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自立と孤立、依存と共存 中村うさぎ連載コラム 〜第45回〜

 

 

〜連載第45回〜

自立を目指して生きてきたら、いつの間にか孤立していた。

依存症に苦しんでたら、共存という新たな道が見えてきた。

これは、そんな私の半生の話です。

 

 

昔、イギリス人の男性から英会話の個人レッスンを受けていたことがある。

その時に、クジラを巡ってちょっとした議論になった。

彼が「日本人がクジラを食うのは残酷だ」と言うので、「イギリス人だって牛や羊を食うじゃないか。そんなの単なる食文化の違いだろう」と反論したところ、「牛や羊は愚か(Stupid)だからいいのだ。クジラには知性がある。知性の高い動物を殺して食うのは野蛮だ」と答えたので、心の底から呆れてしまった。

 

生命の価値は、知性の高さで決まるのか?

それなら、重度の知的障害を持つ者は健常者に比べて生命の価値が低いということになるけど、それでいいの?

そう尋ねたら、彼はなんだか急に歯切れが悪くなってモゴモゴと口ごもり始めたが、決して自説を曲げることはしなかった。

 

このように、人間はまったく無自覚に差別意識を抱えており、それに気づかないまま奇妙な正義を振りかざす。

今でこそ人はナチスのアーリア人至上主義の優生思想とユダヤ人大量虐殺を批判するが、「クジラは賢いから殺しちゃいけないけど、牛や羊は愚かだから殺してもいい」という理屈とどこが違うというのだろう?

もちろん、彼はヒットラーのような人間ではない。

「おまえはヒットラーだ」と言われたら激昂するだろう。

が、言ってることは同じだ。

自分がヒットラーとさほど遠く離れた人間でもないことを、彼は自覚すべきだと思う。

 

私は昔から、「正常と異常」の境界がよくわからない。

みんなが「正常」だと信じていることは、本当に「正常」なのか?

「正常か異常か」なんて、単に多数決の問題ではないか。

ヒットラーの優生思想は、誰もが無自覚に抱えている差別意識だ。

そういう意味では、我々はみんな、ヒットラーと同類である。

「相模原殺傷事件」の容疑者に対しても「理解できない異常な人間」と述べる人が多いが、彼の主張する「障碍者は税金の無駄遣い」は杉田水脈氏の「生産性のないLGBTに国の予算を割く必要はない」という論文とほぼ同主旨ではないか。

もちろん杉田氏は「だからLGBTは死んだ方がいい」などとは言ってないが、「生産性の無さ」で言えば知的障碍者も同様であり、要するに彼ら彼女らは「人間の生きる価値」を「社会への貢献度」と考えているわけだ。

だが、杉田水脈氏を批判する者は大勢いるものの、異常者扱いした者はいない。

それは彼女が人を殺してないからだが、たとえば国家の危機か何かで人殺しが正当化される機会さえあれば、こういった差別意識の矛先が真っ先に「無駄な人間たち」に向けられるのは明白だろう。

 

私はヒットラーも相模原殺傷事件の容疑者も杉田水脈氏も、「理解できない異常者」とは思わない。

その優生思想には大いに批判的であるが、理解不能ではないからだ。

我々は他者を安易に格付けする。

そして、その格付けが「差別」だなどとは露ほども思っていない。

しかも、その格付けにおいて、自分自身は決して「不要物」には含まれないのだ。

何故なら我々はみんな、自分の「生きる価値」と「生きる権利」に疑いを持たないからである。

 

私たちは何故、他者を簡単に「生きる価値のない者」などと決めつけながら、自分の「生きる価値」には疑いを持たないのか。

それは、自分がかわいいからだ。

自分にとってかけがえがなく、この世の何よりも大切な「私」は、当然のように「生きる価値のある存在」だ。

ところが、他者にとっても「自分がこの世でもっとも大切な存在」であることには思いが及ばない。

それは想像力の欠如ではなく、他者を自分と同等の人間だと思っていないからである。

 

非常識なわけでも、頭が悪いわけでも、精神異常でもない。

ただただ、傲慢でナルシスティックな人間なのだ。

そして、その「傲慢なるナルシシズム」は、我々が誰しも抱えているものである。

だから私は、彼らを「理解不能」などとは思わない。

むしろ、きわめてわかりやすいナルシストたちだと感じる。

他者に向ける視線は容赦ないが、自分自身に向ける視線は限りなく甘い。

自分を相対化できない人間であり、人間なんてものはそもそもそういう生き物だ。

我々は主観の檻から一歩も出ることができず、自分を相対化できない。

努力を怠れば、あっという間に独善的な正義に目がくらむ。

そして、その「正義」のためなら、他者をゴミのように踏みにじることなど何でもない。

 

偉そうにこんなことを書いているが、もちろん私だってそんな愚かな人間のひとりである。

隙あらば他者にマウンティングし、自分の価値を確認しようとする。

ブランド物狂いは、そうした私の一面が顕著に表れた象徴的な行為ではないか。

 

「買い物依存症」と、それに続く一連の浪費行為は、私をひどく絶望させた。

それは、自分に対する「絶望」である。

自分が思った以上に愚かで俗悪で卑屈な人間であったことを、これでもかという形で突き付けられ、まったく弁明の余地もなかった。

だが、あの時に自分に絶望しておいてよかった、と、今では思う。

そうでないと私は、自分を正当化し独善的な「正義」を振りかざすことに何の躊躇も疑念も持たない人間になっていただろう。

いや、今でも基本的にはそういう人間であるが、多少なりともそこで「自分ツッコミ」を入れられるくらいには大人になったと思う(苦笑)。

 

人生とは「自分を巡る物語」であり、それはともするとナルシシズムに歪められたグロテスクな世界観のもとに描かれるフィクションである。

そういった世界観のひとつが「優生思想」だ。

要するに、「私には生きる価値がある」と言いたいがために他者を格付けし、自分より劣る者を「生きる価値」のない人間と決めつけるわけだ。

我々はみんな、「私にはいかに生きる価値があるか」というテーマで自分の物語を構築している。

「他者に必要とされたい」という承認欲求も、そのひとつではないか。

必要とされることで、自分に「生きる価値」が発生する。

フェイスブックやインスタグラムは、そうしたナルシスティックな「私物語」で溢れかえっている。

 

我々はもっと、己のナルシシズムに自覚的になるべきであろう。

自分の思想や価値観や行動原理が、ほぼすべてナルシシズムを満たすための「自分よしよし人生物語」であることを認めようではないか。

誰かに必要とされなくても、誰にも認めてもらえなくても、あなたに「生きる価値」はあるのだよ。

だから、誰かを踏み台にして自分の価値を正当化する必要はない。

自分が正しいと思いたいだけの貧しい正義に騙されるな。

あなたは、正しくない。

それでいいんだ。

何故なら、正しい人間なんて、この世のどこにも存在しないのだから。

(つづく)

 

イラスト:トシダナルホ

 

 

 

 

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編集・構成 MOC(モック)編集部
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PROFILE

中村 うさぎ

1958年生まれ。エッセイスト。福岡県出身。
同志社大学文学部英文学科卒業。
1991年ライトノベルでデビュー。
以降エッセイストとして、買い物依存症やホストクラブ通い、整形美容、デリヘル勤務などの体験を書く。

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