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西寺郷太の「ポップ・ステーション」駅:其の八 1995-1999〜ノーナ・リーヴスを動かした街、下北沢(中編)

 

 

前回に引き続き、ノーナ・リーヴスが本格的に活動し始めた、言わば〈ノーナ・リーヴスの始発駅〉である小田急・下北沢駅周辺からお届けする、西寺郷太の「ポップ・ステーション」駅。下北沢に出入りするようになってからほどなく、天性のコミュニケーション能力であっという間に界隈で知られる顔になっていったという西寺駅長でしたが、はて、肝心のノーナ・リーヴスのほうはというと……? その前に、ちょっと他愛もない話題から。

 

 

──前回の話のなかで、「ブリット・ポップ全盛期」の下北沢が語られてましたけど、あの頃はブラーとオアシスが双璧で、「ブラー派」とか「オアシス派」なんて言ってる人もいましたよね。ただ、当時の東京でブラーっぽいバンドっていうのはなかなかいなくて、圧倒的にオアシスのフォロワーのほうが多かったような気がします。

 

そうだったかも知れないですね。ただ、97年にトイズファクトリーから鳴り物入りでデビューしたPre-Schoolは、かなりブラーっぽいイメージでしたけど。彼らも下北沢のムーヴメント出身で。Pre-Schoolは、VINYLってバンド名の頃から、すげーバンドが来た!みたいな勢いでしたね。若い! 新世代!って感じがしたんですけど、最近気になって調べたら僕よりひとつ年下で、ノーナ・リーヴスで言えば奥田と同い年だったんですね。リーダー的存在のベースの古平(竜也)くんが、なんていうかIT社長みたいなキレ者で。アイディアと実行力がすごくて、いろんな事業しても成功するタイプっていうか。グレアム・コクソン的なひねくれたギター・リフも含めて、彼らは「ブラー派」って感じでした。

 

 

 

 

──新人気分を味わってる暇もなく、ちょっと下の世代からもどんどんとおもしろいバンドが現れてきました。

 

下の世代で言えば、WINOも、その頃出会った若手バンドのひとつで、最初は、ボグ・マイトルスターって名前で。96年になった頃、新宿駅で、吉村(潤)くんと偶然会った時に「郷太さん、そう言えば俺たちバンド名変えたんですよ」って言われて、「何?」って訊いたら「ワイノー!」って言った時の自信に満ちた表情を今でも思い出します。ともかく、先輩たちにもたくさん刺激を受けましたが、そういった同世代や少し下みたいなバンドもどんどん人気を集めて、レコード会社が青田買いというか、争奪戦を繰り広げ始めてたっていうのがその時期の下北沢の状況でした。PEALOUTの3人にも、本当にお世話になりましたね。近藤(智洋)さん、岡崎(善郎)さん、(高橋)浩司くん……なぜか浩司くんだけ「くん」づけで、申し訳ないんですけど(笑)。彼らはビートルズ・マニアで、僕も話がめちゃくちゃ合いまして。“ビートルズをラウドな演奏で”っていうコンセプトで、初期のライヴはほぼ全部行きましたし、打ち上げの後、車で送ってもらったり。浩司くんはお酒飲まない人だから、車運転できたんですよね。楽曲のイメージは違うけど、ビートルズをラウドにっていう意味では、彼らもオアシス的な文脈にいたのかもですね。

 

 

 

 

──オルタナ経由のビートルズ・フォロワーは結構いたかと思いますが、PEALOUTの場合、その前にBEYONDSをやっていた岡崎さんにはハードコア、福岡生まれの近藤さんにはめんたいロックというルーツがあって、そのあたりが絶妙なオリジナリティーに繋がっていたバンドだったんじゃないかなと思います。

 

確かに初期のピールアウトは、英詞だったこともあり、そのあたりのバランスが絶妙に保たれていましたね。基本ヘヴィなロックバンドが苦手な僕も超ハマれました。彼らはアルバムを重ねるごとにそれぞれの個性が剥き出しになって、爆発して解散に至った、と…。それもまた美しいというか。で…、人間って不思議なもので、何か月か前にSTARWAGONがインディーズでCD出してるって聞いた時、腰を抜かすほど驚いたんですけど、それが当たり前になるんですね。それが、僕にとっては良かったと思ってます。夢を叶えるに当たって、環境って大事だなと。オアシスと言えば当時、「BEAT UK」(フジテレビで放送されていた深夜の音楽番組)だったかと思うんですけど、徐々にオアシスのミュージックビデオがどんどん流れるようになって。リアム・ギャラガーって、手を後ろに組んで仁王立ちで歌うじゃないですか。でね、1995年の下北沢のライヴハウスでは、瞬く間にみんなあの歌い方に変えてたの思い出しますね(笑)。

