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自立と孤立、依存と共存 中村うさぎ連載コラム 〜第46回〜

 

 

〜連載第46回〜

自立を目指して生きてきたら、いつの間にか孤立していた。

依存症に苦しんでたら、共存という新たな道が見えてきた。

これは、そんな私の半生の話です。

 

 

「正義」について考える時、私が必ず思い浮かべるのは、有名な「トロッコ問題」という思考実験である。

 

何かの故障で制御不能になったトロッコが暴走している。

このまま突っ走れば、その先の線路で作業中の5人の作業員が確実に轢死する。

あなたはトロッコのレールを切り替えられるレバーのそばに立っている。

あなたがレバーを引いてトロッコのレールを切り替えれば、5人の作業員たちの命は助かる。

だが、切り替えた線路の先には、また別の男がひとり立っている。

あなたは5人の命を救うために、ひとりの男を犠牲にするべきか?

 

これが「トロッコ問題」であり、要は「多数の幸福のためにひとりを犠牲にするのは正しいのか?」という倫理的な問いかけである。

「多数決」というのは、この問いに「イエス」と答える考え方だ。

「5人死ぬよりは、ひとりの方がマシだ」というわけである。

どうせ誰かが死ななきゃいけないんなら被害は少ない方がいい、という、まぁ、きわめて合理的かつ功利的な決断と言える。

 

しかし、もしその「犠牲になるひとり」が、あなたの家族や友人だったら?

問いがこのように変化すると、たちまち回答者の心は揺れる。

心情的には、もちろん、愛する人を救いたい。

だが、自分にとって大切な存在を救うために、複数の赤の他人を犠牲にするのは許されるか?

 

あるいは、このように問いを変えることもできる。

もし線路の先の5人が殺人者やレイプ魔という犯罪者集団で、もうひとりの犠牲者候補が犯歴もなく善良な市民だったら?

これには大勢の人が「犯罪者集団を犠牲にする」と答えるだろう。

こんな5人が生きてたら、今後も殺人やレイプの被害者が増えるだけで、社会的には明らかに不利益だからだ。

 

では、人間の命の価値は「私にとって大切か」「社会(あるいは国家)にとって利益があるか」で決まるのだろうか?

前者はきわめて人間の本質に近い価値観だが、あまりにも自己中心的であり、多数が共存する社会の中では通用しない。

そして後者は、戦争やテロや差別を正当化する口実にいとも簡単にすり替わる、非常に危険な価値観だと私は思う。

 

このように「正義」なんてものは簡単に「悪」に加担する概念なのだ。

「私の正義」は、必ずしも他者にとっての正義ではない。

そのことを失念すると、人は「私にとって有害な他者」「社会にとって不利益な他者」を「排斥してよし」という判断を安易に下しかねない。

映画やドラマの中で、このような「正義」が美談として描かれているのを観ると、私はひどく居心地の悪い気分になる。

「正義が悪に鉄槌を下す物語」には誰もがカタルシスを覚えるが、そんな二元論がこの世で通用しないことを、我々は知っているはずではないか。

 

まず、この「トロッコ問題」には正解など存在しないのだ、ということを我々は認めなくてはならないだろう。

社会にとって有益であろうが、自分にとって大切であろうが、人は死ぬときには死ぬのである。

自分がもし他者の「生殺与奪」の機会を手にしていたとしても、私ならそれを行使しない。

要するに、見殺しにする。

何故なら、トロッコは既に5人の作業員に向かって走っているからだ。

確かに私には、5人を救う機会が与えられた。

だが、それは、ひとりの人間の命を奪う「権利」では決してない。

私には「機会」が与えられたもしれないが、「権利」も「資格」も与えられてはいないのだ。

 

おそらく私は、そこで何も手を下さない道を選ぶだろう。

そして、死んでいく5人を見ながら、自分がいかに無力であるかという事実を噛みしめる。

その苦みと痛みは、生涯、私につきまとう。

しかも、5人の犠牲者たちの遺族や、その他世間一般の「良識者」たちから、激しい非難を浴びるだろう。

だが、それでも私は「あえて自分が介入して他者の命を奪う」ことを拒否する。

 

我々の人生は「運」によって支配されている。

トロッコが5人に向かって突っ込むことになったのは、彼らの「不運」の問題に過ぎない。

が、そこで私が線路を切り替えてひとりの男を死に至らしめるのは「殺人」である。

たとえその5人が善良な市民たちで、もうひとりの男が連続殺人鬼であったとしても、私には「悪者を殺す権利」などない。

たとえその5人が家族や友人であっても、私には「赤の他人を犠牲にする権利」などない。

他者の運/不運による生死に私が介入する権利などないのだ。

何故なら、それは私が「他者の生命の価値」を決めることになるから。

そして私には、他者の生命の価値を決める権利などないのだから。

 

もちろん誰も死なせずに救う方法があれば、言うまでもなくそっちを選択する。

だが、この思考実験に、そのような選択肢はない。

ここで「5人を救うためなら、ひとりの犠牲はやむを得ない」とか「5人が凶悪な社会の敵であれば、ひとりの善良な市民を救う」などという結論をいとも簡単に出せる人間を、私は決して信用しないだろう。

その人は己の権利をはき違えている。

非常に傲慢で独善的で、しかもそれを「正義」と信じている人間だ。

戦争の危機が迫った時に、こういう人は真っ先に「国のため」「愛する人のため」などという大義名分に飛びついて、見ず知らずの外国人を大量に殺戮することを肯定するだろう。

そして戦争が終われば、今度は戦犯探しをして裁き、それも終われば次の「社会の敵」を見つけ出して排除しようとする。

常に自分が「正義」であるために、彼らは「敵」を必要とするのだ。

だが、それは「正義」ではなく、君らの単なるナルシシズムなのだよ。

 

「介入せずに見殺しにする」という私の選択に、「助けられたのに助けないのは、それも殺人じゃないか」と反論する人もいると思う。

しかし、私は誰かの生命の価値を決めたわけではない。

5人を「死んでいい人間」と判断したから見殺しにしたのではないのだ。

私にとっては、そこがもっとも重要な点なのである。

これは「倫理」を問う思考実験だ。

自分の倫理の中で何を最優先するかは、自分で決めなくてはならない。

私は「他者の生命の価値を私が決める権利はない」という倫理を最優先した。

これが私と言う人間の核だと思う。

(つづく)

 

イラスト:トシダナルホ

 

 

 

 

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編集・構成 MOC(モック)編集部
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PROFILE

中村 うさぎ

1958年生まれ。エッセイスト。福岡県出身。
同志社大学文学部英文学科卒業。
1991年ライトノベルでデビュー。
以降エッセイストとして、買い物依存症やホストクラブ通い、整形美容、デリヘル勤務などの体験を書く。

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