないのだ。

そういう意味では、互いに軽蔑し合っていたとはいえ、この二種類の女の立場は対等ではない。

その「不均衡」が、彼女をますます苛立たせ、怒りや憎悪を増幅させたのだろう。

 

母と私の間にあった目に見えない「女の戦い」が、母の認知症によって、一気に目の前にあらわになった。

不謹慎だが、私はそれが面白くて仕方ない。

母と私の関係は、この社会に蔓延する「女の戦い」の縮図に他ならないからである。

(つづく)

 

イラスト:トシダナルホ

 

 

 

 

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編集・構成 MOC(モック)編集部
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PROFILE

中村 うさぎ

1958年生まれ。エッセイスト。福岡県出身。
同志社大学文学部英文学科卒業。
1991年ライトノベルでデビュー。
以降エッセイストとして、買い物依存症やホストクラブ通い、整形美容、デリヘル勤務などの体験を書く。

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