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大嘗祭から紐解く古代日本成立の謎! 忌部氏を追った先に繋がった、邪馬台国への扉!!

 

 

新時代令和が始まった2019年。

来たる11月には大嘗祭が開催されるということで、日本列島各地で準備が行われています。

日本古来より続く皇室の伝統儀式・大嘗祭。

通常は収穫を祝う儀式を「新嘗祭」と呼びますが、新しい天皇を迎える年は特別に「大嘗祭」と呼びます。

忌部研究の第一人者にして古代日本の歴史や大和朝廷のミステリーを追う林博章氏に、大嘗祭の意義や阿波忌部氏一族についてお聞きしました。

 

 

──11月はいよいよ大嘗祭が開催されます。

9月には徳島県吉野川市で麁服(あらたえ)の織り初め式が行われたとニュースで報じられました。

準備が着々と進んでいますね。

 

今上天皇即位の大嘗祭の準備が4月から進められています。

基本的な知識として、歴代天皇の即位にあたる大嘗祭では「阿波忌部氏」という一族が麁服という神衣となる麻織物を調進してきました。

4月に徳島県木屋平村の三木家の畑で行った麻の種まきから始まり、7月に麻の栽培が終わりました。7月中旬の「抜麻式(ばつましき)」で麻の刈り取りをし、繊維を糸にする儀式が始まりました。

そうして木屋平村で育てられた麻を糸にする作業が続けられてきました。

織り初め式の前には糸の受け渡し式がありました。織り初め式では、選抜された織女が手をかけて織って糸にします。

 

 

 

 

──歴史的に大きな意義のある祭典ということで、そのプロセスひとつひとつにも伝統が受け継がられているのでしょうね。

 

麁服を織る女性は、「織女」と書いて「おりめ」と呼ばれます。

阿波忌部の直系である『三木家文書』にも織女という言葉が出てきますので、歴史のある言葉です。

10月下旬までに麻の反物に仕上げます。

完成した麁服は三木家で安置され、祀られて祝詞をあげられます。

そして吉野川市山川町『忌部神社』での出発式を経て調進されます。

 

──麁服はいつ頃皇居に運ばれるんですか?

 

今の段階ではいつになるか未定です。

恐らく10月末ごろには皇居に運ばれるでしょう。

大嘗祭に向けての準備は今、クライマックスを迎えているという段階ですよ。

 

 

 

 

──古代から続く重要な儀式が執り行われるということで、胸が高揚してきますね。

2018年には徳島県阿南市で「若杉山遺跡」が発見されました。

若杉山遺跡は、歴史の謎を紐解く新たなキーワードとなりますか?

 

若杉山遺跡は、水銀朱(すいぎんしゅ)」という顔料を採掘する坑道跡です。

大嘗祭では、麁服が継承の儀で必要不可欠な物ですが、古代王権の継承儀式などで大事にされていた威信財があります。

それが水銀朱で「辰砂(しんしゃ)」とも呼ばれます。

秦の始皇帝が不老不死の妙薬を求めて日本に徐福を派遣したと伝えられていますが、その妙薬とは、水銀朱であったとの話があります。

 

──水銀朱は色をつけるための顔料。

日本で水銀朱が発見された例というと?

 

たくさんありますよ。

墓に水銀朱をまく風習は大和朝廷が始まったあたりの前期古墳から多く使われるようになります。

水銀朱を使うと、真っ赤な色になります。

被葬者の寝床を見てみると、水銀朱で真っ赤に染まっていて、その上に遺体が横たわっています。

金より貴重だったとされるのが水銀朱です。大和朝廷にとってなくてはならない物でした。

 

 

 

 

──権威を象徴する色が「赤」で、その赤色には水銀朱が必要だったんですね。

 

若杉山遺跡が凄いのは、邪馬台国論争にも関わるからです。

魏志倭人伝を読んでみると、『其山丹有』と、邪馬台国に水銀朱が出る山があると書かれています。

その山を研究者たちは探しているのですが見つかっていないのです。

九州や和歌山、伊勢にも水銀朱を産出する鉱脈があるのですが、本格的な坑道は見つかったことはありませんでした。

そこへきて、卑弥呼の時代に水銀朱が掘られた跡と考えられる坑道が発見されました。

若杉山遺跡の規模、出土物の多さ、あらゆる面で突出しています

 

──それは、邪馬台国が徳島にあったということですか?

