人生100年時代を楽しむ、大人の生き方 Magazine

西寺郷太の「ポップ・ステーション」其の九 ノーナ・リーヴスが通った街、外苑前。ワーナーミュージック・イヤーズ(前編)

 

 

今回、西寺「ポップ・ステーション」駅長が降り立ったのは、東京メトロ銀座線の外苑前駅。神宮外苑、明治神宮球場、秩父宮ラグビー場……駅周辺にはさまざまなスポットがありますが、なんといっても、ノーナ・リーヴスがメジャーでのキャリアをスタートさせた時に在籍していたレコード会社、ワーナーミュージックがかつてオフィスを構えていた場所。いわゆる〈通い慣れた〉駅で当時の想い出を振り返りつつ、今回も4週に渡ってお届けします。では……おっと、お出口は3番です!

 

 

──前回のお話にありましたけど、ワーナーの洋楽にはプリンスをはじめ郷太さんの好きなアーティストがたくさんいたということで、ワーナーミュージックは言わば憧れのレーベルだったわけですよね。

 

そうです。ただ、世界的に見ればもちろん大きなレコード会社ではあったんですけど、日本国内だけで言えば、野球に喩えると巨人とか阪神みたいな感じではなかったんですよね。まさに神宮外苑に本拠地があるヤクルトみたいな?(笑)。悪い意味ではなく、全国規模というより比較的“通好み”なレーベルで。だからこそ僕らみたいな変わり種にも声がかかったんでしょうけど。

 

 

 

 

──ワーナーからのメジャー・デビュー組で、ノーナとほぼ同期のキリンジやクラムボンも“独特の味”が当時も今も変わらないですもんね。

 

ですよね。レーベル・カラーってあるんだなって思いますね。少なくとも当時は、ありました。で、やっぱり、レコード会社で言えば最大手はソニー。巨人ですね。その中にエピックがあって、エピックにはマイケル・ジャクソンやジャクソンズ、ワム!やジョージ・マイケル、シンディー・ローパーなんかのカタログがあって、もちろん憧れでもあったわけですが。その“巨人”から僕らがメジャー・デビューしたのと同じ年にトライセラトップスがデビューして。

 

──トライセラトップスもメジャー同期でしたね!

 

そう、和田唱はあらゆる意味で天才でね。可愛すぎるし、ギターも激ウマで(笑)。長身でルックスのいいベースの林クンと、セッションマンの経験もあるぶっといビートのドラマー佳史クン。このバンドが人気出なかったら誰が人気になるの?っていうぐらいの快進撃でしたよね。トライセラは、和田唱の天真爛漫で浮世離れしたキャラと、「彼女のシニヨン」とか、何気ない女の子の日常を切り取れる歌詞に注目が集まりましたね。なにしろ「シニヨン」ってヘアスタイル、和田唱の歌詞から覚えましたからね(笑)。

 

 

 

 

──右に同じです(笑)。

 

《最近してる 君のその髪型シニヨンっていうんだっけ?》って歌詞、すごくないですか?(笑)。でっかい声で歌う歌詞じゃないだろ!って思いましたし、むしろ“シニヨン”よりも、その前の“髪型(かみがた)”ってワードを歌詞に組み込む発想が僕の中には全然なくて。ちょうど自分も英詞から日本語詞に苦労してトライしてた時だったんで、驚いたんですけど。ほんと革命的ですよね。なんていうか、フリッパーズ・ギターの影響が1ミリもない、というか。下北沢には、そんなバンドはいなかったし。ただ、何より純粋に曲が良かったんですよね。音楽的にも洗練されてて……。まさに“メジャー”って感じでしたね。何より、コードにうるさくてたいていのバンドに否定的な奥田が「トライセラはすごい」って最初から言ってたのが印象的で(笑)。奥田も褒めることあるんや、と(笑)。トライセラは今も仲の良いバンドです。林クンとは、この前急に連絡取り合ってランチ食べに行きましたし(笑)。

 

 

 

 

──(笑)。で、ソニー以外のところでは、エイベックスがすごく勢いがあって、あとはトイズ・ファクトリーがすごかったですよね。

 

