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中島義道氏インタビュー第2回 “人生に”入門”がないように、哲学に入門なし”。

 

古代から人々の知的好奇心を刺激してやまない学問・哲学――。真理の探究を掲げ、人生や世界というあやふやな物事を、理性でもって追求する。そんな哲学の分野で“戦う哲学者”の異名を持つ中島義道先生に、“現代社会の生き方、死に方”についてお話しを伺いました。コインの裏表のように切り離せない“生と死”を、先生はどのように考えているのでしょう。

 

――生き方というものを考えていくと、死に方のことも考えずにはいられません。先生の本を読ませていただくと、先生のテーマのひとつが「死」であるように感じられました。そして孤軍奮闘しつつも死に対峙していらっしゃる。

 

あれもひとつのポーズだけどね(笑)。

 

――それ、記事にして差支えないですか(笑)? 今日は先生のイメージが崩れていく……。

 

ポーズと言うとそういう風になりますけど、もちろんポーズに過ぎないわけではない。どんなに深刻なテーマでも、これで生きられるって思うとか、これで儲けられるって、そういうのってあるじゃないですか、人間って。

細かく説明するとだんだん嘘になっちゃうかもしれないけども、やっぱり最大の問題は「死」で終る人生の<全体的な不条理>ですよね。つまり、みな生まれたいと思って生まれたわけではないし、勝手に生まれさせられて、なんだかわからない間に死んじゃう。このことをずーっと人間は何万年も何十万年も繰り返しているでしょ。この得体のしれない何か。それに自分が嵌まり込んじゃった、という理不尽。

私は子供のころ、つらくなると「僕は死ぬ、僕は死ぬ」って自分に言い聞かせておかしくなっていた。確かにどんなにつらくても、「明日死ぬ」って思ったら、それ以外のことはどうだっていいわけですよ。

ですから、私の問題は「死ぬのが怖い」ということじゃなくて、「死ぬとしたら人生は無意味だ」ということです。なかなかみんなにわかってもらえないけどね。この<全体的な不条理>に対して、素直に「それって何?」と問うのは、根本的だと思うんですよ。みんな計画の途中で死んじゃうわけだし。何かを書き残しても、それは単なる「記号」であって、死んだ者にとってはどうだっていい。

私の部屋だって、置いてあるものを全部捨てたってかまわない。私が書いた本だって捨てていい。たいしたこと書いてないしね(笑)。

 

 

――ものごとへの執着はあまり持たれない?

 

私って、じつはかなりいい加減なんです。だから哲学の道に入って長続きできたのだと思う。駒場の学生のころ、哲学をしようと思って大森荘蔵先生(1921年-1997年。物理学から哲学へ転向した日本の哲学者。現代日本における多くの哲学者に影響を与えた)に会いに行きました。必死の思いでね。それこそ「哲学塾」の塾生なんか比じゃないくらいの必死な思いで、「先生から拒否されたら終わり」だというくらい、拒否されたら死ぬしかない、というくらいの思いで。東大法学部を捨てたっていうのは、社会全体を捨てたくらいの気持ちでしたから、危険でしたよね。

ずーっとあとになって、大森先生の奥さんから聞いたんですが。「大森といつも話していました、中島君は自殺するんじゃないか」って。まあそんな感じだったんでしょうね(笑)。

当時は学生紛争の最中で、死んだ若者、自殺した若者もいっぱいいた。社会全体がごちゃごちゃしていた。私は、そういう時代だったからこそ、哲学を続けられたと思っています。じたばたしているうちに、どうにかこうにかいろんなことによってうまくいった。でも、そうじゃない人もいる。哲学を志しても途中であきらめた人は、革命を途中であきらめた人と同様、数限りなくいる。私はいい加減なところがあるから、うまいこと来ているんでしょう。

でも、社会的適正がないから哲学に適性があるっていうのはまったく間違いなんですよ。むしろ。哲学仲間たちは、哲学以外のところでもうまく生きていける人って感じです。

私は30歳まで失敗に失敗を重ね、がたがたやってきて、あまりにもうまくいかないから頭がおかしくなっちゃうくらいだった。そうするとね、こんなに失敗することには何か知らない理由があるんじゃないかと思うようになった(クリスチャンだったら、神の意志とか)。

