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西寺郷太の「ポップ・ステーション」駅:其の八 1995-1999〜ノーナ・リーヴスを動かした街、下北沢

 

 

今回、西寺「ポップ・ステーション」駅長が降り立ったのは、前回の新宿から小田急線に乗って10分ほどで到着する下北沢駅。90年代以降、多くのライヴハウスがオープンし、かつては〈下北系〉という言葉も生まれたほどの活況を呈したこの街は、西寺駅長にとって想い出深い街であり、ノーナ・リーヴスが本格的に活動し始めた、言わば〈ノーナ・リーヴスの始発駅〉。ここでの出会いがまた、ミュージシャン・西寺郷太を育んだようです。

 

 

──前回の話では、下北沢に来るようになって視界がパーッと開けたということを言ってましたよね。でも、下北沢に出入りするようになるまでは、上京してからちょっと時間がかかってるように思いました。

 

大学一年とか二年ぐらいまでって、「下北沢に行こう!」っていう発想がなかったんですよ。そこまで頭が回ってなかったし、情報も回ってなかったんですよね。当時は東中野とか高円寺に住んでいて、大学が早稲田だから、飲みに行くのも高田馬場だったり。新宿はバイト先だったからよく行ってましたけど、吉祥寺とか渋谷にはたまに行くなみたいなぐらいで。だからまあ、下北沢はどこにあるのか位置を把握してなかったですし、京都人にとっては外国みたいな感覚で(笑)。

 

 

 

 

──それがとあるきっかけで……というのは、前々回の〈90s〜西寺郷太のカレッジ・デイズ〉編で話してた、バイト先でSTARWAGONの湧井正則さんと出会って、ということでしたよね。

 

そう、そこから「下北沢のClub Queでライヴやるから観に来てよ」っていうね。STARWAGONって、僕が初めて観た時には4人組だったんですけど、もともとは3人組で、湧井さんがベース/ヴォーカル、上条欽也、盛也っていうのちにPENPALSを組む双子の兄弟がギターとドラムで。それが、ちょうど僕とバイト先で会ったくらいのタイミングで、もともとギタリストだった湧井さんがギターに戻って、若いベースを入れたって言うんですね。そのベーシストが、お寺の息子の林宗應(ハヤシムネマサ)。彼は、のちに湧井さんが脱退して解散したSTARWAGONを引き継ぐ形でヴォーカルになって、上条兄弟と新しくPENPALSを始めるんですけど。その時には絶対的なフロントマンで。とは言え、STARWAGONの頃は、まだまだ彼は最年少の新入り。僕も、大先輩のバンドを観に行ったつもりが、ベースはたったひとつだけ年上、それも僕と同じお寺の息子っていうことで「林くん!」「お前が、よく湧井さんから話に出てくる郷太か、よろしく」言うて、仲良くなって。

 

 

 

 

──すごい偶然ですよね。お寺の息子さん、それもバンドやってるっていう人にそう会うこともないでしょう!

 

いやホントそうですよね。で、そういうのがきっかけになって毎日のように下北沢に行くようになって、そこでまた素晴らしいバンドに出会うんです。それが、エレクトリック・グラス・バルーン。時代的にいうと、フリッパーズ・ギターとかフィッシュマンズの世代の次というか、よりイギリスのアンダーグラウンドなギター・バンドを直輸入したみたいな感じで。ミディからCDも出してたし、すごく人気があったんですよ。もう、僕にとってのスターでしたね。そのライバル的存在がサニーデイ・サービスでね。元々デビューが少し早かったエレグラは、今はDJのSUGIURAMNとして活躍されている杉浦英治さんがヴォーカル/ギターで、筒井朋哉さんがギター、オクジャってあだ名の奥野裕則さんがベース、丸山晴茂さんがドラムっていう編成だったんですけど、晴茂さんが途中で脱退して。多分英治さんはロック・バンドとダンス・ミュージックとの融合がしたくて。ストーン・ローゼスやプライマル・スクリームみたいな。それには晴茂さんが合わないって判断だった気がするんですが、代わりに角田さんって名ドラマーが加入したくらいで僕はエレグラと知り合って。で、晴茂さんはそのあと同じレコード会社のサニーデイ・サービスに入るんですよね。僕がその2バンドを見はじめたのはちょうどその頃で。

 

 

 

 

──杉浦さんやN.G.THREEの新井仁さんは女の子にもめっちゃ人気ありましたもんね。

 