 

邪馬台国と徳島とは大きな関わりがあったのではないかと考えられます。

 

──邪馬台国がどこにあったのかという謎にはさまざまな学説がありますが、近畿説が有力という考えもありますね。

 

そうですね。邪馬台国は徳島だけにあったのではありません。

徳島、香川、讃岐、吉備、淡路、摂津の東瀬戸内連合が邪馬台国になったのではないかと考えられています。

そして若杉山遺跡の発掘調査が進んだことで、徳島が持つ歴史的な大きな働きが見えてきました。

徳島から、王権継承儀礼に必要な多くの要素が考古学遺物として出土しています。

大嘗祭を考えるにあたり、徳島にも注目してもらいたいですね。

若杉山遺跡は国の指定遺跡になることも決まりました。

 

 

 

 

──古代史好きなら徳島に行かないと!ですね。

 

邪馬台国をはじめ大和朝廷の成立に徳島が大きく関わってきたということが分かってきましたが、中でも若杉山遺跡の近くにある阿南市「加茂宮ノ前遺跡』が重要です。

水銀朱は実用するために精製しないといけません。

それを精製する遺跡が、若杉山遺跡の近くを流れる那賀川流域の『加茂宮ノ前遺跡』で出てきました。

 

──というと?

 

邪馬台国時代だけでなく、約4千年前の縄文時代後期から水銀朱の生産拠点だったということがわかりました。

 

──そんなに前から?!

 

日本最古と思われます。

縄文時代に水銀朱を使ったという痕跡は徳島市国府町の『矢野遺跡』からも出てきています。

しかしどこで掘り出したのかがわからなかったのです。

その謎が少しずつ解明されてきました。

三重県度会町の『森添遺跡』なども同じくらい古いとされていますが、『加茂宮ノ前遺跡』は、もっと大規模な遺跡です。

まだ掘り出している途中ですが……。

 

 

 

──縄文後期の遺跡に水銀朱があったということですが、このころから王権国家も存在していた可能性があるのですか?

 

いいえ。おそらく縄文時代の人々も赤色に特別な魅力を感じて、お祈りや土器に使っていたのではないでしょうか。

その流れは縄文、弥生、邪馬台国、大和朝廷と続いていきます。

 

──縄文後期からさらに技術などが発展し、若杉山遺跡のような坑道で水銀朱を採掘するまでに拡大して大和王権につながるとは。

ロマンを感じます。

 

縄文時代から邪馬台国にかけて、徳島の水銀朱はすごいという情報が日本各地に広まっていったのではないかと考えられます。

『加茂宮ノ前遺跡』は水銀朱の精製だけでなく、同時に畿内地域に先駆けた弥生時代中期から後期、邪馬台国時代にかけた鉄器の製造拠点でもありました。

発掘された竪穴住居跡20軒のうち、何と10軒で鉄器を製造した鍛冶炉や鉄器作りに使用した道具類が発見されました。

 

 

 

 

──その時代の威信財というと銅剣などのイメージでした。

すでに鉄器が?

