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内田樹氏インタビュー【第2回】 反知性主義に陥る前に。今こそ資本主義と民主主義を問い直したい。

 

静謐な道場に、雄弁な男がいる。神戸女子学院大学名誉教授にして武道家でもある内田樹氏だ。
日本を重んじ、日本を憂う。私塾「凱風館」を設立し、知的欲求に飢えた人々の目を啓かせる。大学教育が崩壊していく日本において、私塾で高等教育を実施しようとするその思いに迫りました。

 

――アカデミックな教育がますます画一化、均一化されたらこれから先、日本の将来に展望はあるのでしょうか……。

 

展望はないですね。均一化に進んだ最大の理由は日本が貧乏になったからです。「貧すれば鈍す」とはよく言ったもので、まさに貧しくなったせいで、ダメになったのです。

バブル期までは金がジャブジャブあった。僕が院生だった頃、助手だった頃はほんとうにリッチでした。文教予算なんか国全体の予算から見ればたかが知れたものでしたけれども、それでも、たいそうな羽振りだった。だから、僕みたいな人間が、何の役に立つのかわからない、変てこな研究をしていても、誰も気に留めなかった。金があったからです。世間の人たちは自分たちの金儲けに夢中で、大学人が何をしようと、そんなこと気にもしなかった。物好きな連中が、金にもならないことをやっていると冷笑していた。でも、冷笑するだけで、「あいつらに予算を回すな」というようなせこいことは言わなかった。金があったから。

でも、バブルが崩壊して、貧乏になると、「無駄飯を食っているやつは誰だ?」というタイプのせこい話をみんなが口走るようになった。パイが大きくなっているときは人間は気前がいいんです。パイの分配に多少でこぼこがあっても、自分のパイが毎年大きくなっている限り、気にしない。でも、パイが縮み出すと、いきなり細かいことを言い出す。「選択と集中」というのは、まさにその分配についての「せこさ」のことです。成果を精密に査定をして、数値的・外形的に価値あるアウトカムがあるものにだけ資源を分配する。実利的なアウトカムをもたらさない活動には一文もやらない。それが「選択と集中」ということです。要するに「ケチ」になったというだけのことです。でも、それが致命的だった。

というのは、成果の「精密な査定」を可能にするためには、客観的で精度の高い「格付け」をしなければならない。でも、「格付け」というのは、プレイヤー全員を単一の「ものさし」をあてがうことによってしか成り立たない。それまで研究者たちはそれぞれ自分の好きなことをしていた。「何をしているのかわからない研究」にも資源が分配されたし、場合によっては「何だかわからない」ということそのものがオリジナリティや創造性を感じさせた。そういう時代が終わったのです。「何をしているのかわかる研究」「役に立つことがわかっている研究」だけに資源が分配されるようになった。「海のものとも山のものともつかぬ研究」にはびた一文出さないと文科省が公言するまでになった。

そんなことをしたら研究が一気に劣化することなんか、誰だって想像できたはずです。あらゆる創造的な研究は、研究している時点では「なんだかすごい結果が出そうな予感がするけれど、いったいこの先に何があるのかわからない」というものです。それに対して、何年後に、どういう成果が出て、どういう利益をもたらすか事前にエビデンスを以て開示しろと命じたわけですから。「どういうふうに化けるかわかりません」という研究には全く予算がつかなくなった。そうやって日本の学術生産力はOECD最下位まであっという間に転落してしまった。

 

 

――成果として目に見えやすいもの、経済効果を生み出しやすいものに傾いているんですね。そうすると、学問への興味やそこから生まれる多様性はなくなっていきますローカリズム宣言』でも書かれていますが、知識や伝統は次世代へ受け継いでいかないといけないということでしょうか。

 

行政の方向とか企業の意向とは無関係に、日本の資源や伝統芸能を守って次の世代につなげていこうという人はたくさんいます。放っておいてもそういう人は出て来るんです。ただ、それに対する公的支援がないというだけのことです。「先人から受け継いだたいせつなものを後代に伝えなくてはならない」という使命感によって活動している人は僕の周りにもたくさんいます。私塾や道場を作る動きもその一つです。そういった活動は規模が小さいし、公的な支援はまずありません。凱風館だって、公的支援なんかゼロです。その一方で、とてつもない金額が、権力中枢に近い人たちのところにはざくざく流れている。森友・加計問題というのは、まさにそうでしょう。

権力の周囲に集まってくる「イエスマン」たちに優先的に金を配るという今の政権のネポティズム的体質というのは、「貧乏」がもたらしたものなんです。国が貧乏になるとそうなるんです。身内だけにお金を回そうとする。お金がたっぷりあるときは、公的支援だって潤沢なんです。それがなくなって、仲間内の内輪のパーティに公的資源を集めるようになっている。末期的です。

 

――世の中がそういう風に変わったのは、人そのものも変わってしまったからですか?

