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空気の国・日本に「討論」の力で風穴を開ける。田原総一朗 氏、生き方を語る【第2回】

 

 

直撃・追求・畳みかけ。田原総一朗氏の言葉は、時に攻撃的に映る。その根底にあるのは国家やマスコミへの疑問であり、旺盛な好奇心であるらしい。「命を賭けて討論に挑む」といっても過言ではないその姿勢について、『朝生』の裏話も交えつつお話を伺います。

 

 

──2016年には『井伊家の教え―彦根藩35万国はなぜ300年続いたのか(プレジデント社)』を上梓されました。歴史を論じるには一朝一夕ではいきませんが、ジャーナリストになりたての頃から歴史考察に力を入れていますか?

 

ジャーナリストになるからには、「今」という時代を見る姿勢が必要になる。そのためには歴史を知らなければ駄目。しかも日本の歴史は難しい。太平洋戦争に負けたことで、戦前の歴史が極めて曖昧になっているから、そこをきちんと確かめたいと思って、当時も今も(歴史考察を)やってきてますね。

戦前に出された出版物の言い分は、『日本の在り方は正しい』。対して戦後は『間違っている』。敗戦を境にして、180度変わった。『全部正しい』から『全部間違っている』へ。

一体、本当は何なのだ。僕はそういう疑問を感じ、調べなきゃいけないと思った。しかし調べるといっても、当時はそういう学者もなかなか少なくてね。

たとえば天皇についてマトモに日本で語り出されたのは1980年代後半になってからです。

 

 

 

 

──意外と最近ですね。平成天皇が生前退位されることが決まり、平成の時代もいよいよあと少し、変化が起こりそうです。

 

天皇が退位したら是非インタビューしたい。宮内庁には何回も申し込んでいるんだけど断られているの。たとえば橋本龍太郎内閣の時、加藤紘一幹事長に頼んで二回お願いしたんだけど、宮内庁は前例がないと断ってきた。

天皇論ってね、1960~70年くらいまでは「天皇制はよくない、天皇制は辞めちまえ」というのが日本の常識だった。というのは「戦争責任は天皇にあるのだから、天皇制は廃止すべきである」という論調だったから。もちろん右翼には天皇絶対という主張が存在していたけどね。

天皇について語り始められるきっかけとなったのが、ソ連の解体。ソ連が解体して、やっと天皇についてマトモに論じられるようになった。

ソ連が解体するまで、日本の政界は保守と革新で占められていた。革新というのは社会党や共産党。革新というのはどういうことを目指すか……わかる?

 

──既存の国家体制を改造したいということですか?

 

どう変えたいのか?

 

 

 

 

──当時でいうと、天皇制を廃止したり、経済格差をなくしたり?

 

要するに、革新というのは「社会主義にしよう」ということなのよ。資本主義じゃなく、社会主義や共産主義にしようというのが革新。

ところがソ連が解体してみて、「社会主義は駄目だ」という風に変わってきた。そうして日本では90年以降、革新に代わって「リベラル」という言葉が出てきた。今日の日本の政界は保守とリベラルですが、これは90年代に入ってからのことです。80年代にはリベラルなんて言葉はなかった。

 

──そう言われて振り返ってみると、『朝生』で天皇論をテーマにしたのが……

 

1988年の秋、昭和天皇が重病になった。世の中は自粛自粛で、街のネオンサインは消されていた。このタイミングで僕は、『朝生』で天皇論をやろうと提案した。編成局長に「天皇の戦争責任まで取り上げよう!」と持ち掛けたんだ。返ってきたのは「バカヤロウ!!」という一喝。だけど僕は一週間ごとに「やりましょうよ、やりましょうよ」と説得しにいった。

それでも首を縦に振らないから、僕は「テーマを変えよう」と編成局長に言った。丁度その年に韓国ではソウルオリンピックが開催されたので、「テーマは『オリンピックと日本人』にしましょう」と言ったら「いいね!」と即決。

だ・け・ど、『朝生』は生放送だ。深夜1時過ぎから番組は始まり、朝方5時前までぶっ続け。僕はこう続けた。「編成局長、あなたはその時間、寝てますよね?本番中に急に内容が差し変わっても、あなたは気が付かない。勝手に僕が差し替えるのだから、あなたの責任にはならない」「……田原、俺を騙すつもりかっ!?」

僕たちは、説得と拒絶を三度繰り返した。四度目の説得のあと、編成局長は「騙されるかもしれない……」と思っていたんだろうけどOKをくれた。

 

 

 

 

──東京12チャンネルを退社しフリーランスとして活動されていた田原さんですが、ドロップインのスタンスはここにも感じられますね。テレビ局に対して一歩も引かない。

 