 

 

 

 

──みんなすぐ影響されてましたよね(笑)。

 

相当影響力ありましたからね。エレクトリック・グラス・バルーンの英治さんも急に後ろで手を組んで歌い始めたんで、戸惑いましたけど(笑)。「スマッシュ・マイ・カー」って、シングルの時かなぁ。

 

──歌い方ということでいえば、小山田圭吾さんの影響力も大きかったですよね。ああいった歌い方をする男の子ヴォーカルって、フリッパーズ・ギターが解散してから4、5年経ってから多く見受けられました。

 

ビブラートをあまりかけない囁くようなヴォーカルですよね。僕、そういったスタイルの源流はトシちゃん(田原俊彦)だと思ってるんですよ。トシちゃんがいて、カルロストシキさんがいて小山田さん、みたいな。たまに思うんですよ、「GROOVE TUBE」歌ってた頃の小山田さんが「君は1000%」歌ったらハマったろうなって(笑)。逆にカルロストシキさんが「GROOVE TUBE」歌ってもハマると思うし。

 

 

 

 

──想像がつきます。

 

英治さんはどちらかといえば、喉を鳴らす近藤真彦さん的な少年声でしたね。僕自身は、カルガモが最初に動いたものをお母さんだと思うみたいな感じで、ちゃんとライヴを体感出来たり、メンバーとも親密な関係になれたこともあって、正直、フリッパーズよりもエレクトリック・グラス・バルーンの方が、影響受けてます。ノーナ・リーヴスの歌詞やタイトルに“STRIKES BACK”とか“TEEN QUEEN”とか、エレグラ・オマージュをまぶしてるんですけど、ほとんど指摘されたことないのが残念です(笑)。

 

──さてさて、前置きが長くなりましたが、そろそろノーナ・リーヴスの話に移りましょうか。ウィキペディアには、96年2月に奥田健介が加入しての初ライブをClub Queで、とあります。インディーでの初作『サイドカー』が出るのが同じ年の12月なので、ある時期から一気に加速しますね。

 

Club Queを中心にライヴをはじめていったらどんどんどんどん人気が出ていって……っていうのにもひとつ要因があって。ノーナを始めた95年の初夏頃、僕がWカセットのデッキを3台買ったんですよ。で、マスターのデッキがもう1台あって、全部で10万円ぐらいかけたかな。要は、それで音源をダビングして、お客さんに配ってたんですよね。デモ音源が出来上がったら、それを3曲入りぐらいのEPサイズにしてカセットに録音して、そこからダビングして、カセットのレーベルもMacでデザインして、歌詞カードも作って、折ってケースの中に入れて……って、装丁も作り込んで。不眠不休とはあのことで、工場みたいに10分くらいごとにカセットを入れ替えて。ひとつのタイトルにつき千本近い数のカセットを配ってたんです。メンバーにも、ノーナのライヴで上がった売上は全部これに使うからって言って、まあ、自分でもかなりお金を出しましたけど、それをいろんな人に配ったんですよ。で、決めてたのは、例えば手持ちが最後の1本だとして、そこにレコード会社の人とお客さんの女の子がいたら迷わず女の子にあげてました。最終的にファンになってくれるのはそっちじゃないですか。

 

 

 

 

──ですね。もらった人が、友達に「こんなバンドがいるよ」って、音源があると教えやすいですしね。そういうきっかけで知ったバンド、僕も実際にあります。

 

レコード会社の人にとっても「聴いてください!」って渡されるより、もらえない方が気になるじゃないですか(笑)。で、そういうのを繰り返してたら、僕ひとりで弾き語りやって客がいいひんよ、みたいなところから、半年ぐらいでQueが売り切れるかもってくらいになったんですよ。奥田は96年になって状況が整ってきたときにライヴ的には初めて加入して、彼が入ってさらにスパークしたっていうか。その直後くらいから、メジャーもインディーも含めて、レコード会社の人がどんどんライヴを観に来るようになって、挨拶してくれるみたいな。まず最初に熱く声をかけてくれたのがUNDER FLOWER RECORDSっていう、初期のサニーデイ・サービスなんかも出していたインディ・レーベルでした。

 

──UNDER FLOWER RECORDSは、当時の下北沢シーンを代表するインディー・レーベルのひとつでしたよね。そういえば、サニーデイ・サービスもここから出していた当時は、〈The Sunny Day Service〉という表記でした。