『明るく死ぬための哲学(文藝春秋、2017年刊行)』に書いたけども。その後、30代の後半で、ウィーンでドクターを奇跡的にも短い時間で取った瞬間から、ダダーっといろいろなことがプラスに動いた。結婚だとか、哲学の東大の助手とか。37歳で日本に帰ってきたら、すぐに若手のカント研究者として認められるようになった。

すると、これ、ちょっとおかしいと思ったんです。あまりにいろんなことが順調に来すぎているから、やはり何か知らない理由があるんじゃないか、と思うようになった。

そうやって“何をやってもダメな時”と“何をやっても恐ろしいほどうまくいく時”の両方を経験しているから、わかるんですよね。自分の努力とは別のところで、すべてが動いていくことを。だから、私は意外に物おじずに、いろんなことをやってしまう。どんどん新しいことに挑戦してしまう。どんなにいいかげんにやっても成功することもあるし、どん名に一生懸命にやっても失敗することもある。すべてがわからないと思うから。

こういう人生の方がいいんだよ、とは言い切れないけどね。

 

 

――人生と哲学とのバランスという言葉が先ほども出ましたが、先生は研究者としてどうやって学問と距離をとっていますか?

 

距離なんて取っていませんよ。この哲学塾10年の間で、カントの研究だって50何年していて、性に合ってると思うけれど、過度に真剣にならないようにしているんですよね。

本なんかサラサラ書いちゃう。この前もある編集者に言われたんですよ、「先生。もっとこう、みんなが驚くような本を書きたいと思いません?」って。「思いません」って答えました(笑)。

本を書くことなんかどうってことないと思っているから、69冊も本を書いてきた。私はね、じつは苦しんで書いたことは1回もない。といって、喜びを感じているわけでもない。ただ、サラサラ書けちゃうだけです。

 

――そうなんですか!? 著書からはエネルギーが溢れ出ているような……、先生の苦闘の爪痕を読んでいるような気がします。

 

そういう工夫をしただけでしょうね(笑)。(一同笑)

今はそうでもないけど、昔は10冊くらい、いつでも本を書く計画が頭の中にあって、ずっと並行して書いていたんですよ。テーマが熟してきたり、10年後にまた続きを書いたりしていた。

油絵も30年習っていて、いま「東京展」という美術団体の会員になっていますが、これも同じ。私は絵を描く苦しみも喜びもあまりない。ただ、サラサラ描いてしまう。私がすでに描いた絵は100何枚以上ありましてね。い加減にやるわけじゃない、一生懸命やる。ただ、自分よりはるかに優れた文化勲章をもらう画家だって、ゴッホだってピカソだって、私はあまり偉いと思わない。すべて、創作者は天才でも特別偉いわけじゃない。

そうじゃなくて、子供が殺された人、無実の罪にあえいでいる人、そういう人が生きているのは無条件に偉いと思います。

 

――精力的に著書を刊行されていますよね。『70歳の絶望(角川新書、2017年刊行)』は、今までと違ってずいぶん明るい切り口ですね。びっくりしました。……でも今日お会いしてみたら、「あれ、どれが本当の中島先生?」と戸惑っています。

 

そうですよね。私ね、相当前から自分で言っているんですよ。『観念的生活(   刊行、後に文春文庫)』あたりからかな?

60歳って還暦でしょ。そのときくらいから徐々にいわゆる「悩み」がなくなってきた。危険な兆候だと思うど。ほとんどないんですよね、今でも。

確かに小学校のころはキツかったけど、しょっちゅう思い出すとか日記をつけるとかして、自分自身のなかで「悩み」を言語化してきた。そして、40歳過ぎて本を書く機会を得ると、単に言語化するばかりではなく、「悩み」を社会に向けて活字化していく。そうすると、不思議な治療作用がある。だから私は本を書いていると思うんです。しかも、私はとくにマイナス面を書くじゃないですか。自分のよくない性格とか、親や妻とのぎくしゃくした関係とか、それって私にとっては「悩み」解消に非常にいいんですよね。

 

 

――『70歳の絶望』は書き方がものすごくユーモラスでした。笑いどころ満載・・・。

 

あれは確かにそうですね(笑)。だけど、今までだっていっぱいユーモアありましたよ。『うるさい日本の私』だってユーモアだらけじゃないですか。

『東大助手物語(新潮社、2014刊行、後に新潮文庫)』は、助手時代の教授による過酷ないじめのことを書いたのですが、もちろん、はっきりした教授に対する復讐です。それは、醜いことでしょうが、そういう非難を受けるのも当然と思って、あえて私は危険なところに自分を追いやるのです。相手も傷つけ、自分も傷つく、そうすると、相手に対する怒りも消えて、自分に対する自責の念も消えて、やはり治療作用があるのですね。

『70歳の絶望』も、編集者からタイトルをもらって「絶望的老後」をこれでもかこれでもかと書いていくうちに、だんだん文章が明るくなっていくんです。おもしろいですね。

 

――哲学は、長続きして取り組むのがなかなか難しい学問のようですが、やり続けるコツなどありますか?