当日の新聞に印字されたタイトルは『オリンピックと日本人』。スタジオにはオリンピック選手が集まっている。時計の針は深夜を刻み、いよいよ番組が始まった。予定通りに始まってから30、40分が経った頃合いに、僕は「今日はこういうことを話す日じゃない。天皇問題を論じたい」と言い出した。

当然、メンバーも入れ替えだ。オリンピック選手がいなくなり、大島渚や野坂昭如が画面に映る。 自民党の政治家・河野一郎の家を焼いた野村秋介という男がいてね。朝日新聞で連載していた右翼の活動家なんだけど、その場に野村もキャスティングした。そうして、天皇問題の論争が始まった。面白かったね。

『朝生』終了の時間と月曜の朝がやってきて、僕は編成局長に元に行き「申し訳ない」と頭を下げた。すると「悪いけど大晦日にもう一回やって!」と言われてね。視聴率がとってもよかったんだ。

 

──綺麗な手のひら返しですね(笑)。しかし、田原さんとしては視聴率云々よりも……。

 

タブーに挑戦したかった。タブーに切り込むのが面白いんだ。今までいろいろやりましたよ。

20年くらい前に原発問題を取り上げた時も面白かったね。あの頃はまだ国内で原発事故がそれほど起きていなかったから、原発推進派が多かった。反対派も確かにいたんだけど、当時は両者が面と向かい合って討論をすることがなかった。

推進派は反対派のことを「あんなモン宗教だ、主張に根拠がない」と切って捨てる。反対派は、「推進派なんて利権の塊だ」と揶揄する。そう、この二派は非常に仲が悪かった。だから僕はその両方を呼んで討論させた。

ほかにはかつて大タブーだった部落差別を取り上げたこともある。放送禁止用語っていっぱいあるよね。当時は部落差別について新聞でもテレビでもラジオでも一切触れなかった。そんなら、僕らはマトモにやろうじゃないか。

部落問題では、活動団体が対立していた。社会党系が部落解放同盟、共産党系が全国部落解放運動連合会。彼らは仲が悪くて、共産党系と社会党系が乱闘するほどだった。これらの団体を呼んで討論させたいと思った。口説くのに三か月もかかったけど、おかげで部落問題をテレビでマトモに扱うことができた。

 

──タブー中のタブーに触れるのは精神的にも体力的にもタフであることが必須でしょうが、そのエネルギーはどこから?

 

面白いじゃないか。

 

 

 

 

──それは真実を誰も掴めていないところに自分が一番乗りする面白さですか?

 

いやいや、面白いじゃないか。危機感があって。

 

──えっ、スリルを求めて?

 

『殺られる可能性が強い。もしかしたらマスコミの世界から追放されるかもしれない』という危機感。それって面白いじゃないか。

 

──田原さんの行動原理が、一貫して「面白いじゃないか」です(インタビュー第一回も参照)。う~ん、しかしですよ。実際にご自宅の前に右翼の街宣車が陣取って、危険な状況に面したこともありますよね。

 

あったね。『サンデープロジェクト(1989年開始の討論系番組)』での僕の発言に反応して、家に街宣車がやってきた。結局、九段会館に場所を移してから、200団体と僕とで2時間半討論をした。あの時の様子は『週刊新潮』が記事にしていた。

 

──理論武装した右翼が徹底的に攻撃しようと意気込んでやってきた……。流石に命の危険を感じましたか?

 

いや、話せばわかるよ。現に最後は握手攻めだった。

 

──そういう結末が待っていたとは……田原さんの人生こそ面白いですよ。思いがけない展開へと状況を変えていくのは『朝生』を彷彿とさせます。「話せばわかる」はご自身の信念でしょうか。

 

日本は言論の自由、民主主義を掲げているよね。これは「自分とは考え方の違う人間がいることを認める」ということです。それが民主主義というものだから。

右翼という、僕とは違う考え方をする人間がいることは認める。ただし討論はする。自分の主張はちゃんと言う。大体負けないしね。

 

 

 

 

──面と向かって討論し、意見を交わす。田原さんは「話せばわかる」と仰いますが、日本の政界は保守系やリベラル系などが固まっています。本来、討論とは反対の立場の人間と意見を交わすことだと思うのですが……

 

恐いんでしょう。 最近のリベラル系のジャーナリストって討論しないよね。僕は、右翼の人間た

ちと討論して平気だよ。

山本七平(1921-1991。山本書店店主、評論家)さんが言っていたけど「日本は空気の国だ」。日本人にとって一番悪いとされることが、空気を破ることになってしまっている。

例えば、東芝の粉飾決済。七年間にもわたって利益を水増ししていた。あんなもの役員ならすぐわかるはずなのに、なぜ誰も言わないのか。言ってしまったら空気を破るからだ。左遷されるから言わない。