 

「下北沢」のイメージが強かったですが、実際の事務所の所在地は、吉祥寺だったんですけどね…。それまでの僕は「プロになりたい」って小学生の頃から思ってはいたものの、それはメジャー・レーベルと契約して、アルバムをレコーディングしてリリースする、っていう漠然としたイメージの中でもがいていたんですね。そのためにレコード会社やライヴハウスのオーディションにテープを送るとか、レコード会社の人から声をかけてもらうとか。でもこの時期、急激に時代が変化していて、Macが自宅で使えるようになったり、インターネットも掲示板とかそういうものが広まりはじめたり、いわゆるオトナの手を借りないでも自分自身でPR出来るエリアがグンと増えていたんですね。それと、バンドがファンに直接カセットを配り、下北沢という街での認知や実際の集客に繋がるっていう事例、ノウハウをどんどん先輩たちを見て学べたことが本当にデカかった。現場主義というか。

 

 

 

 

──〈下北沢系〉という言葉が生まれたぐらいなので、活気があってバンド活動をするには好環境の街ではあったわけですけど、逆に言えばそこから一歩抜きん出るのは難しくもあり。

 

CDをリリースしてる、これからリリースしようとしてるバンドばかり、っていう状況の中で、最初は“憧れ”と“驚き”、みんなに追いつかなきゃ、みたいな思いばっかりだったんですが、自分の曲や、たとえば小松や奥田のドラムやギターを客観的に見たとき、今までの漠然とした感覚とは違う別の意味で、「行ける!」って思ったんですよね。僕に似てるシンガー、陽気なキャラクターも全然いなかったですし。そりゃそうなんですよ、彼らの基本は、客と目を合わせず靴しか見ないで轟音を掻き鳴らすシューゲイザーですからね(笑)。ただ、あのブリット・ポップ、ギター・バンドの持つ若々しいイメージ、カラフルな青春感っていうのは、ホントに取り入れたくて。僕はマーヴィン・ゲイとか、スティーヴィー・ワンダーとか、プリンス、ワム!、マイケル・ジャクソン、ニュー・エディションのファンなんですけど。

 

 

 

 

──存じ上げております(笑)。

 

(笑)。うまくそのブラック・ミュージック、ソウルっぽいグルーヴィーなカラーと、下北で影響受けた同時代の瑞々しいギター・バンド感をミックスできないかなぁ、って。そこで「あっ!!!」と気がついたんですよ。俺は、というかノーナ・リーヴスは、“アイズレー・ブラザーズのギター・ポップ版”を目指せばいいんだ!って。

 

──ほお!

 

ソロのつもりでノーナ・リーヴス名義で初めて作ったのは、この連載でも以前話した「自由の小鳥」と、「SHE GOES」(公式リリースはまだされていない)って曲でした。で、バンド演奏を念頭に置いて初めて作った「FREAKY」って曲は、まさにそういう曲、“アイズレー・ブラザーズのギター・ポップ版”でした。初期のギタリスト、師岡忍くんとの共作です。「ソウル・フレンド」とか、「ナンバーナイン・オブ・マイ・ライフ」とか、最初のアルバム『サイドカー』に入る曲はわりとその狙いに忠実に作ってますね。アイズレーは、黒人ソウルグループの中でもジミ・ヘンドリックス直系のギター・ロック感があるんで、それをもう少し歪みというか、90年代解釈で提示すれば、そんなバンドは他にいないかな、と。

 

──ギター・ポップ視点でのソウル・ミュージック解釈を試みたバンドっていうのは、郷太さんと同世代ではなかなか見当たらなかったですね。ソウル・ミュージックを今風に解釈していたバンドはいても、上の世代だったりするとやはり観点が少し違ってきます。

 

それがまた、下北沢のバンドの先輩たちにウケたんですよね。彼らはパンク、ニュー・ウェイヴの世代なんで、マイケルやプリンスはちょっとよくわからないけれど、ジャムやポール・ウェラーは大好きって人たちが多かったんです。だから、わりと僕が作るノーナ・リーヴスのソウルっぽい世界が、スタイル・カウンシルみたいなイメージで受け取ってもらえたんじゃないかなと。ワム!はアイドル的過ぎるけれど、ブロウ・モンキーズの「ディギング・ユア・シーン」は最高!みたいな。僕も大好きなんで、受け入れてもらいやすい側のブルーアイド・ソウル路線を目指そうと。で、言葉は英語で。