 

大和朝廷(ヤマト朝廷)の成立には、北九州勢力を介さず、大陸の先進的文物や技術を導入することが不可欠でした。

大和朝廷ができる前は、鉄や鍛冶技術などは北九州勢力が握っていたのです。

大和朝廷が成立したのは、これらの勢力に負けないように最新技術を取り入れることに成功したからです。

それらの技術が九州から東瀬戸内・近畿に移動したことによって大和朝廷ができたと考えられます。

鉄は威信財ですし、みんなが欲しがります。王権の権威となる重要な資源でした。

 

──徳島の水銀朱、そして鉄。

キーワードがつながったとき、謎がまた解けそうです。

 

大和朝廷の成立と鉄とは、密接な関係があります。

奈良(ヤマト)では、邪馬台国時代にほとんど鉄に関する遺跡が出てこないのです。

纒向遺跡の一部のみ(3世紀後半)です。鉄の力を持ったからこそ「俺は強い!」と大和朝廷が主張できるはずなのに出てきません。

つまり、徳島の勢力が鉄の流通ルートを持っていた、大和朝廷への橋渡しの役割を果たしていたと考えることができます。

 

 

 

 

──鉄の供給拠点ですか。

邪馬台国が広い地域にかけて影響を及ぼしていた可能性が高まりますね。

 

徳島では吉野川市流域と県南部に鉄器製造に関する鍛冶炉の遺跡はほかにも10か所くらい見つかっています。

淡路島でも邪馬台国時代に同じような鉄器供給地点が見つかっていて、五斗長垣内遺跡と書いて「ごっさかいと遺跡」と呼ばれています。

そこでは、工具として徳島の吉野川南岸で採れる結晶片岩と呼ばれる青石が出ています。考古学では、徳島と淡路が連動して鉄工房を機能させていたとも考えられています。

徳島の吉野川流域と徳島県南部、そして淡路島のラインがつながり、邪馬台国の鉄流通ルートを握っていたのではないでしょうか。それは記紀神話にいう『国生み』ラインでもありました。

 

──すごいですね。

若杉山遺跡のほかに水銀朱が出てきた古墳はありますか?

 

普通、近畿の古い古墳(前期古墳)には石室に水銀朱が使用されています。

奈良吉野には、『丹生都比売神社』が祀られていますが、奈良では坑道跡が出ていません。

奈良では大仏をつくるときに金メッキを施しますが、多量の水銀朱を使いました。

そのときは奈良産の水銀朱を使っていたと思われます。しかし、それは邪馬台国よりあとの時代になりますね。

 

 

 

 

──総合的に見ると、徳島に大和朝廷を支える要素が多くあるんですね。

 

大和朝廷を支えた母体が徳島にあった可能性が高いです。

以前、平成25年12月1日に岡山市の山陽新聞社で「新邪馬台国サミットin吉備」があり、徳島代表として発表してきました。

それは『邪馬台国と卑弥呼』という書籍にもなっています。

それは邪馬台国がどこにあったのかという謎について話すのですが、吉備岡山、島根、近江などにあったと考える人もいて、私は『邪馬台国阿波母体説』で参加しました。

邪馬台国をつくった母体のひとつは阿波にあると思っています。

 

──そこで古代日本を考えるうえで欠かせないのが「阿波忌部氏」ですね。

 

古代日本の社会システムや技術伝播を忌部氏がすべてつくったわけではありませんが、システムの一部に忌部氏(忌部族)が重要な役割を果たしてきました。

 

──日本の社会システムを日本各地に伝えたとされる謎の一族。

阿波忌部氏についてのお話は、次回インタビューで紹介します!

 

 

 

大嘗祭と深い関わりを持つ地として、今年は徳島に注目が集まります。

そして古代日本の礎をつくったとされる一族・阿波忌部氏ゆかりの地としても、徳島には大きな意味があります。

次回インタビューでは、阿波忌部氏の役割や現代日本が忌部氏から学ぶべきメッセージについて林先生からお話を伺います。

 

写真:塩川雄也 文:MOC編集部

 

 

 

 

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編集・構成 MOC(モック)編集部
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PROFILE

林 博章

1965年(昭和40)徳島市生まれ。青山学院大学法学部卒。2005年鳴門教育大学大学院修士課程修了(地理学)。古代史研究家。市民・行政・産業界と連携し徳島や日本創生のための活動を展開。現在、忌部文化研究会会長

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