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恋のあとさき 18 ~秀夫の場合【3】〜

 

 

~秀夫の場合【3】〜

人はどうして不倫という名の恋に落ちるのか、そしてその恋はどういう展開をたどるのか。女性たちの気持ちは、そして男性たちの心は……。実話をベースにした不倫小説をお送りします。

 

 

秀夫は会社に戻ってもう一仕事するつもりだったのだが、急逝した相川のことを思い出しながら歩いていたら、帰社する気力が失せた。部下に電話で連絡をしてみると、どうやら明日でも差し支えなさそうだ。

直帰すると部下に伝えて帰宅した。

「お帰りなさい。早かったわね。ちょうどいいわ」

沙織のいつもと変わらない声に迎えられた。

ふとキッチンを見ると、沙織がさっき入っていったデパートの包装紙が転がっている。やはりあれは沙織だったのだ。わかっていながら証拠をつきつけられた気がした。

その晩は息子の浩平と娘の春香、一家四人で食卓を囲んだ。子どもたちは口々にしゃべり、沙織がいちいち相づちを打っている。秀夫もときどき子どもたちの話に口を挟んだ。沙織が秀夫のつまらない冗談に笑ってくれる。

「こんな妻が浮気しているのか」

そういう思いが体の底からわいてくる。

 

その晩、秀夫は久々に沙織を抱き寄せてみた。沙織は抵抗しない。

「あなた」

「うん?」

「何かあった?」

「どうして?」

「ちょっと元気がないかなと思って」

そう言いながら沙織は両手を秀夫の首に回してくる。沙織と、相川の恋人だった由美子が重なっていく。好きな男がいても、夫と交わることに抵抗はないのだろうか。もしここで、「今日、沙織を見かけたよ」と言ったら、妻はどう答えるのだろう。もう少しで問いかけそうになって秀夫は口をつぐんだ。妻が言い訳する姿を見たくなかった。少なくとも、妻は今すぐ離婚するつもりはないのだろう。

秀夫はいつになく、優しく、そしてときに荒々しく沙織を愛した。沙織は何度もあえぎ、喉の奥で声をかみ殺していた。

 

 

50代にとって恋とは何なのか

 

相川の四十九日を前に、秀夫は彼の両親から「東京でのマンションを片づけるので立ち会ってもらえないか」と打診された。相川の息子である健太も来るという。

このマンションには何度も来たなあと秀夫は思いながら入って行った。離婚後、彼はこの古くて小さなマンションを借りてひとりで暮らしていた。

チャイムを鳴らすと健太がでてきた。

「安西さん、来てくれてありがとう」

部屋ではすでに荷物の仕分けが始まっていた。「遺品」なのだろうが、秀夫はまだ相川が逝ってしまったことを受け入れられない。

「安西さん、何でも好きなものを持って行ってください。あなたなら何を渡しても慎一郎は喜ぶと思うのよ」

相川の母は葬式のときよりさらに小さくなったように見える。父は体調が思わしくないのでひとりで北陸からやって来たという。

「あ」

秀夫は小さくつぶやいた。大学を卒業するとき、記念にと一緒に買った時計があったからだ。

「これはぜひ健太くんにしてもらいたいな。オレと一緒だよ」

健太は顔を輝かせた。

「今も着けているんですか」

「ああ、直しながらね。おとうさんもずっと着けていたはずだよ」

結局、秀夫は相川が大事に使っていたフィルムのカメラと、よく見かけたネクタイをもらった。あとは健太が引き継げばいい。

家を片づけ、相川の母と息子と3人で近くの中華料理屋で食事をとって秀夫は別れた。

 

数日後、秀夫は由美子に連絡をとった。もし由美子が受け入れてくれるなら、相川のネクタイを渡すつもりだった。

平日午後、代休をとった秀夫は由美子に指定された喫茶店にいた。例の風俗店近くの店だ。

すでに由美子は待っていた。白い顔が小さくなっている。

「大丈夫ですか」

「少し疲れていますけど大丈夫です」

こんな顔をしていたら家族に気づかれないのだろうか。そう思ったが、家の中ではうまく振る舞っているのかもしれない。自分の妻の沙織のように……。

「相川の遺品があるのですが、あなたに渡していいものかどうかと思って」

「私のために持ってきてくださったんですか」

由美子は驚いたように顔を上げた。

「これなんですが」

ネクタイを見た由美子は突然、泣き崩れた。

「これ、私が褒めたネクタイです。とてもお似合いだったので。なんでも娘さんが選んでくださったそうです。そうしたら今度、一緒にネクタイを選んでほしいと言われて」

「そうでしたか」

「これはお嬢さんに渡してさしあげてください。お気に入りだったから」

秀夫は、由美子の真情を見た気がした。好きなら遺品をほしがるものだろうが、由美子は自分の気持ちを抑えて娘の気持ちを思いやっている。それもこれも相川を本気で愛していたからだろう。