 

私自身、苦しかった20歳ぐらいから70歳までやって来て、どうにかこうにか好きなことやっているわけですよ。好きなことだけをやっている。

つまりね、日本昔話みたいになっちゃったんですよ。私は正直爺さんで、「儲けない儲けない」というやり方をすると結構儲けてしまう。誰も来なくていいからと宣伝も何もしないと、結構来てくれる。ただひたすらいい商品を出すことを心掛けると、みんなに認められる。あったりまえのことで、松下幸之助が言っているのと同じです。

なるべくたくさんの人に来てもらいたいわけではなくて、本当に哲学を学びたい人だけ来るのが一番いい。だから、レベルは落とさないし、塾生に媚びないし、さっき言ったように、嫌な塾生には「来るな!」と言うし、変な策略は何もしない。哲学塾の受講料もとても安いでしょ(笑)。1コマ1,000円か2,000円ですから。

だからむやみに儲けようとせずに、むしろマイナスになるようにやってる。ちょっと加減しながらね。妻との関係もそう。悪くなるように悪くなるようにしていると、意外とうまく行っちゃう(笑)。

50歳ぐらいからかな。それで学んだことがある。「うまーくやろうとすると、人生ってとてもキツイんだ」と思った。資本主義の原理のように、すべてのことを最小の努力で最大の効率を狙うと、キツイんだって。なぜなら、さっきも言ったように、原則的に未来はどうなるかわからないからです、

自分がとっても一生懸命やっているのに、裏切られることがありますよね。でも、それをゼロに持っていこうとすると、こんな仕事はできない。だから、まあ裏切られることも3割くらいあっていいんじゃないかなっと思いながら、人と付き合っています。

そうすると、まぁ……明るくなりますよね。裏切られてもいいと思うと、みんな意外に裏切ませんし、そういう目で見ちゃうと、人生が明るくなる。

 

 

――朝日カルチャーでの出来事(中島先生が当時働いていた朝日カルチャーセンターを退職するまでの出来事)では、他人との関係性に於いて心は傷ついたのでしょうか。

 

あれはまぁ職員の方たちも弱いんだから、しょうがないよね。ただ、ずーっと後になって、改めて(彼女たちと)話してみたいと思うけどね。向こうにも言い分あるでしょうね。

私の場合は、実際以上に強烈に本に書いちゃうでしょ。そして、みんなに大げさに言うでしょ。そうすると、その分だけ、傷が治ってくるわけですよね(笑)。

「音」に対してもそう。私は本当にスピーカーだらけ、「ああせよ、こうせよ」というテー音だらけの日本の街が耐え難いのですが、なるべ相手に攻撃的に反応しちゃう。化粧も同じ。本にも書いたっけ? 「電車の中で化粧するな!」って。すると「ジジイ死ね!」と言われる。そうするとほっとする。何も言わずに怯えている顔をしているより、安心しちゃう。

いくら自分が正しくても相手を傷つけるとキツイじゃないですか。相手から無礼な反応が返ってきて、自分も傷つくほうがほっとするわけですね。

 

――コンビニで怒鳴り、電車の中で化粧してる女性に怒鳴り……。著書では、「気晴らしだから」と仰っていますが、実際のところは怒ってないんですか?

 

怒っているんだけど、とても演技的な怒りです。これはヨーロッパで学んだ。ヨーロッパ人って「ウワー!」ってすごい言い合いするでしょ、でも殴り合うところまでいかない。日本人って言い合いもしないでしょ。私はヨーロッパ人に行くと、飛行場ですぐに喧嘩してますよ。演技的な怒りを実践するんです。

自分が怒っている実際の状態より、もう少し演技して表現することで、ある程度相手に伝わる。受け手も演技してくれるとさらにうまくいくわけですよね。

自分が正しいと思って怒っていると、持たなくなりますよ。言われた相手も、たとえ私の言い分を認めても、私の道徳ぶった態度に反感を覚える。私が怒るときは、無理にでも自分が「正しい」と思わないようにしています。むしろ、趣味だと思っている。

