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西寺郷太の「ポップ・ステーション」新宿駅 90s〜西寺郷太のカレッジ・デイズ(中編)

 

 

前回に引き続いて、今回も東京・新宿からお届けする西寺駅長の「ポップ・ステーション」。前編では、京都で生まれ育った駅長が、大学進学をきっかけに上京し、東京ライフを始めたばかりの頃のエピソードを語っていただきましたが、今回は大学卒業も間近、ノーナ・リーヴスが産声を上げる頃までのお話を。新宿から一本でアクセスできる駅に通っていた大学があり、バイト先があり……ここでは予想だにしなかった出会いもあり、ミュージシャンとしてのターニングポイントもあったようです。

 

 

──前回は、96年1月のプリンス〈ゴールド・ツアー〉の話で終わりましたが、ノーナ・リーヴスのバンドとしての活動も始まった頃で。

 

そうですね。ただ、それよりさかのぼること1年前、95年の初めから5月ぐらいまでにものすごく大きな変化が僕にはあって。

 

──えー、郷太さんが大学三年から四年になる頃ですね。

 

そうです。で、94年の終わりに、サークルで孤軍奮闘して組んでいた「SLIP SLIDE」というバンドでの活動が僕以外全員辞めることで終わるんですけど、最後のライヴのポスターを作ろうと思って、3コ上の先輩だった矢野さん(矢野博康。のちに土岐麻子、沖井礼二と共にCymbalsを結成。解散後は音楽プロデューサー、ドラマーとして活躍)に制作を頼んだんです。矢野さんはMacの〈Color Classic II〉を持っていて、すでに打ち込みで音楽を作ったりしてたんですよね。それで、当時、下井草にあった矢野さんの家まで行って、僕が手描きしたラフのデザインを見せながら、こんなふうな感じで作ってほしいって、それで作ってもらったんです。で、そのデータをフロッピー・ディスクに入れて、早稲田の印刷屋さんに行って、50枚ぐらい作ったかな。5000円とか自分で払って。当時はプリンターなんて家に持ってる人は少なくて。で、出来たポスターを大学の近所のカフェとかに貼ってもらったり、勝手に電柱に貼ったり(笑)。

 

 

 

 

──今なら怒られるどころの話じゃないかもです(笑)。

 

ですよね(笑)。そもそもそんなわけのわからないバンドのポスター見て来る人なんかいないですし、完全に自己満足の世界で。「Macでポスター作った!」みたいな。それでまあ、そのポスターに、問い合わせ先みたいな感じで僕の連絡先も書いてたんですけど、なんとこのポスターが僕の運命を変えるんですよ。早稲田にあった〈JERRY JEFF〉っていうロック・カフェ、よく通っていたんですがそこに貼らせてもらっていたそのポスターを見たって言う人から電話がかかってきたんです。訊いたら、凸版印刷の系列会社で働かれている棚倉千秋さんっていう方で。

 

「西寺さんですか?」

「はい!」

「『SLIP SLIDE』のポスター見て電話したんですが」

「えーー!はい!」

「このポスター、誰がデザインされたんですか?」

「それは僕が先輩の家に行って作ってもらったポスターです」

「デザイン、できるんですか?」

「デザインしたのは僕です」

「Macは使えますか?」

「いや、ぜんぜん使えないんですよ」

「でも、できてるじゃないですか」

「いやいや、だから、こういうふうに作ってって、絵に描いて、それを先輩がそのまま形にしてくれたんですよ」

「(ちょっと迷ってから)でも、デザインしたのは西寺さんってことですよね」

「ですね、厳密に言えばそうです」

「今、Macでデザインができる若い人を探してまして、ちょっとバイトでやってみませんか」

「でも、Macは使えない素人ですよ」

「覚える気はありますか?」

「ぜんぜんあります! めっちゃ使いこなせるようになりたいです!」

 

