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恋のあとさき ~秀夫の場合【2】〜

 

 

~秀夫の場合【2】〜

人はどうして不倫という名の恋に落ちるのか、そしてその恋はどういう展開をたどるのか。女性たちの気持ちは、そして男性たちの心は……。実話をベースにした不倫小説をお送りします。

 

 

ひとしきり話を聞いた店長の小倉は、ふうっと大きなため息をついた。

「私の個人的な感想ですが、ゆかりさんと相川さんは気持ちが通じ合っていたと思います。ゆかりさんが店を辞めたのは、おそらく相川さんとつきあうためではなかったかと……」

「やはりそうでしたか」

「今、ゆかりさんに連絡してみましょうか」

小倉はそう言って、ゆかりにメッセージを送った。

「もし電話ができるような状況ならかけてほしいと送りました」

折り返しすぐに電話が鳴る。小倉が簡単に説明し、電話を秀夫に渡した。

「突然すみません。私は相川慎一郎の学生時代からの友人で安西と申します」

「はい」

彼女の声が、警戒しているようにくぐもった。

「実は相川が急死しまして」

「え?」

「急死したんです。1週間ほど前に、突然死んだんです」

息を呑む感じが伝わってきた。

「どういうことですか」

絞り出すような声が震えている。

「急性の心筋梗塞だったようです。会社帰りにホームで倒れてそれきりで……」

「お目にかかれますか?」

「いいですよ。いつでも」

「これから……。店の近くに喫茶店があります。店長に聞けばわかります。20分くらいでうかがいますので」

電話は切れた。小倉にその旨を伝え、秀夫は店を出た。

 

 

人はみな寂しいのかもしれない

 

風俗店が集まっている場所の奥はラブホテル街だ。その近くには、居酒屋が集まっている。にぎやかだが、そこを行き交うひとりひとりは、どんな思いを抱えてこの街を歩いているのだろう。

ホテル街を抜けてすぐのところにある喫茶店と聞いたので、秀夫は小倉に教えられた通りに歩いていく。時計を見ると夕方5時を回ったところだ。こんな時間でも、ホテルから出てくる男女がいるんだなとふと見て、秀夫は思わず二度見した。

「沙織……」

男と一緒にホテルを出てきた妻の沙織は、すぐに男と右左に別れた。数メートル先を沙織が歩いている。秀夫は目を疑った。沙織ではないのかもしれない。追い越して振り向いてみようかどうしようか迷う。

沙織はホテル街を抜けて足早に歩いていく。ゆかりと待ち合わせの喫茶店を目で確認しながら、さらに妻のあとを追う。沙織はどうやらデパートに寄ろうとしているようだ。ここなら声をかけても不自然ではないだろう。だが、もうじき追いつくというところで秀夫は足を止めて、踵を返した。妻に声をかけて何かが変わるだろうか。男とふたりでホテルから出てきたところは確かに見たのだ。

待ち合わせの喫茶店へ入り、ソファに沈みこんだ。妻が浮気をしていたのか。結婚してから自分たち夫婦は何かを築いてきたのだろうか、こなかったのだろうか。

「あの……安西さんですか?」

目の前に細身の女性が立っていた。年齢は自分と同世代だろうか。ということは妻の沙織とも同じくらいだ。

「はい。呼び出してすみません」

秀夫は立ち上がった。

「こちらこそ、お待たせしてごめんなさい」

声のきれいな女性だった。表情は暗いが笑ったらきれいだろうなと秀夫は思う。

「コーヒーをお願いします」

店員にそう言いながら、座るやいなや彼女は身を乗り出してきた。

「本当なんですね、相川さんのこと」

秀夫は頷くしかなかった。

「3日前に葬儀でした」

「どうして……」

ゆかりは顔を伏せた。ぽたりぽたりと涙が落ちる。

「こんなことを聞いては申し訳ないんですが……」

そう前置きをして、秀夫は慎一郎から聞いていた好きな女性があなたではないかと思ってと経緯を説明した。

「私は飯村由美子と言います。ゆかりというのはお店での名前です。相川さんには最後まで本名を言えなかった。私が店を辞めた次の日、初めてお店の外で会う約束をしていました。そこで本名をきちんと明かすつもりだった。いつか一緒になろうとも言っていました」