90年代はCDも売れてましたから華やかさはありましたね。そういうなかで、ノーナはワーナーと契約したんですけど、前にも話たように、ちょっとこうスタート・ダッシュからズレちゃったんですよね。ディレクターの渡辺(忠孝)さんからは、インディーでの処女作『サイドカー』の中から代表的な曲、「ナンバーナイン・オブ・マイ・ライフ」とか「フリーキー」とかを再レコーディングして、それまでのベスト盤という意味を兼ねた〈メジャー・デビュー・アルバム〉を出すのはどうだっていうアイデアがあったんです。

 

 

 

 

──それこそ、キリンジがワーナーから最初に出したアルバム『ペイパードライヴァーズミュージック』なんかはそういう形をとっていましたよね。

 

ただ、僕らがそれをやるにはひとつ問題があって、曲を作っていたのは主に僕なんですけど、『サイドカー』も、2枚目の『QUICKLY』も下北沢時代に5人で土台を固めていった作品だったから、それを「3人で作ったものです」って出すのがイヤやったんですよ。ケジメもありますしね。あと、時代が急速に変わってたのもあります。前も話しましたけど、僕が影響を受けたブラーなんかもいわゆる1994年、1995年の〈ブリット・ポップ〉的な狂騒からどんどん離れて、よりピュアなもの、ってものを追求していた時期です。

 

 

 

 

──まさに、そういう空気を共有したタイミングでのメジャー・デビューだった、と。

 

あと、90年代の音楽を語る時に意外に忘れてはいけないのが、ビートルズの『アンソロジー』シリーズと、ビーチ・ボーイズの再評価ですね。ビートルズの未発表曲や別テイクをまとめた『アンソロジー1』が出たのが1995年11月。ジョンのデモを軸に3人が参加して作ったシングル「フリー・アズ・ア・バード」は衝撃的で。で、1996年3月に『アンソロジー2』、その年の10月に『アンソロジー3』ってことで、一年間これでもかっていうくらいビートルズ祭が続いたんです。“作り込んだ感じ”じゃなく、90年代にまさにフィットした“生”で“未完成”の格好良さを、結果的にビートルズが体現していたのがすごいですよね。僕、『アンソロジー』シリーズが今も大好きで。特に〈2〉と〈3〉は名盤だと思ってて。原点回帰というか、ニルヴァーナやベックが成し遂げたサウンドと相性が良かったというか。そこからビートリーな「フォーティ・パイ」なんかも生まれてきたと思ってます。ただ……。

 

 

 

 

──レーベルが期待していたものとは違った方向に行ってしまったわけですよね。

 

(笑)。それでね、期待と打ち出し方っていう意味でちょっと思い出したのが、この一年めちゃくちゃサッカーにハマってて。今回のワールドカップ、いろんな国のほとんどの試合観てて。で、日本代表の初戦のコロンビア戦の合間に、Suchmosが歌ったじゃないですか。

 

──NHKのワールドカップ中継のテーマソングですよね。

 

「VOLT-AGE」。あれ、最初は異様に地味な曲だなって思ったでしょ。特に日本のTVでワールドカップを盛り上げる曲ってなると、もっと本当は、ポップなやつをお願いしますとか、テンポが早くて、「ウォウウォウウォウ♪」とかサポーターが一緒に歌える合いの手が入ってるのをお願いしますとかって、いろいろな注文があると思いますから。中継途中に歌が挟まれて、会場で聴いていたお客さんも正直「どうしたらいいの?」って感じでしたよね(笑)。でも、Suchmosの「俺らは皆が喜びそうな曲を渡すだけじゃないんや!」っていう姿勢がすごく伝わってきたんですよ。たとえばDragon Ashの「FANTASISTA」(2002年の日本テレビ「FIFAワールドカップ」テーマ)は大好きでしたけど、みんなで歌える部分っていうのがちゃんとあるじゃないですか。

 

──前回のワールドカップでNHKがテーマソングにしていた椎名林檎の「NIPPON」なんかも、頭から《フレー フレー》でしたしね。

 

