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西寺郷太の「ポップ・ステーション」駅:其の四 U2(後編)

 

 

前回のU2(前編)では、年月を重ねても揺るがないメンバーの深い絆に驚かされました。連載第七回目となる今回は、時計の針をぐ~っと過去へ戻したつもりでお楽しみください。時は1993年の冬。右手の車窓に見えますのは、若かりし郷太駅長の胸を躍らせたU2との思い出です。

 

 

――筋金入りの音楽マニアだったという学生時代。雲の上の存在である憧れのミュージシャンを、少しでも近くで感じたかったのでは?

 

今から25年前の、1993年12月。僕は大学二年生でした。1973年11月27日生まれなんで、ほんと20歳になったばかりの頃で。当時、東中野で一人暮らししてたんですよね。早稲田大学には、東西線の落合駅を使って二駅ですし、高田馬場に出るのも新宿に向かうのも楽で。中野ほど家賃も高くなかったのも大きい理由かもしれません。最近、大学時代のことをよく思い出すんですよね。1992年4月から96年3月まで。まさに、この前話したジャミロクワイとか、ビョークとか、ベックとか、雑誌を読めばオアシスとブラーが大げんか、みたいな、そんな時代でした(笑)。 大学二年生の頃、僕は学校と、バイト先の新宿のレーザー・ディスク・ショップ(映画館松竹が経営する「松竹ビデオハウス」)を行き来する生活でした。それともうひとつ、二年くらい不定期のバイトをしてたんですが、それが、ライブ会場のスタッフのバイトです。元々は大学一年生の頃、1992年冬のマイケル・ジャクソンの『デンジャラス・ツアー』に、どうすれば全公演参加出来るだろう、って考えたところから始まっていたんですよ。

 

 

――そのエピソード、確かどこかで読んだことがあります。郷太駅長の書籍でしたっけ?マイケルのコンサートの手伝いとして潜入して、搬入から片付けまで参加した話ですよね?

 

です(笑)。もう、マイケルのファン過ぎて、コンサート観に行くだけじゃなくて、手伝いたいと(笑)。出来ることがあれば、なんでもやろうとそういう感じでした。実は18歳の夏休みから秋にかけて2ヶ月くらい、僕はフランスに語学留学してたんです。プランタジネット朝のアンジューって町の大学でした。その時に、ちょうどマイケルが『デンジャラス・ツアー』でヨーロッパを回っていたんですね。その時、チケットを持ってた現地の仲間からマイケルのコンサートに一緒に行かないか、と誘われたんですが、行き先が確かベルギーで。行き帰りすると学校を数日間サボることになるんですね。当時まだ未成年で、さすがに国境を越えてコンサート観に行くことも出来ず涙を飲んだことがあって。でも、そういうエピソード思い出すと、若い頃の感覚思い出しますよね。大人になれば、なんとしても自分の判断で動くじゃないですか?とは言え、そういう時期だからこその音楽やアーティストへの渇望もあるわけで。だから、マイケルがその冬に日本に来てくれると知った時、嬉しかったですね。 結果的に僕が英語を喋れたのと、音楽の知識、特にサポート・ミュージシャンの皆さんに詳しかったりしたんで、社員の皆さんが僕を頼りにしてくれる場面も多くて。楽しいバイトでしたね。そこから、数年間、沢山のミュージシャンのツアーでバイトしました。 で、大学二年生の冬、1993年12月に、大名盤『ズーロッパ』をリリースしたばかりのU2が来日公演を行ったんです。当然のように二日間バイトに入りました。 彼らが来日中のこと。ツアーの前だったか、後だったか、前後関係は少し覚えてないんですが。レーザー・ディスク・ショップでのバイトのために新宿駅で山手線を降りたら、なんとU2の4人が写真撮影をしていたんです。びっくりしますよね。

 

 

――すごい!    