「相川が羨ましくなりました」

「はい?」

「彼は離婚して、確かに寂しかったかもしれない。だけどあなたという人がいたから最後はきっと寂しくはなかったでしょう。本当の愛を胸にとどめてあの世へ行けたんじゃないかな。本当に羨ましい」

「そんな……。相川さんはよく、オレは友だちに恵まれていると言っていました。名前は聞いていませんでしたが、きっと安西さんのことだったんですね」

秀夫の体の奥から不思議な力と気持ちがわいてきた。

「ものすごく失礼な提案をしてもいいでしょうか」

「はい?」

「私とホテルへ行ってもらえませんか」

「え?」

「相川はきっとあなたとひとつになることを望んでいた。でもそれができないまま逝ってしまった。私が代わりに彼の無念を晴らしたい。今、急にそんな思いにかられました。失礼なのはじゅうぶんわかっています」

由美子はしばらく黙り込んでいた。水をひとくち飲み、「いいわ」とつぶやいた。

 

 

永遠の時間

 

秀夫と由美子は黙ったまま部屋に入った。秀夫はソファに座り込む。

「やはりあまりにも無謀な申し出でした。帰りましょう」

由美子はうっすらと微笑んで、秀夫の前に跪いた。

「そのままで」

優しく顔を撫で、そうっと唇を合わせた。そうしながら秀夫の下半身に触れてくる。

「何も言わないで」

由美子は秀夫の服を脱がせていく。そしていつしか自分も脱ぐとバスルームへと誘った。

秀夫はだんだん何も考えられなくなっていった。それなのにバスルームから出ると由美子をベッドまで抱いて運んだ。まるで誰かが脳内に住み着いて指示してくるかのような気持ちだった。

言葉はいらなかった。秀夫が抱いている女性は、相川の愛した由美子であり、なかなか心の内が読めない妻の沙織である。そして由美子を抱いている自分は、秀夫であり相川でもあった。

由美子の中に入っていくと、秀夫は自分たちふたりがどこか宇宙の果てに放り出されたような解放感と、一抹の恐怖感を覚えていた。由美子の体はどこまでもしなり、無重力の世界を彷徨うように秀夫を不安にさせた。どんなにしっかり固めようとしても由美子の体も心もつかめない。

次の瞬間、ふわっとした感覚があり、由美子に吸い込まれていくのがわかった。秀夫は思わず「あうっ」とうめく。「相川さん」と切れ切れに由美子の声が響いた。

 

「相川がいたね」

「いたわ、確かに」

秀夫と由美子はベッドで寄り添いながら天井を見ている。

「嫉妬したかな」

「どうかしら。よくやったと言ってくれているかもしれない」

「彼にすべて導かれているような気がしたよ」

「そうね」

「ネクタイ、本当にいいの?」

「ええ。お嬢さんに渡してあげて」

「代わりに何かもらってこようか」

「もしできるなら……」

「なに?」

「骨がほしいわ」

「え?」

「相川さんの骨。かけらでもいいの。無理ならいいけれど」

納骨の前に骨壺からこっそり盗めるだろうか。ふと横を見ると、由美子の目から一筋の涙がこぼれていた。

「わかった。やってみるよ。相川も喜ぶはずだ」

 

由美子と別れて歩きながら、秀夫はやけに体が軽くなっていることに気づいた。相川がエネルギーを与えてくれたのかもしれない。自分の分まで生きてくれ、と。

50代になって老いが見えてきたと感じていた。だがまだがんばれるとも思う。相川と由美子の間には確実に“恋愛”が存在していた。それを壊すことなど死をもってもできないのだ。妻の沙織はどんな恋をしているのだろう。邪魔をせずに妻の恋を見守るのも悪くはないかもしれない。秀夫は、あの日、沙織が入っていったデパートへ寄って、何かおいしいものでも買って帰ろうという気になっていた。

(おしまい)

 

イラスト:アイバカヨ

 

 

 

 

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編集・構成 MOC(モック)編集部
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PROFILE
亀山 早苗

亀山 早苗

1960年東京生まれ。明治大学文学部卒業。フリーライターとして、女性の生き方を中心に恋愛、結婚、性の問題に取り組む。『不倫の恋で苦しむ男たち』『夫の不倫で苦しむ妻たち』『不倫の恋の決断』『妻と恋人』『渇望』『オンナを降りない女たち、オトコを降りるオトコたち』など、不倫や婚外恋愛に関する著書多数。『渇いた夜』、『愛より甘く、せつなく』などの小説作品やノンフィクション作品も手がける。

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