 

変わりましたね。“バカ化”したと言っていいと思います。別にいきなり人間が邪悪になるということはありません。でも、あるクラスターが選択的に頭が悪くなるということはあります。日本の場合は、指導層にいる人たちが政治家にしろ、官僚にしろ、学者にしろ、ジャーナリストにしろ、知的能力が停滞していますね。

昔は違っていた。政治家や官僚や大企業の経営者には、頭が良くて腹黒いという人が多かった。でも、今は「頭が良くて腹黒い」というタイプはほんとうに減ってしまった。頭が悪くて、腹も黒い。あるいは本人は主観的には善良なんだけれど、ひどく頭が悪い。そういう人が政治家になっている。

頭の悪さには際立った特徴があります。それはものごとの適否を判断する時の「タイムスパン」が異常に短いということです。平気で嘘をつくじゃないですか。そんな嘘をついても、すぐにバレるから嘘をついてもしょうがないことでも嘘をつく。僕たちが嘘をつかないのは、嘘がバレると失うものが多すぎるからです。「嘘は間尺に合わない」。でも、「間尺」をうんと短く取ると、場合によっては「短期的には嘘をついた方が利益が多い」。日本人が全体として、ものごとの適否を判断するときのタイムスパンが短くなっている。だから、今の政治家たちは3日前に言ったことと全然違うことを平気で断言する。前の発言との矛盾を指摘されると、「そういう意味で言ったのではない」と平気で言う。もうメディアでは「食言」という言葉を見ることさえなくなった。今や誰も首尾一貫性や論理的整合性を政治家に求めなくなってしまった。“反知性主義”というのはそのことなんです。

昔、東京地検にいた友人がテレビの推理ドラマを見ながら、「こんな簡単に犯人が自白するわけないじゃないか」と吐き捨てるように言っていました。供述の前後の矛盾を指摘された瞬間に、がらがらと崩れて「すみません!私がやりました!」と告白するようなやつはいないよ。供述の矛盾を指摘されたくらいで「私がやりました」と自白を始めるのは、内田のような自分のことを知的だと思っているやつだけだよ、と。ヤクザなんて、前の日の供述と今日の供述がまるで食い違っていても、平然としている。「言うことがころころ変わっているじゃないか!」と責め立てても、「あれ?オレ、そんなこと言いました? じゃ、それはなしにして、今日話したことがホントだということにしてください」と開き直るそうです。供述が変転するのはたしかに心証は悪いけれど、それが有罪の証明にはならないことを本職の人たちはよく知っているのです。逆なんです。言うことが首尾一貫していて、供述がぶれないのは検察官にとっては「落しやすい」人間で、嘘つきはどれほど論理矛盾をついても自白しない。今の政治家たちはまさにそのヤクザのやり口を真似ているわけです。前後の矛盾や食言を指摘して、あなたは知性的ではないと証明してみても、「私が知性的でないことが何か問題でも?」という人には、まったく無効なのです。

 

 

――人が、知性から遠のいてきている?

 

そうです。言うことが矛盾していたり、首尾一貫していないことを「恥ずかしい」と思うのは、自分が知性的であることにアイデンティティーを置いている人だけです。でも、今の政治家たちはもう「知性的である」ということにおのれのアイデンティティーを置いていない。「知性的でない」ということが証明されても、それを恥と思わない。これが日本中に蔓延している反知性主義ということなんです。

でも、首尾一貫性がないというのは、信頼性とか予測可能性が成り立たないということなんです。「言った言葉を守る」というのは人間同士の信頼関係の基盤ですけれど、もう、人を評して「あの人は言った言葉を違えない人だ」という言葉を聞くことがほとんどなくなりましたね。

人が約束を守らなくなった。平気で嘘をつくようになった。それは社会全体としてはきわめて危険なことです。秩序の根本が崩れている。「正直」とか「信頼」ということが成り立たなくなる。