 

そうでしょ、ホームにU2(笑)。タイミングも凄いですし。「うわ!U2やん!!」って。でも周りの人は、確か平日の午後で。そんなに人もいなかったんですよね。いたとしても年配のサラリーマンが多かったような。誰も気づいていないに等しい状態でした。4人とカメラマンを含めたスタッフが数人って感じでした。Twitterや、携帯電話もない時代ですしね。今だったら、「新宿駅にU2」みたいなトレンドになるんでしょうけど。当時は、話題になりようもなくて。普通の外国人観光客数名が記念撮影してるな、ぐらい。で、僕が話しかけに行ったんですよ。まず最初は、ヴォーカルのボノに。

 

――おー!

 

「僕、あなた方の、大ファンなんですよ」みたいな(笑)。「で、実はあの、僕、あなた方のツアーでバイトもしていまして」って言って……。「バイトする予定で」って言ったのか、前後関係は覚えてないんですけど、多分ライブの後だった気がするので。そしたら、「Oh!Thank you!」みたいな、感じだったと思うんですけど。

 

――忘れられない思い出ですね。

 

ボノは168センチなんで、僕とそんなに変わらなくて、背が低いんですけど、物凄く胸回りが分厚くて。あれだけの声を出せるのはこの体があるからだな、流石だな、と!

 

――印象に残っているのがそこですか(笑)?

 

樽みたいな体型をしていて(笑)。太っているんじゃなくてガタイがいい。流石に25年前の記憶なんで、あいまいな部分もあるんですが、時間があるようだったので全員と軽く話しました。ラリーとはドラムの話をしましたね。僕、当時ドラマーだったので、彼のストイックだけど自己主張がちゃんとあるドラムが大好きで。90年代前半の『西寺郷太ヒストリー』の大きな出来事でしたね(笑)。 そのときも彼らは、仲良さそうにしていましたね。その後、友達や音楽仲間にその話を興奮してしたんですけど、ま、信用しづらい話じゃないですか。流石に「嘘ついてる」とまでは思われてなかったはずですけど、ふーん、凄いなくらいの。実感あるの僕だけですし(笑)。ほら、今なら一緒に撮った写真見せたりとか、まさに「いいね!」がつきそうなエピソードですけど。で、ですね。

 

――はい。

 

この前、グラミー賞でケンドリック・ラマーと共演した流れから、久々にU2のことを考えたんでしょうね。何気なくまた『アクトン・ベイビー』や『ズーロッパ』が聴きたくなって。ふと、ツイートしてみたんですよ。さっき話した「ボノたちと新宿駅で会ったエピソード」の下に検索して見つけた写真を貼っつけて。「新宿駅で話しかけたなぁ」って。そうしたら、U2に詳しい Shimiken さんという方が、『U2:At the End of the World』という本で、新宿駅で若者が話しかけてきたという描写があるのだが、西寺さんだったのか!って、反応してくださって。

 

――え、郷太さんのことが、本に載ってるということですか?

 

びっくりするでしょ。25年前なんで、まさに僕、20歳で「若者」だったんですよ(笑)。あと、確かに誰も話しかけてなかったんですよね。僕以外は。もしかすると気を遣っていた人がひっそり見てた可能性はあるんですけど。僕もしばらく様子を見てて、大丈夫そうだな、と思って声をかけたはずなんで。いきなりだと失礼じゃないですか、いくらなんでも。で、ネットでその本を買ってみて、英文で確認したんですけど、確かに載ってるんですよ。そのエピソードが。ビル・フラナガンという方が同行されてて、ルポルタージュとしてその当時のU2の世界ツアーでの出来事を細かく書き記してたんですけど。僕らしき「若者」が、たったひとり声を掛けてきたと。

 

 

――凄過ぎますね(笑)!