でね、今日ここに来る前に、行きつけのカレー屋さんに寄ってきたんですけど、その店の女性マスターが「郷太さん、Suchmosのあの歌、負けちゃいそうな歌ね。どういうことなの?」って訊いてきたんですよ(笑)。なんでご意見番みたいに俺に意見求めんねん、と(笑)。

 

 

 

 

──ズバッと(笑)。

 

でも、僕はむしろ逆に、Suchmosってやっぱりすごいんだなと。いまや、聴けば聴くほどすごい曲で大ファンになってて……いまさらですけど(笑)。Suchmos最高って(笑)。知ってるわ、って言われますよね(笑)。バランスの取り方が絶妙だし、日本の音楽を表舞台で確実に前進させている、と。彼らには、ここ2年ぐらいのあいだに、タイアップであるとか世の中のイイ話みたいなものすべてが殺到したと思うんですね。それを精査して精査して、あちこち断って、これならイイと思ってあてがったのが今回のワールドカップのテーマ曲だと思うんです。確か半年前に出てるんですよね、それも。

 

 

──他の民放局もそれぞれテーマソングがあって、どれも〈盛り上げよう〉っていう要素が含まれてますよね?

 

もし僕に半年前、同じ発注が来ていたら盛り上げる楽曲作るスキルを全力で発揮しちゃってたと思うんです(笑)。ノーナの『MISSION』に入ってる「大逆転」とかもぴったりだと思うし。でも、シンプルに言えば、Suchmosの「VOLT-AGE」は“ワールドカップ”、そして“サッカー”というスポーツそのもののおもしろさ、ドラマティックさ、意外性っていうもののパワーを信じてる気がしたんです。せっかくの美味しいお刺身にマヨネーズとかケチャップとかタバスコわざわざかけまくる必要がないでしょう? でも、特に日本は絶対かけちゃうんですよ。で、いろんな人の意見を取り入れて平均的な同じ味になる。勇気あるなと思いますよ。今回の決断によって、Suchmosが大衆に知られ過ぎ、飽きられてくっていうこともあり得るわけだし。

 

 

 

 

──郷太さんが書いた「ウィ・アー・ザ・ワールドの呪い」を思い起こさせる話です。

 

ともかく、“期待”や“要望”をどこまで取り入れて、どこで自分たちの主張を守るか、伝えるか、ってところのさじ加減ひとつで信用はすぐに失われるってことです。僕も今、こういうインタビューや文章書いたり、ラジオや大学で話したり、プロデュースしたり、もちろんノーナの活動の中で、なんとか日本の中で“踏ん張る”ってことを続けてきたつもりなんで、Suchmosみたいなバンドが人気あって良かったなぁ、と本当に思ってる今日この頃です……(笑)。「STAY TUNE in 東京 フライデーナイト」って歌詞をテレビで最初に聴いた時は、俺が99年に書いてた歌詞やん、って思いましたけど(笑)。

 

──ノーナ・リーヴスは伊達じゃない、と(笑)。

 

ともかく、自分の若い頃を思い出すと、ヒットさせるための方法だとか言って、いろんなアイディア出されて、喧嘩してましたね(笑)。そう、20代の頃、ノーナに来た話でいちばん笑ったのが、ボブ・サップとデュエットせえっていう(笑)。

 

 

 

 

──めっちゃ人気ありましたもんね、ボブ・サップ。CD出してて、マイケルの『スリラー』をパロったジャケでした。

 

あとね、当時大人気だった野村沙知代さんとデュエットすれば?っていうのもあった(笑)。今でいう炎上商法ですね。僕らは断りましたけど(笑)。ただ、そういうアイディアを言われるがままに引き受けたバンドもなかにはいるんですよね。だけど、もしディスコグラフィーに〈with SATCHIE〉とか入ってたら、それ以降、そんなバンド誰も信用しないでしょ?(笑)。

 

 

 

 

──はい。〈with Suchmos〉だったら興味深いですけど。

 