 

――それは個人レベルのことではなく、社会に関わることなんですね。

 

嘘をつくのが当たり前になると、国民は「性悪説」でものを見るようになる。たしかに性悪説というのは、ある種のリアリズムではあるんです。でも、性悪説に基づいて制度設計された社会というのは、管理コストが桁違いに跳ね上がる。「ふつうの人は約束を守る」「ふつうの人はものを盗まない」「ふつうの人は嘘をつかない」ということを前提にしてシステムを作ると、管理コストはきわめて安く済む。しかし、「万人が潜在的には泥棒であり、ちょっと目を離したすきに悪事を働く。万人からわれわれの財産や生命を守らなければならない」ということを前提に社会システムを設計したら、セキュリティに膨大なコストを投じなければならない。

今の日本で労働生産性が大きく下がっているのは、社会が性悪説にシフトしつつあるからです。ある政策の適否を判断するためには、「事実」に基づくしかない。でも、人々が平気でデータを捏造したり、改竄したり、虚偽を述べ立てたりするようになると、議論を始めるより手前に「ファクトの確定」という仕事をしなければならない。「嘘を除去する」というこのタスクは何の意味もありません。よきものを何一つ産み出さない。純粋な消耗です。でも、今の日本ではそのために膨大な手間暇をかけなければならない。嘘のデータや嘘の証言に基づいてものごとを進めていったら、どこかで取返しのつかない破綻に遭遇する。何が本当で何が嘘かを識別するためのコストなんて、嘘をつかなければ不要のものなんです。日本が落ち目になったのは、このまったく不要な仕事に膨大な時間と手間をかけることなしには、なにもできないようになったせいです。

 

――『ローカリズム宣言』を読んで不安に思ったのですが、内田先生は日本の未来に希望を見出していないのでしょうか。

 

いや、希望は持っていますよ。ああいう本を書けば、読んでくれる人がいますし、若い人たちには希望を持っていますよ。均一化・画一化がずいぶん進みましたけれど、行き過ぎた分だけ、いずれ必ずバックラッシュがある。ここまで異常に同調圧力の強い教育を行っていると、「もう耐えられない」と声を挙げてくる子どもたちがどんどん出てくるはずです。不登校になった子どもたちを見ていると、そう感じます。そういう子たちは、規格化されることに抵抗がある。個性が強くて、画一的な学校のルールに納得できない。「なんか、違う」と思うけれど、それを言葉にすると激しいバッシングを受ける。そして、不登校になる。だから、今の日本の学校だったら、不登校になるというのは健全である証拠なのかも知れない。僕が今中学生だったら、違いなく不登校になっているでしょう。大学教授にもなれない。僕みたいな人間を受け容れる領域がもうないんですから。

 

 

――グローバル資本主義が進んだ結果、アメリカでも富裕層と貧困層の二極化が進んだそうですね。日本では二極化はどのように顕れますか。

 

二極化は日本でも進みます。でも、アメリカほど極端にはならないでしょう。何だかんだ言っても、日本はまだ教育制度や健康保険が整備されています。日本では保健医療の範囲では、貧富の差で診療内容が変わるということはまずありません。でも、アメリカだとそもそも保険がきく病院が少ない。長い距離を移動して病院を探さなければいけないし、保険がきく病院は医師も看護師も低賃金ですから、学歴も技能も低い。公教育もずいぶん劣化したけれど、それでもまだ整備されています。貧しくても高校まではまだ通学できる。大学になるともう借金しないと無理でしょう。でも、そういう社会的公平性が失われて、階層が固定化し、社会的流動性がなくなっている。

 

――先生が仰る「準・中世化」に社会が向かっているようですね。

 

すでにアメリカはそうなりつつあります。ヨーロッパでも国民的な統合はどこも崩れています。ロシアや中国もそうです。一握りの特権階層に国富の何%かが集積している。国民みんなで分配すべき資源を権力中心の人々が排他的に私有している。

 

――道路のような公的財産が私物化されていくような。

 

だんだん『北斗の拳』や『マッドマックス2』みたいな世界が近づいている。生きてゆくために必要なもの、衣食住も、治安も、防災も、公衆衛生も、もう公的な支援を当てにできなくなって、必要なものは全部自分で買うか、奪うか、盗むかしなければならなくなる。

