多くのがん患者を診て、“お診取り”もしてきた長尾和宏先生は、社会に溢れる医療情報にやはり敏感です。
しかしながら、玉石混合の情報が飛び交うのが現代の特徴。正しい情報を選び取るのは簡単なことではありません。病気と向き合い、健康な人生を送るためにはどんな行動が必要なのか、貴重なお話を伺ってきました。
──長尾先生の著書ではがんをヤクザにたとえていますね。医療関連本で「ヤクザは」というキーワードがこれだけ出てくるのは珍しい……、というか初なのでは(笑)?
ある意味、がんはヤクザと一緒なんですよ。極論すれば、どうやって共存していくのか。がんもやさしいがんもあれば、むちゃくちゃ行いが悪いがんもある。やさしいかと思っっていたら、ある日急に暴れ出して、親分(幹細胞)が子分(肉細胞)をばらまいたりもします。
──素朴な疑問なのですが、抗がん剤でがん細胞を攻撃できるのですか。
そこもヤクザと一緒ですね。親分はそのへんをフラフラ歩いてないでしょう。がんも親分、つまりがん幹細胞には抗がん剤もなかなか近づけません。あるいは手術で親分を含めて切り取ったとしましょう。すると、親分がやられたことに反応して、どこかに残っていた子分たちが急に暴れ出すのです。よく起こるのは手術でがんの親分を取れたあと、急に子分が別のところに転移する。すると今度は、その子分が新たな親分、つまりまた新たながん幹細胞になるんです。
だからがんとの闘いはヤクザとの闘いと一緒。どのあたりで手打ちをするかが肝です。ドンパチやりすぎたら自分が死んでしまいますから。ところがそういうイメージをみなさん持っていないでしょう。「悪者は制することができる!抗がん剤でがん制することができる!」という誤ったイメージが今も多くの市民に残っている気がします。
──患者がそのように思い込んでしまう背景は。
医者と患者との間の“情報格差”が大きい。患者さんにはさまざまな治療には「やめどき」があるということを知ってほしい。現時点での情報の偏りが大きい。世の中で注目を浴びるのは、つねに極論です。それに振り回されていたら不幸になります。
僕は薬を全否定しているわけではありません。適量があるんです。薬には「やめどき」があるんです。やはり使い方なのです。医療側はその薬が効く人と効かない人を選別しながら治療を組み立てていかないといけません。
──治療方針は、病気が治るか治らないかのみならず、今後の人生の送り方にも影響を与えますね。
がんで亡くなった著名人には、病名を公表する人としない人がいます。しかしメディアは死因を詳しく報道しようとしがちですね。しかし想像してみてください。ある人が自分は末期がんであり、余命があと少しだと宣告されたとしましょう。仕事をストップし、財産を整理し、自分の葬儀の準備まで済ませました。なるべく自分の死因を人に知られないように準備しているというわけです。そうして最期を迎えられた。メディアはそんな方の訃報を「○○さん、急死」と報じることがあります。
しかし、それは決して急死ではありません。死を受け入れて、ちゃんと準備して、平穏死を迎えた方ではないでしょうか。「がんが突然降りかかり苦しい最期」という構図とは限りません。
著名人は死因を公表するのが当たり前のように捉えられているからでしょうか。芸能人であろうが一般人であろうが、死を伏せたいという本人の意思は尊重されるべきです。
──小林麻央さん(フリーアナウンサー。乳がんの闘病生活をブログで綴っていた。2017年に早逝)は、自身の病名を公表していましたが、同じ病気の方の励みにもなっていました。小林さんのブログは、患者のリテラシーをあげるひとつのかたちのようにも思えます。
乳がんは“助かるがん”の代表格なので、小林麻央さんの死については「なんで?」という憤りや戸惑いを感じて涙を流す人もいらっしゃいますね。僕もその一人です。
──情報の信頼性の話といいますと、遺伝でのがんの発生率が5%という説は妥当でしょうか。
遺伝性のがんについてはいろいろ書かれていますが、そのあたりでしょう。一方、がんの遺伝子を受け継いでいても、発がんしない人もいます。アンジェリーナ・ジョリー(アメリカの女優。乳がんの因子があるとして、両乳腺の切除手術を受けた)はリスクヘッジしたわけです。ですが、数字って現実にはあんまり意味がないんですよ。どこまでも確率の問題で、現実は常に二者択一ですから。