カッコよかったですからね。なにしろ。それに皆めちゃくちゃ優しくて。もうね、下北沢に来たら雑誌に載ってるようなバンドがいっぱいいて感動しましたよ。まさに「ブリット・ポップ全盛期」、毎日がお祭りでした。僕が下北に出入りするようになった、1995年4月24日に、オアシスの「サム・マイト・セイ」がリリースされて。8月に「ロール・ウィズ・イット」と、ブラーの「カントリー・ハウス」が同日発売。秋にブラーは『グレート・エスケイプ』、オアシスは「ワンダーウォール」「ドント・ルック・バック・イン・アンガー」も収録されてるアルバム『モーニング・グローリー』が出るみたいな。ワナダイズ、ブー・ラドリーズ、ティーンネイジ・ファンクラブ。真夜中のライヴハウスでDJが爆音でかけるとミュージシャンもファンも一緒になって皆、大熱狂。イベントの最後、朝方「ガールズ・アンド・ボーイズ」で狂ったみたいになって、ローゼスの「アイ・アム・ザ・レザレクション」が選曲されたら本当に終わりなんだなというか。あの一年くらいは金・土だけじゃなくて毎晩そんな感じでした。こんな街があるのかと。僕ね、大学進学で京都から出てきて、早稲田のサークルにいた先輩たちの演奏を見て「めちゃくちゃ上手いなあ!」って感動して、実際めちゃくちゃ音楽も詳しいし、今考えてもスキルはとんでもなかったんですけど、実際にライヴを観に行くとお客さんが同じ友達以外ほとんどいないんですよね。僕はできるだけ人を呼ぼうと頑張るほうだったんですが、好きでもないバンドのライヴに来続けてくれる人っていないんですよ。三年間、結局バンドも組めなくて、ダメで。自分の責任も大きかったんですけど、そういう空気のなかでどうしようかなあって超絶悩んでる時に下北沢に足を運んだら、ホントにすごいバンドがいっぱいいたわけですよ。そして同時代のギター・ポップの空気を浴びれて。そのなかでもエレグラはね、英治さんが書いてた歌詞がホンマに不思議な魅力を放っていて、マジで天才だと思ったんですよね。それで、ギタリストの筒井さんが厚木に住んでいたんですけど、深い時間まで飲んでたり仕事してたりして家に帰れなくなったら僕の高円寺の家に泊まりにくるようになって。

 

 

 

 

──バンド友達あるある、ですね。

 

でね、憧れの先輩ギタリストですし、仲良くなれて嬉しかったんですけど。筒井さんはめちゃくちゃ優しくて、ある意味しょうもない人っていったらあれですけど(笑)、帰れない日は来ていいですよって行ったら、1か月に25日ぐらい来るようになって(笑)。オレんちに住んでるやん!って感じだったんですけど(笑)、僕の家にMacとプリンターがある、それにデザイン出来るっていうことで、英治さんも「ちょっとバンドのフライヤー作らせてよ」なんて言うてきて。飲み会とかでもいつもの調子で喋りまくって人のこと笑わせてたら、なんかね、下北沢に出入りするようになって2か月ぐらいのあいだに、ペーペーだった僕がその界隈の顔役みたいになって(笑)。

 

 

 

 

──さすがのコミュニケーション能力(笑)。

 

割とおとなしいっていうか、東京周辺の出身で、まだ学生だったり、自宅に住んでる人も多くておっとりした人が多いコミュニティだったんですよね。僕は京都から上京してきて、絶対プロになるでみたいな野心に満ち溢れてましたから、ここや!俺の居場所は!下北サイコー!!みたいになって(笑)。ホンマ、よそのライヴの打上げとか、いろんなところでよくおしゃべりしてたし、誰にでも話しかけていってましたからね。それに、知らんことは知らんから「教えてください!」って言うし、良かったらものは「めっちゃ感動しました!」って言うし、あかんものは「僕はあんまりでしたわ」って素直に言う質だから、そういうのも先輩たちに気に入られたみたいで。で、エレグラの歌詞のことも「英治さんって天才ですわ、あんな日本語詞書く人今までいないでしょう!」っていうことをどっかで熱く話してたんですけど、誰かがね「杉浦くんも凄いけど、結局小沢くんのパクリだから」って言うたんですよ。「郷太、フリッパーズ・ギター知らんのか?聴いてみ、もちろん杉浦くんも天才だけど、小沢くんはやばいよ」って。僕はね、てっきり英治さんが独自でこういう世界を作ったと思ってたんですよ。僕は大学でアメリカ文学を専攻してて、英治さんの書く日本語の歌詞にそういった文学的な匂いがしたというか、ちょっとドライで、情景とかも浮かぶようで浮かばへんみたいな抽象的な歌詞も含めてめっちゃいいやんって思ってたんですけど、みんなが「あれは小沢健二っていう人の影響なんだよ」って。で、小沢健二ってそんなすごい人なんやって、その時に思って。

