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恋のあとさき 15 ~由美子の場合【3】〜

 

 

~由美子の場合【3】〜

人はどうして不倫という名の恋に落ちるのか、そしてその恋はどういう展開をたどるのか。女性たちの気持ちは、そして男性たちの心は……。実話をベースにした不倫小説をお送りします。

 

 

女は高いハードルを一度飛び越えると、次からはどんなハードルでも跳べてしまう。自らを律して生きてきた女ほど、ジャンプ力をもっている。溜めに溜めた力を使うことができるからだ。

息子の孝太が大学を卒業したら、離婚することも許されるのではないだろうかと由美子は考えはじめた。隆史は夫として可もなく不可もない男だった。いや、仕事に没頭して同期の中では出世頭らしいから、そういう意味ではいい夫だったのかもしれない。孝太が大学を辞める辞めないで騒いだときも、結局、夫が父親らしさを発揮しておさめてくれたのだから、父親としても立派なのかもしれない。

ただ、と由美子は考える。男女として自分たち夫婦の関係はどうだったのだろう。見合いのような結婚をした自分のずるさも忸怩たるものがあるが、その後、夫婦としてこまやかな関係を築いてはこなかった。仕事三昧の夫と専業主婦の妻は、それなりに役割分担をしていたから、家庭という形はきちんとしている。この先もそれでいいのか。自分はそんな人生を、最後に幸せだったと言うことができるのか。

意外にも風俗の仕事が自分に合っていることわかり、由美子は毎日、自分が生き生きとしていると実感していた。そして相川という男に出会って、また心が揺れはじめた。風俗で出会った男女が愛情を育むことだってあるだろう。だが、相手は風俗に来るような男であり、自分は風俗で働くような女だ。風俗で働いているからこそ、そこにいる女性たちの純粋さもきまじめさも不器用さもわかったけれど、以前の由美子だったら、風俗で働く女と聞いただけで、そして風俗に行く男と聞いただけで蔑みの目を向けていただろう。

そこまでわかっていながらも、由美子は相川の「本気度」を疑っていた。相川が本気なら、由美子は風俗を辞めてもかまわない。

「ねえ、あなたは私が風俗で働いていることをどう思ってるの?」

思い切って、由美子は相川に聞いてみた。

「どうって? だってゆかりさんがここで働いていなかったら、オレたち出会えなかったんだよ」

「私は他の男の人とも接しているのよ」

「ああ、そういう意味か……。あなたが風俗で仕事をしているんだから、それはしかたがないことだと思ってる」

「嫉妬しないの?」

「だって仕事でしょ。オレは本気でゆかりさんが好きだよ。だけどゆかりさんがオレに本気だとは思えない。あなたは素敵な人だから」

由美子の中で、何かが弾ける。

「私も本気であなたのことを好きになってしまったの。だから困ってる」

相川の顔が輝いた。

「本当なの?」

「本当よ。私、今までこれほど人を好きになったことはなかった。恋愛感情というものを初めて知ったの。あなたに出会って」

相川は由美子の胸に顔を埋めた。

「ゆかりさん、離婚して。結婚しよう」

「仕事を変えるわ、私」

相川がほろほろと涙をこぼす。

「これからはデートしよう、外で。一緒にお茶したりごはん食べたり」

「本当にいいの? 私のこと好きでいてくれる?」

ふたりは固く抱きしめ合った。

 

 

愛に生きたい

 

孝太は大学2年生になった。どうやら大学だけはちゃんと卒業すると決めたようだ。あと3年で親の役目は終わる。それまで由美子は離婚するつもりはなかった。相川もそのことはわかってくれている。

由美子は最後まできちんと仕事をし、10ヶ月で風俗の仕事を卒業した。この10ヶ月で、由美子は彼女のこれまでの人生以上にたくさんのことを学ぶことができたと感じている。

仕事が最後の日、由美子は店長の小倉にネクタイをプレゼントした。

「惜しいなあ、ゆかりさん。もっと働いてほしかったですよ」

「どうしても家庭の事情で。ごめんなさい」

「ゆかりさん、幸せにね」

小倉はそう言って送り出してくれた。ひょっとしたら彼は相川とのことも知っているのかもしれない。初日に会ってからずっと仲良くしていたミエコも別れを惜しんでくれた。

「私はシングルマザーだから、もうちょっとここでがんばるわ」

「そうね。ときどきは会いましょう」

うきうきした足取りで外へ出た由美子は、駅前のデパートに寄り、地下で特上の牛肉を塊で買った。今日はとびきりのローストビーフを作ろう。

その晩は久しぶりに夫も孝太も早く帰ってきて、一家3人で食卓を囲んだ。特に話が弾むわけでもないが、なんてことのない世間話をし、珍しく夫が買ってきたプリンを食べて夜を過ごした。