確率には加齢というリスクも考慮しなければなりません。遺伝子の素因より加齢の要素がその発がんリスクにおける危険性を抜いていくのです。50歳、60を過ぎてもがんを発症していないようでしたら、遺伝子による発がんは免れたと考えていいでしょう。どこまでも確率の問題ですね。
しかし遺伝子検査を受けて安心できる結果だったとしても、発がんの可能性がゼロというわけではありません。ただし、がん家系の方は人一倍気を付けたほうがいいですね。50代、60代以下で若くしてがんによって亡くなっている人が身近な家系に2人以上いたら、気を付けたほうがいいです。
──治療の選択肢は予想していたより幅広いように思えてきました。なにを選んで、生き抜いて、どう人生を歩んでいくかが大事ですね。
がんになっても納得して人生を生き抜いてほしいですね。どんな人生を歩むかを考えるとき、がんとの闘病を綴ったいい本がありますよ。
女優・川島なお美さんの『カーテンコール(新潮社、2015年発行)』、黒木奈々さんの『未来のことは未来の私にまかせよう 31歳で胃がんになったニュースキャスター(文芸春秋、2015年発行)』でしょ。あとは金子哲夫さんの『僕の死に方 エンディングダイアリー500日(小学館、2014年発行)』。これらの本は本当に素晴らしい内容です。生身のことが書いてありますから。
僕が高校生のときに親父が自殺しました。死というものにそのとき目覚めたんです。半分大人のような半分子どものような年頃でしたが、「人は死ぬんだー!」というのが身に染みて、大きな虚無感に襲われました。今もそのトラウマの中にいます。
尾崎豊が亡くなったことも大きかったですね。彼の訃報を知った夜、病院の後輩を連れてカラオケに行ったんです。尾崎豊の歌を朝まで歌ったのを覚えています。僕はだらだら生きてきて、48歳という親父が死んだ歳をも越えて、ついに今年60歳になります。36歳で開業したときに「自分はまだまだ若い」と思ったのですがね。あっという間に還暦ですよ。盛大に還暦パーティーをしようか計画中なんですよ。生前葬です(笑)。
──闘病記や医療関連本に目を通すことで、治療、さらには人生に対する考え方が豊かになりそうです。
そうですね。そしてみなさん、自分が飲むかもしれない薬のことをもっとよく知りましょう。知らないまま飲んでいると、「薬害」の部分が大きくなってしまう人が相当増える。患者さんそれぞれの人生に寄り添った薬物療法ができる世の中になっていかないといけません。そしてそのためには、医者と患者の関係性がフラットである社会を目指さないと。
──医者と患者が信頼関係をつくり、一緒に病気と闘っていくような社会ですね。
それって、がんに限りませんよね。少子高齢化社会は今後ますます進みますから、認知症や介護も大きな課題です。そして医者も患者も、医療の仕組みや薬の裏側をもっと知りましょう。
世に医療情報は沢山ある中で本物と偽物を見抜く目を養いましょう。だから一見難しそうに思えることを「できるだけ易しく伝える」というのが僕のミッションだと思っています。伝えることが僕ができることなんです。淡々と本当のことを重ねていく。ひとりひとりの患者さんに教えていただいたことを、世の中におすそ分けしていきたいんです。これからも町医者として目の前の患者さんとしっかり向き合って、たくさんの病気を診ていきたい。
医者と患者のフラットな関係。そこから見える光景にはどんな地平が現れるだろう。きっと、人間と病気との闘いに終わりはない。ただし信頼関係の破たんが、誰かの人生を終わらせてしまう。そんな誰かを生まないために、そんな誰かにならないために、医療についてみんなで考えてみませんか? そしてみんなで勝ち逃げしよう。
長尾先生、命について考えさせるお言葉の数々をありがとうございました。
写真:澤尾康博 文:鈴木舞
編集・構成 MOC(モック)編集部
人生100年時代を楽しむ、
大人の生き方マガジンMOC(モック)
Moment Of Choice-MOC.STYLE