……ってことで、秋葉原にある会社まで訊ねていったんですよ。そしたらその場で採用されて。で、そこでのバイトが始まったんですけど、初日から「おまえぜんぜん使えへんやないか!」って言われて(笑)。僕が「いや、だから、言ってましたやん!」って言ったら、「フツー、謙遜かと思うだろ」って(笑)。「いやいや、僕ど素人だって何回も言うてたじゃないですか」って。

 

 

 

 

──漫才みたいですが(笑)。

 

それでもまあ、働かせてもらえてたんですけど、当時、インターネットで世の中が変わるって言ってた時期で、凸版印刷といえば超一流の会社ですけど、このままじゃ印刷の需要が減っていくかも知れないってことで、僕がバイトで入った電子メディアサービスは、たとえば形の丸いものに印刷するとか、CD-ROMの表面に印刷するとか、データやネットだとか、いわゆる紙以外のものに印刷したりデザインしたりってのを推し進めてたんですね。で、そこに通い始めたわけなんですけど、誘ってくれた棚倉さんていう人も当時20代後半、兄貴肌の音楽好きな人で。僕が作ったデモを聴いてもらったりしてたんです。プリンスとかも好きだったんちゃうかな。聴いてもらったけど、「え?これでプロになろうと思ってんの?」「いいところも無くはないけど、正直ぜんぜん無理だろ」みたいな手厳しい意見をもらって。そのうえ、そこにいた数人の先輩にも「ミュージシャンじゃなくて色々覚えてデザイナーになれよ。そっちの方が未来あるよ。今だったらぜんぜん採用できるから」なんてことも言われて。当時の社長もめっちゃ親切で「郷太、お前なんか面白いからウチに来てもいいぞ」みたいな状況だったんですよ。

 

 

 

 

──いやしかし、ですよね。

 

Macを覚えて曲作ったり、デザインすることにはめちゃくちゃ興味があったんですけどね。で、その話をオカンにしたら「凸版印刷に就職できるの!?」ってえらいハッスルして(笑)。いや、そこまではっきりとした話でもないし、オレはする気ないし、部屋でじっとして仕事してたらウンコしたくなんねん。体質は変えられへん。絶対にイヤや、って(笑)。そしたらオカンが「じゃあ、Mac買ってあげるさかい、先輩や社長さんの意見を聞いてデザイナーになって凸版印刷に就職させてもらいなさい」って。でまあ、むちゃくちゃMacが欲しかったから、「え?まじで、ほな考えとくわ」ぐらいの感じで匂わせておいて、Macを買ってもらって。

 

 

 

 

──ちょっと後ろめたい気持ちもしますが……(笑)。

 

でも、卒論書く時に役立てましたから(笑)。でまあ、そんなこと言ってるあいだに、そこの職場に湧井正則さんっていう方が新しくバイトで入って来たんです。僕より5コか6コ歳上だったんですけど、バイト先に入って来た意味では僕のほうが先輩だったんで、「僕、ミュージシャンになりたいんですよ」なんて話をしたら、「僕も音楽やってます」って敬語で丁寧に答えてくれて。で、「郷太さんは。どんな音楽が好きなんですか?」って訊かれたので、「僕はビートルズとモータウンが好きなんです」って言うたんです。で、今度は僕が「湧井さんはどんなん聴くんですか?」って訊いたら「なんでも聴きます」って。なんやねん、そんなん答え方あるんかい!って思って、一瞬腹立ったんですけど(笑)、実際自分がそれまで会った先輩の中でも一番くらいにホンマにどんなジャンルでも聴く人やったんですよ。僕は主に60sや80sの洋楽が好きで、たとえばホール&オーツなんかも80年代の作品を好んで聴いてたんですけど、『アバンダンド・ランチョネット』とか70sのイナタイ感じの作品とか、フリートウッド・マックの良さなんかも教えてくれたのが湧井さんで、言ってしまえばかなりの音楽ヲタクだったんですよね。

 

 

 

 

──タダモノではない感じですね。

 