車内で化粧をするのも、大声を出すのも、嘘をつくのも、趣味でしょ、結局。そう思わずに、“誰もわかってくれないのに1人でやってる”という悲壮感を避けるようにしている。その虚しさって凄いことを知っていますから。

哲学もそう。だから「真理を伝えたい」とか「自分の信念を伝えたい」とかそんな傲慢なことを思ってちゃ、哲学なんかできない。私はいつも塾生に言っているんですけど、「みんな勝手に哲学塾に来てるんでしょ、私が頼んだわけでもないのに」って。だから、明日全員いなくなってもいいわけですよね。

 

 

――相当、他人のことを考えて行動していらっしゃいますよね。言葉だけを聞くと突き放されているような気持にさせられますが、そうじゃない。

 

家内なんかにも呆れられるけど、私は寝不足って知らない、まったくわからない、眠れないことが。私はすぐ寝られちゃう。それから時差ボケも感じない。ずーっとボケてるから(笑)。

つまりしなくちゃいけないことというのを決めてないんだね、この50年間。

食べることもそうだね。みんな12時になったら昼食だという。だけど、「なんで12時になると食べるの?」って。私は、12時間食べなくても大丈夫だし、睡眠も10分刻みでできる。ナポレオンみたいなもんですよ。まぁ会社に勤めていないから言えるんでしょうね(笑)。どうにでも配分できちゃうから、ストレスで胃が痛いって意味も分かんない。

常に健康体かって? そうとも言えない。むしろ体は関係ないんだよね、悩んでいても。物忘れは増えているね。もっと物忘れが激しくなったら塾は終わりでしょうね(笑)。

 

――そんな……(笑)。ご自身の“老い”を感じつつ、それも面白がっていませんか?

 

別に意識してそうしてるわけじゃない。ずーっと昔から私ってこうだったわけ。

学会に行くとね、おじいさん先生がいる。偉ぶっているんだけども、みんなが「もうこんなところに出てこなきゃいいのに」って噂をしているような。でも本人には言えないでしょ。

「僕がもしそうなったらお願いだから言ってくれ」と頼んだら、多くの人に「先生すぐ言いますよ」って約束してもらった(笑)。

私はね、老人になって、つまり弱者になってわかったことがある。

それは“老人なんて保護しなくていい”ということ。老人って生意気だし、わりと金持っているんだし、言いたいことを言える。不満があったらゴホンって咳払いをして意地悪、いくらでも老人はできますよね。私は電車の中でも老人に席を譲らなくていいと思っている。仕事で疲れているサラリーマンや、くたびれた若い人がたくさんいますしね。

老人になってみて、いかに自分が甘やかされるかってわかった。ずるいことに、私はそれを全部利用していますけどね。

“暴力老人”って多いじゃないですか。駅員や店員に説教したり怒鳴ったりする。私もそうだけど(笑)、ふふ。

それから、ここまで生きてくると、他人から誤解されることを全然恐れなくなってきました。だいたい人って、他人のことを誤解するでしょ? 私のこともクレーマーと思う人はいますよ。それでも全然かまわない。自分でも大きく分類するとそうだと思っているから。

他人は努力を続ければいつかわかってくれるわけではない。最後までわかってくれないことのほうが多い。家内なんかわかってくれるわけないよね。

 

少しずつ損をする、ちょっとずつ怒られる。それでも「案外うまくいっているんだ」と、そう思えるかどうか。明るく生きるコツは、こんなところにあるのかもしれない。

けれど、明るく生きれば幸せなのだろうか? 私たちが追いかけてやまない“幸せ”とは――? そして、幸せの表裏一体ともいえる“生き苦しさ”とは――?

 

 

 

 

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写真:田形千紘   文:鈴木舞

 

 

編集・構成 MOC(モック)編集部
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PROFILE

中島 義道

1946年生まれ。1977年 - 東京大学大学院人文科学研究科哲学専攻修士課程修了1983年 - ウィーン大学哲学博士  電気通信大学人間コミュニケーション学科元教授。 著書に『哲学の教科書』『時間と自由』(講談社学術文庫)『哲学実技のすすめ』(角川ワンテーマ)『哲学の道場』(ちくま新書)『カントの時間論』『カントの自我論』(岩波現代文庫)『「死」を哲学する』(岩波双書哲学塾)『観念的生活』(文藝春秋)、その他多数。

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