 

 

 

 

──英詞でっていうのは、当時珍しいほうではなかったですね。下北沢界隈のギター・ポップ・バンドには多かったですし、やがてサニーデイ・サービスがその流れを断ち切るわけですけど。

 

あと、みんなメジャーをわりと下に見てたというか。もちろん、お金も稼ぎたいし、有名になることは素敵だけど、自分を変えてまでそれを目指すのは終わってるみたいな風潮が蔓延してました。なので、納得できる音で、インディーズで1枚か2枚出してからメジャーに行ったほうがナメられへんみたいなムードがあってね。インディーズを経験しないでいきなりメジャーに行くと、でっかいスタジオに入れられてヘンなプロデューサーつけられて急にダサなるみたいなイメージが、僕にもバンドにも強くありましたから。当時はベックとかハイラマズとかが人気だったし、ロウファイ世代というか、ともかくオレらは日本の王道に染まらず洋楽的にいくぞと妙に偉そうになってましたね(笑)。まずはインディーズで1枚出して、タワレコとかでばっちり売ってからメジャーに行くぞ、ってことで『サイドカー』というアルバムを作ることになって。

 

 

 

 

──『サイドカー』は、UNDER FLOWER RECORDSの中にあったレーベル、Giant-Robotからのリリースでしたね。

 

制作は96年の夏ぐらいからずっとやってて、最初は200万ぐらいの予算で作れって言われたけど、そんなんで出来るわけないやろってことで確か倍の400万ぐらいかけて作って。時間をともかくかけたんですよね。スタジオ時代は超古い目黒の「ファースト・ステップ」ってところでしたが、楽しかったですね。『サイドカー』は、96年12月にリリースした後、3回ぐらいリイシューされていて、今はサブスクリプションでも聴けるようになってるんですよね。僕、2003年に出た中島美嘉さんの『LOVE』っていうアルバムで、「You send me love」っていう曲を書かせてもらったんですけど、その時の印税で、Giant-Robotから出した作品『サイドカー』『クイックリー』、プロデュースした『SPOOCHY』の原盤をレーベルから全部買い取ったんです。インディーの頃の作品も権利関係でヘンな形にならんと今も出せるのは、そのおかげもあって。まあ、そんなことものちにあり、97年の夏には『QUICKLY』っていう2枚目のアルバムをGiant-Robotから出して。その時にはもうワーナーとビクターのスピードスターからも話が来てたんですけど。レコード会社の人に「ご飯食べいこうや」ってめっちゃ誘われるようになると、もう、僕、根が自己肯定の塊ですから(笑)ガンガン天狗になりまくりで、「やっぱオレは天才やったんや」と(笑)。ほんと、一年でまったく世界が変わったんですよね。こうやって思い出すといろんな人に感謝しかないですけど。でも、この時天狗になった罰で、その後10年くらい僕は痛い目を見るんですけどね(笑)。

 

というわけで次回は、新宿編、下北沢編とたびたび名前が出てきていたSTARWAGON〜PENPALSにまつわる一席をお届けします。恩師が目の前から姿を消していった時、ノーナ・リーヴスも下北沢から巣立っていく──メジャー・デビュー直後のエピソードを交えた感動的ストーリーにご期待ください!

 

写真:杉江拓哉( TRON)   取材・文:久保田 泰平

 

 

 

 

 

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編集・構成 MOC(モック)編集部
人生100年時代を生きる、
大人のためのマガジンMOC(モック)
Moment Of Choice-MOC.STYLE

 

PROFILE

西寺 郷太

1973年東京生まれ京都育ち。早稲田大学在学時に結成したバンド『NONA REEVES』のシンガーであり、多くの楽曲で作詞・作曲も担当している。音楽プロデューサー、作詞・作曲家としては少年隊やSMAP、V6、KAT-TUN、岡村靖幸、中島美嘉などの多くの作品に携わる。また、ソロ・アーティスト、堂島孝平・藤井隆とのユニット「Smalll Boys」としても並行して活動。そして、日本屈指の音楽研究家としても知られ、特にマイケル・ジャクソンをはじめとする80年代の洋楽に詳しく、これまでに数多くのライナーノーツを手がけ、近年では80年代音楽の伝承者として執筆した書籍の数々がベストセラーに。代表作に小説「噂のメロディー・メイカー」(扶桑社)、「プリンス論」(新潮新書)など。テレビ・ラジオ出演、雑誌の連載などでも精力的に活動し、現在WOWOWのインターネット番組「ぷらすと」にレギュラー出演中。

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