そう、それだけじゃなくて湧井さんは、STARWAGONっていう3ピース・バンドのベース/ヴォーカルをやっていて、インディーですでにCDを出してたんですよ。うわっ、すごい!と思って、CDはどこに売ってるんですか?って訊いたら、「どこでも売ってるけど、池袋のタワーとかで売ってるかも知れないなぁ」って言われて。実はそれって彼の作戦だったんですけど(笑)。それを素直に聞いて池袋のタワレコに行ってみたら、なんとSTARWAGONが面出しで売られてたんですよね。腰抜かしましたね(笑)。湧井さんは池袋タワーで大プッシュされてるのを知ってて「池袋のタワーなら売ってるかもしれない」って白々しく言ったんですよ。そういう人で(笑)。で、当時池袋タワーで働いてたのが、この後すぐに仲良くなるんですけどPEALOUTのドラマーだった高橋浩司さん。“STARWAGONを聴かなきゃ終わってる”“史上最強のインディー・ギター・バンド”みたいなPOPが書かれてて。もう、身近でCD出してる人なんていなかったから、めちゃくちゃびっくりしたし、聴いてみたらめっちゃかっこよくて。次の日から湧井さんを崇拝するようになりました(笑)。だって、ミュージシャンになりたいと思ってて、同じ職場にCD出してる人がいるわけですよ。湧井さんとは4年くらい濃密な関係を過ごさせてもらいましたね。弟のように慕ってました。

 

 

 

 

──STARWAGONは、ティーンエイジ・ファンクラブなどと比較されていた歪み系のギター・バンドでした。

 

のちにPENPALSを結成する上条兄弟がいたバンドで、湧井さんも最初はベース/ヴォーカルでしたけど、そのあと上条兄弟と一緒にPENPALSを組むことになるハヤシムネマサ君が入って4人組になるタイミングで。湧井さんが、ギター/ヴォーカルになるんですよ。で、湧井さんに「ライヴ観に来てよ」って言われたんで、はよぉ言うてくださいよって、初めて観に行ったのが、95年の4月22日。STARWAGONとPEALOUTとN.G.THREEとバブルバス。下北沢のClub Queに行ったらね、溢れんばかりのお客さんが来てて。ドアを開けても入れないみたいな。それまでサークルでやってたバンド連中って、自分の知り合いぐらいしか来てないライヴばっかだったから、もうびっくりしましたよ。若い女の子もいっぱい来ててね、とくにN.G.THREEの新井仁さんが人気だったんですよね。で、そういうライヴを観て、とにかく自分ひとりででもいいから音楽を作ろうって、改めて思って。それで始めたのがノーナ・リーヴスなんですよ。まずは買ったMac「LC630」で、ノーナ・リーヴスのロゴや、デモのカセット・レーベルを作ることから始めました。

 

新たな出会いと運命に導かれて、小さな、しかしたしかな一歩を刻み始めたノーナ・リーヴス。しかし、ここではまだ最強のトライアングルは完成していない。ミュージシャンとしての覚悟を決めた西寺駅長が、このあとどう動いていくのか。お話のつづきは次回の後編で。

 

写真:杉江拓哉( TRON)   取材・文:久保田 泰平

 

 

 

 

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編集・構成 MOC(モック)編集部
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PROFILE

西寺 郷太

1973年東京生まれ京都育ち。早稲田大学在学時に結成したバンド『NONA REEVES』のシンガーであり、多くの楽曲で作詞・作曲も担当している。音楽プロデューサー、作詞・作曲家としては少年隊やSMAP、V6、KAT-TUN、岡村靖幸、中島美嘉などの多くの作品に携わる。また、ソロ・アーティスト、堂島孝平・藤井隆とのユニット「Smalll Boys」としても並行して活動。そして、日本屈指の音楽研究家としても知られ、特にマイケル・ジャクソンをはじめとする80年代の洋楽に詳しく、これまでに数多くのライナーノーツを手がけ、近年では80年代音楽の伝承者として執筆した書籍の数々がベストセラーに。代表作に小説「噂のメロディー・メイカー」(扶桑社)、「プリンス論」(新潮新書)など。テレビ・ラジオ出演、雑誌の連載などでも精力的に活動し、現在WOWOWのインターネット番組「ぷらすと」にレギュラー出演中。

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