もっとひどいのは東芝の監査法人。財務をチェックするのが監査法人でしょう。ところが監査法人も黙っていた。だって粉飾を指摘してしまうと、契約を破棄されるからね。

さらにもっとひどいのは検察です。堀江貴文がライブドアで粉飾をした時は、2年6か月の実刑となった。そこと比較すると東芝なんて社長ら三人ぐらい逮捕されて当然なのに。検察も馴れ合っている。

もっともっとひどいのはマスコミ。粉飾が起きていたというのに、新聞もテレビもラジオも「不適切会計」という言葉を使っていた。「粉飾」とは報じない。『激論(『激論!クロスファイア(2010年放送開始)』が「東芝の会計は粉飾決済だ」と言った最初の番組です。

 

 

 

 

──国会でいうと、野党は空気を破れているのでしょうか。与党への批判はしていますが、そこから先、反対したその先が見えづらい。

 

対案を出さないということは、空気を破れていないよね。僕は総理大臣に対して「こうしたらどうか」というようなことをよく言っています。

小泉純一郎さんが総裁選挙に出る前のこと。自民党政調会長も務めた中川秀直さんが「田原さん、昼飯食おう」と僕を誘い出した。「今、小泉純一郎が総裁選に出ようとしている。以前に二回惨敗した。今度も負けたら政界引退だ。田原さん、どう思う?」そう尋ねられた。

今までの総理大臣は、田中派か、田中派の全面支援を受けた人間だ。僕は「もし小泉さんが田中派と全面的に喧嘩して、田中派をぶっ潰す言うならば、本気でそう言うなら、僕は支持してもいい」と言い、さらにこう付け加えた。「でも、そんなことを言ったら暗殺されるかもしれないぞ」。

「田中派をぶっ潰したら、支持してくれるか?」と中川さんが念押しし、「いいよ」と僕は答えた。するとその場に小泉純一郎さんが現れた。

中川さんが「田原さん。さっきのことをもう一度言ってくれ」と言うので、僕は繰り返した。小泉さんは「暗殺されても、私はやる」と言い切った。

その時、小泉純一郎さんは言葉の天才だったと僕は思っている。彼が田中派をぶっ潰した、と言われてもピンと来ないでしょう。彼は「自民党をぶっ壊す」と謳い、そして選挙に勝ったのだから。

 

──『サンデープロジェクト』では番組で放送した内容(YKK事件など)を、新聞やテレビが追いかけて報じるということもありましたね。新しいワイドショーを世に送り出した印象があります。番組中にニュース価値のある情報を生み出してこられた。

 

そんなことしょっちゅうだよ。僕は総理大臣を三人失脚させた。海部俊樹、宮沢喜一、橋本龍太郎。討論で突っ込んでいったら、彼らの矛盾が露呈して大問題になった。それを新聞各紙が一面で取り上げる。

大体ね、権力というのはインチキなの。そこんところを追求すれば露呈するものがある。空気を破ることがこの国では一番よくないとされているけどね。

 

 

日本は言論の自由を保障する国。だからこそ、考えの違う人間を認めること、話し合うことを、もっと闊達にしていいはず。タブーが生まれるのは、人がそのことを忘れた時なのかもしれない。しかし空気を破る人間がいる限り、話し合いの力を信じる限り、私たちの言葉は自由でいられるのでしょう。

次回のインタビューでは、衰退が叫ばれるテレビ業界とこれからの時代について語っていただきます。

 

 

写真:田形千紘     文:鈴木舞

 

 

 

 

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編集・構成 MOC(モック)編集部
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PROFILE

田原 総一朗

1934年、滋賀県生まれ。
60年、早稲田大学卒業後、岩波映画製作所に入社。
64年、東京12チャンネル(現テレビ東京)に開局とともに入社。
77年にフリーに。
テレビ朝日系『朝まで生テレビ!』『サンデープロジェクト』で
テレビジャーナリズムの新しい地平を拓く。
98年、戦後の放送ジャーナリスト1人を選ぶ城戸又一賞を受賞。早稲田大学特命教授を歴任する(2017年3月まで)。
現在、「大隈塾」塾頭を務める。

『朝まで生テレビ!』(テレビ朝日系)、『激論!クロスファイア』(BS朝日)の司会をはじめ、テレビ・ラジオの出演多数。
また、『日本の戦争』(小学館)、『塀の上を走れ 田原総一朗自伝』講談社)、『誰もが書かなかった日本の戦争』(ポプラ社)、『田原総一朗責任 編集 竹中先生、日本経済 次はどうなりますか?』(アスコム)など、多数の著書がある。

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