サッチーとサチモス、大違いですよ!!(笑)。ヤクルトに例えたのが、ここに繋がるとは(笑)。ちなみにボブ・サップやサッチーは、ワーナー時代に言われたことじゃないですけどね。あとプロになってしばらくして、僕は自分が大きな勘違いをしていたことを知るんですね。スタッフの人たちは、ノーナのことめっちゃ好きやから手伝ってくれてると思ってたんです。僕もこういう性格なんでフレンドリーに話すし、ラジオ局や取材で大人たちがみんな集まってきて、雑誌にも載って。僕らの音楽に惚れて、商売抜きで心から僕らを手伝ってくれてるんだろうなって。だけど、1年、2年、3年って経ってくると、そうじゃなかったことがわかってくるんですよね。

 

 

 

 

──有望な新人もあとからどんどん入ってくるわけですしね。

 

あたりまえなんですけどね(笑)。雑誌もお金を払って載せてもらっている、みたいな関係だったり。あー、そうだったのか……みたいな。でも、その中でも本気で心から応援してくれてる人が今も全国にいる、ってのがノーナの武器だと思います。全国キャンペーンとかすると合間も皆が会いにきてくれてすごいんですよ(笑)。20年以上やってると、普通の学生時代の友達より全然長い付き合いですしね。僕らも、他のバンドよりも、そのへんの熱は伝え続けたと思うんで。

 

──にしても、『サイドカー』が96年の12月、『QUICKLY』が97年の8月、97年の11月にワーナーでの初作『GOLF ep.』でしたから、結構なピッチでしたね。

 

そうなんですよ。で、3人で初めての4曲入りのEPで。いずれにせよ、僕らは曲のストックがまったくなくなっていたんですよ。まったくのストックなし。

 

 

 

 

──インディーからメジャーに行くバンドにはままあること……なのかも知れませんが、それにしてもインディーのラスト作からメジャー・デビューまでの時間がなさすぎですよね。それで、アルバム・デビューというのは難しくなったと。

 

そうなんですよ。で、小松がいまだに笑いネタにしてる話があって、『QUICKLY』作ってた頃に僕が住んでた早稲田の家で、僕が小松に「オレ、もう枯れたわ」って嘆いてたって。それなのに、あれからどんだけ曲作ってんねん!って(笑)。

 

ということで、前途多難な始まりとなったノーナ・リーヴスのワーナー・イヤーズ。次回は、待望のメジャー・ファースト・アルバム『アニメーション』制作〜発表時のエピソードを中心にお届けします!

 

 

写真:杉江拓哉( TRON)   取材・文:久保田 泰平

 

 

 

 

西寺郷太の「ポップ・ステーション」新宿駅 90s〜西寺郷太のカレッジ・デイズ(中編)

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西寺郷太の「ポップ・ステーション」駅:其の七 プリンス

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西寺郷太の「ポップ・ステーション」駅:其の八 1995-1999〜ノーナ・リーヴスを動かした街、下北沢(中編)

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編集・構成 MOC(モック)編集部
人生100年時代を楽しむ、
大人の生き方マガジンMOC(モック)
Moment Of Choice-MOC.STYLE

 

 

PROFILE

西寺 郷太

1973年東京生まれ京都育ち。早稲田大学在学時に結成したバンド『NONA REEVES』のシンガーであり、多くの楽曲で作詞・作曲も担当している。音楽プロデューサー、作詞・作曲家としては少年隊やSMAP、V6、KAT-TUN、岡村靖幸、中島美嘉などの多くの作品に携わる。また、ソロ・アーティスト、堂島孝平・藤井隆とのユニット「Smalll Boys」としても並行して活動。そして、日本屈指の音楽研究家としても知られ、特にマイケル・ジャクソンをはじめとする80年代の洋楽に詳しく、これまでに数多くのライナーノーツを手がけ、近年では80年代音楽の伝承者として執筆した書籍の数々がベストセラーに。代表作に小説「噂のメロディー・メイカー」(扶桑社)、「プリンス論」(新潮新書)など。テレビ・ラジオ出演、雑誌の連載などでも精力的に活動し、現在WOWOWのインターネット番組「ぷらすと」にレギュラー出演中。

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