「相川さんは独身だから、こんな時間をもつこともないのよね」

由美子は心の中でそうつぶやく。孝太が家を出たら、夫とふたりで長い夜を過ごすことになるのだ。やはりそれだけは耐えられない。

数日後、店を辞めてから初めて、相川とデートする朝がやってきた。彼が代休をとるからドライブに行こうと誘ってくれたのだ。夫と息子を送り出してから、念入りに下着を選ぶ。相川とは、ずっと風俗嬢とお客の間柄だったため、一度も結ばれてはいない。今日、初めて、大好きな人と結ばれるのだ。由美子は心がはやるのを止められなかった。店にいるときとは違う、落ち着いたピンクベージュの下着を着けた。色はおとなしいが総レースが美しい。

待ち合わせ場所は由美子の自宅最寄り駅からふたつほどいった駅だ。そこなら知り合いもいないし、駅前のカフェで待つこともできる。

 

<今日は予定通りね>

 

メッセージを送った。相川からは返事がない。おかしいなと思いながらも、由美子は約束の場所に向かった。

駅に着き、まだ早いのでカフェに入る。そこでもメッセージを送ったが、やはり返信はない。それどころか読んでもいないようだ。電話にも出ない。

2時間がたち、由美子はカフェを出た。男の言葉を真に受けた自分を嗤うしかなかった。しょせん、彼は風俗嬢としての「ゆかり」を気に入っていただけなのだ。まだまだお互いに知らないことがありすぎるから、これからゆっくり知り合っていこうといったのもその場しのぎの話だったのかもしれない。

そもそも、相川が離婚して独身ということだって本当かどうかわからない。そういえば、彼の会社名さえ聞いていなかった。電気関係とか機械関係とか、うっすら聞いたような気はするが会社名は知らない。

由美子はとぼとぼと駅に戻り、自宅とは反対方向へ行く電車に乗った。終点までいくと海が見える場所にたどり着けるはずだ。全身から力が抜け、彼女はそのままうとうとと眠り込む。

「ゆかりさん」

相川の声で目が覚める。

「ごめん、オレ、遅れちゃって。しかも携帯が壊れて連絡とれなくて。もしかしたらこっち方面にいるんじゃないかと思って電車に乗ってみたんだ」

「相川さん……。私たち、やっぱり何があっても離れられないのね」

由美子はほろほろと涙を流す。と同時にはっと目が覚めた。夢だったのか……。終点のアナウンスが流れ、立ち上がると顔が濡れていることに気づく。夢の中だけでなく、現実に涙をこぼしていたようだ。

 

鈍色の海を見ながら、浜辺をゆっくりと歩く。車でここに来ようと相川と話していたのだ。そこをひとりで歩いている。この人に会うために私の人生はあったのだと思ったのは、自分だけの誤解だったのだろう。

「ここで働くために大事なのは、いかにお客様に疑似恋愛を体験させるかです」

店長の言葉を思い出す。そう、疑似恋愛なのだ。それなのに自ら疑似恋愛を本気の恋愛だと思い込んでしまった。

「愚かな女……」

クスッと由美子は笑った。彼を知る前にはもう戻れないけれど、ここからまたスタートするのも悪くはないかもしれない。いきなり風俗で働くなんて、あれだけ思い切ったことができたのだから、またきっと何かできるに違いない。磯の香りがふわりと由美子の鼻孔をくすぐった。

(新章へつづく)

イラスト:アイバカヨ

 

 

 

 

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編集・構成 MOC(モック)編集部
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PROFILE
亀山 早苗

亀山 早苗

1960年東京生まれ。明治大学文学部卒業。フリーライターとして、女性の生き方を中心に恋愛、結婚、性の問題に取り組む。『不倫の恋で苦しむ男たち』『夫の不倫で苦しむ妻たち』『不倫の恋の決断』『妻と恋人』『渇望』『オンナを降りない女たち、オトコを降りるオトコたち』など、不倫や婚外恋愛に関する著書多数。『渇いた夜』、『愛より甘く、せつなく』などの小説作品やノンフィクション作品も手がける。

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