 

――セーフティネットがなくなっていますね。社会制度を使わずに自己責任で生きていく

 

自己責任でやれ、公的支援を当てにするなと主張する人が増えていますね。特に社会の上層部を形成している人たちは、政治家の子供は政治家、官僚の子どもは官僚、経営者の子どもは経営者というふうに職業が世襲されるようになってきています。社会的流動性がなくなって、身分が固定化するというのも、中世化の一つの指標なんじゃないかな。

上の方の人間は世襲貴族化している。そして、貧乏な家に生まれた子どもたちは「イエスマン」になる以外にキャリアパスが開けない。ルールに従い、同質化圧に屈服する以外に立身出世の手立てがない。ゴマをすらないと出世できない。

そういう意味では、前近代化していると言っていいと思います。もう近代市民社会ではなくなりつつある。なんと短期間に近代から退行してしまったのか。愕然とします。

 

 

――このまま世界中に浸透するかと思われていたグローバル資本主義崩壊、資本主義で生きてきた僕らの常識も崩れているように思います。

 

グローバル資本主義はもう終焉が近づいています。どういうかたちで終わるか、次にどういう経済システムが取って代わるのかも予測できません。

反グローバルのひとつの現れは、「○○ファースト」のように「自分たちさえよければそれでいい」という公共性の欠如した考え方です。トランプの「アメリカ・ファースト」もそうだし、イギリスのEU脱退もそうです。

でも、「自分たちさえよければそれでいい」が国是となった国では、国内でも同じことが小さなスケールで再生産されることになる。次は「自分と周りの仲間だがよければいい。オレたちファースト」になる。今や世界中がそうです。排他的なコミュニティが出来て、それがまた分裂している。

ベルギーは地域によって言語が異なります。フラマン語、フランス語、ドイツ語という言語共同体ごとに自治体をつくって、国を分割した。人口1000万ほどの国を6分割してしまった。でも、こういういふうに分割し始めたら、あとは切りがないんです。「こここからここまでがホームで、ここから向こうはアウェー」というのは幻想です。そこに境界線を引く必然性なんかない。でも、幻想に従って、どんどん「ホーム/アウェー」を分割していったら、もう止まらない。

人類は集団を形成して、共同作業できる能力によって他の動物との生存競争に勝ってきたわけなのに、今やその能力を捨てようとしている。共同体を作るためには、理解できない共感できない他者たちともコミュニケーションの回路を立ち上げる能力が求められているわけですけれども、他者との共生どころか、少しでも自分と違うものは排除する。そんな方向に社会全体が流れています。きわめて危機なことです。

 

――内田先生が立ち上げた凱風館も小さなコミュニティです。分断化するコミュニティとの違いはどんなところにありますか?

 

共同体を分断して、自分たちの仲間とよそ者を分けてゆくのは幻想に基づく行為です。ナショナリズムとかショーヴィズムというのは本質的に「机上の空論」なのです。個人を生身のものとして見ないで、ただの「記号」として見ているだけですから。

僕が試みているのは、下からのビルドアップです。「積み上げ」方式です。生身の個人と個人の繋がりを基礎にして、それを結び付け、重ね合わせて共同体を作ってゆく。そのためには、まずは「顔の見えるコミュニティー」を作る。それが周辺のコミュニティーとゆるやかに繋がってゆく。それが連鎖して、大きなネットワークになる。そういうイメージです

日本の場合、都道府県ができる前には「藩」がありました。300近くのコミュニティが存在して、それが行政単位になっていました。基本的には自給自足できる共同体が300あった。ある種の連邦制ですね。世界的に見ても、連邦制はすぐれた行政制度だと思います。日本の幕藩体制だって、世界史的に見ても成功した統治形態だと言っていい。僕は幕藩制度がいいと思っています。それが連邦を形成して、連邦政府が上に乗るという。アメリカと同じ仕組みですね。

 

――行政単位が小さくなり、住民の目が届く範囲で支援がなされる。

 

高負担・高福祉という制度がフィンランドやデンマークで成り立っているのは、人口が500万ほどの小国だからということもあります。兵庫県くらいのサイズですから。自分たちが払った税金がどう使われているか、はっきりと可視化されている。かたちになって見えるから、納得して高い税金を払える。