 

 

 

 

──そのへんも前々回の話で触れてましたけど、95年春の時点で、フリッパーズ・ギターや2人がソロになってからの作品をちゃんと聴いていなかったと。

 

『LIFE』が出た時も、スライ&ザ・ファミリー・ストーン『LIFE』のロゴまでパクってるやん(笑)、みたいな大学生っぽいヘンなちょっと上の世代に対する敵対視というのもあって、小沢さんの曲とか街中で流れてるのを聴いて「おっ!」と思ったことはあっても、言葉まで目がいってなかったんですよね。

 

──ええ。

 

で、ちょっと時間が戻るんですけど、僕と奥田と小松が大学の時に入ってたのが「トラベリング・ライト」っていうサークルだったんですけど、そのサークルはどちらかといえば60年代や70年代の音楽を愛している人が多くて、当時の若いミュージシャンの音楽を聴いてる人がほとんどいなかったんですよ。日本だったら、はっぴいえんどとかナイアガラとか。で、隣のサークルが、後にCymbalsを結成する土岐麻子さんとか沖井礼二さんとかがいた「MMT」っていうところで、そっちは割とみんな渋谷系にハマってたんですよね。「MMT」の先輩から自分のデモとかもらったこともあって、めっちゃイイやん!ってよく聴いたりしてたんですけど、あとあとになって考えると、それも小沢健二さんのパクリというか、影響受けまくりだったりしたんですよね(笑)。僕が「イイ歌詞書くなあ」って思った人ってみんな小沢健二さんのある意味フォロワーだと気づいて、それで95年の夏ぐらいに、フリッパーズ・ギターと小沢健二とコーネリアスのCD、それまで出てたオリジナル・アルバムを全部買ったんですよ。

 

 

 

 

──フリッパーズ・ギターの3枚と、小沢健二が2枚、コーネリアスが1枚、ですね、その時点だと。

 

それでもう、びっくりするぐらい衝撃を受けて。小西康陽さんも作詞家として凄まじいですけど、その辺も僕が理解したのはデビューしてからのことで、その頃は本当に知らなくて。日本の歌謡曲以外の音楽で言えば、X-JAPANとかBUCK-TICKとかは、当時も今も好きなんですけど、やはりどこか退廃的な独特の歌詞世界というか。あれって歌舞伎みたいなもので。日常と切り離すことで、成り立ってる日本語詞というか。メイクして、衣装を着てお芝居している言葉。クオリティが高いので、それ自体まったく悪くないんですが。あと、ユニコーンも好きだったんですけど、ああいうユーモアが前面に出過ぎちゃってるのも、参照するっていうことでは自分には向いてないかなあって思ってたんですよね。なんか、僕みたいな目立ちたがりでおしゃべりなキャラクターの人間が、面白い歌詞を書いて歌うってある意味そのままというか。それって飽きるんちゃうかなって。「服部」とか、大好きなんですけど、自分の場合、もし僕がライヴで毎日「服部」歌っても音楽として機能しない気がしたし。

 

 

 

 

──郷太さんは、普段のおしゃべりではおもろいこととかしょーもないことをよく言うんですけどね(笑)。

 

そうなんですけどね(笑)、音楽におもしろ要素を入れると、長く続かないというかね、例えば「PPAP」とか「PERFECT HUMAN」とか、おもしろ要素と音楽が合体したら大爆発するのもわかるんですよ。だけど、それっていつしか飽きるじゃないですか。聴いた瞬間は「うわっ、おもろい! サイコー!」って思うんですけど、しばらくして素に戻ると「何やったんやろ?」って(笑)。芸人さんがそういうのをやるぶんにはイイと思うし、ユニコーン的な歌詞の乗せ方も好きなんですけど、やっぱり自分にはちょっと向いてへんというか。そういった意味では堂島孝平や藤井隆さんと組んだスモール・ボーイズは最高でしたし、またやりたいですけどね(笑)。で改めて日本語詞を聴いてみて、小沢健二さんは、インテリジェントな言葉と日常の生活、そういうものを上手に16ビートに乗せれた人で、僕に「こういうのやりたかった!」って思わせてくれたんです。その一方でシンガーとして、メロディメイカーというか、ミュージシャンとして、そういう部分では小山田圭吾さんの感覚に僕はシンパシーを感じて。声が圧倒的に素晴らしいですよね。小山田さんは。ザ・シンガーというか。身も蓋もない話ですが、フリッパーズ・ギターって凄いなと(笑)。知らんかったくせに、下北沢来てから「おーっ、これは・・・」って。今も、そのおふたりに会って直接話したりさせてもらう時は、なんか時空が20歳頃にもどるというか、別次元の感覚になりますね。