 

ただ、その「若者」なんですけど、ウォークマンして音楽聴いてたのを外して、いきなりボノの耳に聴かせて「あなたの曲を聴いてます!」みたいなことをしたらしいんですけど、そこまではしてないと思うんですよ(笑)。無茶苦茶じゃないですか、いきなり耳に突っ込むなんて(笑)。もしかすると、当時CDウォークマンか何かを聴いてて、シャカシャカした感じで「今まさに、聴いてました!」くらいは言ったかもしれませんが。少なくとも、ビル・フラナガン的なスタッフは、ちょっと離れたところにいたんですね。だから、僕とボノやエッジ、アダム、ラリーとの会話を全部その人が聞いていたわけではないので。 描写的にボノやメンバーが嫌がっていた感じではなくて、この世界の東洋の隅っこにも「U2ファンの若者」は存在するし、電車のホームで出会う偶然もあるよ、みたいな比較的いい感じのエピソードとして記されてたんで良かったです(笑)。もしかすると、僕の他にももうひとり「若者」は存在して、いきなりヘッドフォンをボノの耳に当てたのかもしれませんけど(笑)。ともかく、最近、大学時代のことを思い出したり、色々92年から96年までのことを振り返って考えてたんで、タイムカプセルを開いたみたいな嬉しい出来事でしたね。

 

 

――そして、改めて伺ってみて、今もU2が、その4人のまま活動して、そして郷太さんもプロとして長い間過ごされて、今その事実が知らされるということも感動しました。

 

いや、本当に。そういった意味でもU2って、凄いバンドだと思いますね。最前線で今も輝き続け、なおかつ仲がいい。もちろん、メンバー間の関係が厳しくなったこともなくはないんでしょうが、4人で乗り越えて、2018年に存在する。だからこそ、こんなエピソードも「単純に楽しい思い出」として話せるわけですからね。普通は誰かが亡くなったとか、そういうせつなさが伴うんですけどね。また、何度目かの「U2にハマる」期に突入するだろうな、って思ったりもしました。来日公演してくれるといいですね。

 

 

U2にばったり出会うだけに止まらず、その出来事が彼らの記憶にも刻まれていたなんて。郷太駅長の強運というか幸運というかが、ちょっと憎い……!好きなものをひたむきに追いかける人間には、思いがけないチャンスが回ってくるのかも。 次に向かうはイギリスのミュージックシーン。ポリスの魅力に迫ります。

 

写真:杉江拓哉 TRON   取材:鈴木舞

 

 

 

 

西寺郷太の「ポップ・ステーション」 駅:其の一(前編) マーヴィン・ゲイ

西寺郷太の「ポップ・ステーション」 駅:其の一(後編) マーヴィン・ゲイ

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西寺郷太の「ポップ・ステーション」 駅:其の二(後編) ジョージ・マイケル

西寺郷太の「ポップ・ステーション」 駅:其の三 ジャミロクワイ

西寺郷太の「ポップ・ステーション」 駅:其の四 U2(前編)

 

 

編集・構成 MOC(モック)編集部
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PROFILE

西寺 郷太

1973年東京生まれ京都育ち。早稲田大学在学時に結成したバンド『NONA REEVES』のシンガーであり、多くの楽曲で作詞・作曲も担当している。音楽プロデューサー、作詞・作曲家としては少年隊やSMAP、V6、KAT-TUN、岡村靖幸、中島美嘉などの多くの作品に携わる。また、ソロ・アーティスト、堂島孝平・藤井隆とのユニット「Smalll Boys」としても並行して活動。そして、日本屈指の音楽研究家としても知られ、特にマイケル・ジャクソンをはじめとする80年代の洋楽に詳しく、これまでに数多くのライナーノーツを手がけ、近年では80年代音楽の伝承者として執筆した書籍の数々がベストセラーに。代表作に小説「噂のメロディー・メイカー」(扶桑社)、「プリンス論」(新潮新書)など。テレビ・ラジオ出演、雑誌の連載などでも精力的に活動し、現在WOWOWのインターネット番組「ぷらすと」にレギュラー出演中。

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