涙ながらに彼女はそう言った。

「約束の場所に来なかった彼を恨んだでしょう?」

「恨むなんて……。ただ、彼はやはり私を風俗で働く“ゆかり”としてしか見ていなかったのか、私だけが本気で彼を好きになっていたのかと苦しかった」

「彼は最期まであなたのことを思っていたはずです。私にあなたのことを打ち明けたとき、彼は『これはオレの最初で最後の恋だ』と言っていましたから」

「離婚なさっていたのは本当だったんですね」

「ええ。彼はいろいろ事情があって、本当に好きというわけではない女性と結婚してしまったんです。だからこそ、この年で本当の恋を知ったことがうれしいと言っていた。今度、あなたと私と3人で食事をしようと約束していたんです」

「裏切られたわけじゃなかったんですね。でも、突然いなくなってしまうなんて最大の裏切りだわ」

「すみません。そそっかしいヤツだったんですよ、昔から」

冗談交じりに言うと、由美子もつられて少しだけ笑った。

「相川は、あなたの笑顔が好きだと言っていた。どうか笑っていてください」

それを聞いて由美子がまた大粒の涙を流す。

「相川は幸せだったと思います、あなたに出会えて」

「私こそ、幸せでした。生きる気力をもらったんですから」

秀夫はふと自分が死んだら、沙織は泣いてくれるのだろうかと考え、心の底に氷を詰めこまれたような気持ちになった。

 

 

妻の秘密

 

由美子と別れた秀夫は、たまたま見つけた洋菓子店で焼き菓子を買い、小倉のもとへ戻った。ことの顛末を説明し、万が一、誰かが訪ねてきて相川と由美子のことを聞かれても話さないでほしいと頼んだ。もしかしたら相川の息子である健太が来るかもしれないと思ったからだ。オトナになったとはいえ、まだ若い健太に本当のことを知らせる必要はないだろう。

「わかりました。私のほうは知らないと言っておきます。店の者にもそう伝えておきます。何かありましたら安西さんにご連絡しますので」

小倉は歯切れよくそう言った。この男は信用できると秀夫は直感で思っていた。よかったらみんなで食べてと焼き菓子を出すと、小倉の顔がふっと曇った。

「ゆかりさんが辞める日に相川さんがいらしたんです。相川さんは私にお金を預けて、もしよかったらこの近辺でケーキを買ってきてくれないかって。自分が持ち込んで何かあったらお店に迷惑がかかるから、店長さん買ってきてよって。最後はケーキとコーヒーで、ふたりでずっと話をして過ごしたそうです。ゆかりさん、うれしそうでした」

秀夫はそれを聞いて目の前が見えなくなった。相川の死を初めて正面からぶつけられた気がした。そういえば通夜でも葬式でも彼は泣けなかったのだ。

「そういう気遣いのできるヤツでした。ありがとう、いい話を聞かせてくれて」

相川との30年が頭の中を駆け巡る。テニスとスキーばかりしている同好会に相川を誘ったら、「オレは貧乏だからむずかしいよ」と言ってバイトばかりしていた。北陸育ちの相川の実家に行って一緒にスキーをしたら、同好会の誰よりもうまかった。それはそうだろう。学校に行くにもスキーで行っていたらしいのだから。

「遊びでスキーをしているオレたちに腹が立たなかったか?」

秀夫がそう尋ねたら、「全然。雪がない東京ではスキーは趣味だろ、当然」と明るい笑顔を返したっけ。

実家は確かに裕福ではなかったようだが、家族はみんな親切で明るかった。そんなことを思い出しながら、秀夫は店をあとにした。

道を歩きながらも相川のことが思い出されてくる。不本意なできちゃった結婚をしたにもかかわらず、彼は子どもたちを力一杯愛していた。だから離婚しても自宅のすぐそばに住み、子どもたちと常に連絡をとっていたのだ。

「ばかやろう、どうしてさっさと逝ってしまったんだ」

秀夫は人目も憚らず、涙を流しながら歩いた。

(つづく)

 

イラスト:アイバカヨ

 

 

 

 

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編集・構成 MOC(モック)編集部
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PROFILE
亀山 早苗

亀山 早苗

1960年東京生まれ。明治大学文学部卒業。フリーライターとして、女性の生き方を中心に恋愛、結婚、性の問題に取り組む。『不倫の恋で苦しむ男たち』『夫の不倫で苦しむ妻たち』『不倫の恋の決断』『妻と恋人』『渇望』『オンナを降りない女たち、オトコを降りるオトコたち』など、不倫や婚外恋愛に関する著書多数。『渇いた夜』、『愛より甘く、せつなく』などの小説作品やノンフィクション作品も手がける。

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