 

 

 

 

──で、そこにはエレグラを通ってから行き着いたという。

 

そうなんですよ。エレグラのおかげで気づけた。英治さんは天才です。ただ多分、彼はそんなに歌うこととかに興味がなくて。ギターもよく弦切ってましたし(笑)。だからバンドを辞めてDJとして大成功したのは、よくわかりますね。エレグラは、いまだに一番好きな日本のバンドのひとつです。曲も凸凹あるんですが、いいのは本当に素晴らしい。僕が一番好きなのは『サウンド』ってアルバムですね。ベーシストの奥野さんに関してはマジでなんであの人が今、第一線で音楽やってないのか不思議なくらいの究極のド天才です。何年か前にエレグラが一時的に再結成して、その時久々に会ったんですが、僕がソロとかやる時、ほんとベース弾いてほしいし、ギターも歌もうまくていつか音楽を一緒に作りたい人です。当時の「かわいい」音楽の流行の中で、ちょっと渋すぎたんですよね、奥野さんのヴィジョンは。同じことはSTARWAGONを結局脱退してしまった湧井さんにも言えるんですけど。今、50代に突入しようというあのふたりが本気出したらめっちゃカッコいいと思うなぁ……。で、エレクトリック・グラス・バルーンは、奥野さんが脱退した後、勢いがちょっとなくなって、98年に解散するんですけど、そのあとベスト盤を出すってなった時に、僕にまとめ役になってくれみたいな話が来て。99年なので、ノーナ・リーヴスもメジャーでやってた頃ですよ。マスタリング・スタジオまで行って「この曲とこの曲は離しましょうよ」とかいろいろ意見を言ったら「うんうん、そうだね!さすが、郷太だ」とか言ってもらって(笑)。結局その『ワースト・バンド・イン・ザ・ワールド』っていうベスト盤は、公式コメントも僕に頼んでもらったんじゃないかなぁ。たった数年であらゆることが変化して、なんだか不思議な気分でしたね。

 

 

「うわっ、天才!」と思った人にも出会えて、界隈の“顔”にもなり、下北沢でぐんぐんと頭角を現していった西寺駅長。一方、自身のバンド、ノーナ・リーヴスはといえば……というお話はこのあとで。 to be continued…

 

 

 

写真:杉江拓哉( TRON)   取材・文:久保田 泰平

 

 

 

 

西寺郷太の「ポップ・ステーション」駅:其の五 ザ・ポリス

西寺郷太の「ポップ・ステーション」駅:其の六 ティアーズ・フォー・フィアーズ

西寺郷太の「ポップ・ステーション」新宿駅 90s〜西寺郷太のカレッジ・デイズ(前編)

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西寺郷太の「ポップ・ステーション」新宿駅 90s〜西寺郷太のカレッジ・デイズ(後編)

西寺郷太の「ポップ・ステーション」駅:其の七 プリンス

 

 

編集・構成 MOC(モック)編集部
人生100年時代を生きる、
大人のためのマガジンMOC(モック)
Moment Of Choice-MOC.STYLE

 

PROFILE

西寺 郷太

1973年東京生まれ京都育ち。早稲田大学在学時に結成したバンド『NONA REEVES』のシンガーであり、多くの楽曲で作詞・作曲も担当している。音楽プロデューサー、作詞・作曲家としては少年隊やSMAP、V6、KAT-TUN、岡村靖幸、中島美嘉などの多くの作品に携わる。また、ソロ・アーティスト、堂島孝平・藤井隆とのユニット「Smalll Boys」としても並行して活動。そして、日本屈指の音楽研究家としても知られ、特にマイケル・ジャクソンをはじめとする80年代の洋楽に詳しく、これまでに数多くのライナーノーツを手がけ、近年では80年代音楽の伝承者として執筆した書籍の数々がベストセラーに。代表作に小説「噂のメロディー・メイカー」(扶桑社)、「プリンス論」(新潮新書)など。テレビ・ラジオ出演、雑誌の連載などでも精力的に活動し、現在WOWOWのインターネット番組「ぷらすと」にレギュラー出演中。

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