中国みたいに人口14億もいる国家だと、どれだけ税金を取られても、それが何に使われているのか知りようがない。だから、納税意欲は減退する。だから、どうやって税金を払わずに済むかを国民は工夫する。公的なものから自分たちの私物や私財をいかにして守るか。これが当然のことになる。

これは国民性の問題というよりは国のサイズの話です。

日本は少子高齢化で、人口減局面に入っています。稼いでいる人の払った税金が稼ぎのない人のために再分配される仕組みを作るためには、「支払った税金が具体的にどう使われているか、どんな人を支援するためにお金が使われているのか」ということが可視化される必要があります。中央に吸い上げられて、税金の分配がブラックボックスになってしまうと、納税意欲は有意に減殺する。

 

 

 

――実際に日本人の納税意識は下がっていますね。

 

2017年度の確定申告は件数自体が例年になく下がるでしょうね。納税意欲はがたがたに落ちていますから。確定申告する人は自分の時間を割いて、税務署まで足を運んで面倒な手続きをしなければならない。忙しい中で、それだけの作業のための時間を作り出すのはかなりの努力が要ります。

それに「たしかに経費として支出したが書類がない」ということは納税者の側には多々あるわけです。これまでは領収書を取っていなかったものについては経費として計上することを諦めていたものについても、今年は「書類はないけれど、たしかに経費として使いました」ということを言う納税者が増えると思います。国税庁長官が「書類は廃棄した」で全部済ませたわけですから、「証拠となる書類を残さないなんて非常識だ」というようなことを税務署から言われたくはない。

でも、これはほんとうに深刻な事態だと思いますよ。官に対する国民的な信頼がなくなると、とにかく税金を払う気が失せる。私財や私権を公共に託すということが不安になる。公共に対する信頼が劣化すると、中国と似て来ます。上に政策があれば、下に対策があるということになる。

公的な機関の公正性に対する信認がないと、公共的なシステムは回らないんです。安心して住める国を作るためには、“信頼性の高い公共”を立ち上げるしかないんです。

今は国家に対する信頼がどんどん崩れています。だから、それに代替するものとして、身近なところにコミューンを作って、そこに私財や私権の一部を負託するという仕組みが出てきているのです。コミューンが公共的なものとして住民の相互支援・相互扶助のネットワークとして働く。

平田オリザさん(日本の劇作家、演出家)は「民主主義の訓練」が必要だということを言われていますけれど、僕も同意見です。民主主義というのは、どうやって運用するかについて実地の訓練が必要なんです。ただ理屈として知っていればよいというものじゃない。民主主義の訓練の基本は「私財私権の一部を公共に負託して、公人としてそれを管理運営する」という実践です。「何が悲しくて俺の金が他人のために使われなくちゃいけないんだ」とか「年金も税金も払いたくない」とか「貧乏なのも病気になるのも自己責任だ」というようなとリバタリアン的な主張する人が日本にもけっこういますけれど、その人たちは自分たちが当然のように遣っている上下水道や交通網や通信網や警察や消防や医療や教育が税金によって維持されているということを忘れている。行政サービスは転から降って来ていると思っている。それでは近代市民社会は成り立たない。

 

 

 共同体を手作りする。公的支援を当たり前のように享受し、それで満足できる社会はそろそろ終わりなのかもしれない。では、これから私たちが踏み出していかなければいけないのはどこなのだろう。

 

 

写真:澤尾康博 文:鈴木舞

 

 

 

 

 

 

内田樹氏インタビュー第1回 反知性主義に陥る前に。今こそ資本主義と民主主義を問い直したい。

内田樹氏インタビュー【第3回】 反知性主義に陥る前に。今こそ資本主義と民主主義を問い直したい。

 

 

 

編集・構成 MOC(モック)編集部
人生100年時代を生きる、
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PROFILE

内田 樹

1950(昭和25)年、東京生れ。神戸女学院大学名誉教授。武道家、合気道凱風館師範。東京大学文学部仏文科卒業。東京都立大学大学院人文科学研究科博士課程中退。専門はフランス現代思想、武道論、教育論、映画論など。主著に『ためらいの倫理学』『レヴィナスと愛の現象学』『ぼくの住まい論』『日本の身体』『街場の戦争論』ほか多数。『私家版・ユダヤ文化論』で小林秀雄賞、『日本辺境論』で新書大賞受賞、著作活動全般に対して伊丹十三賞受賞。神戸市で武道と哲学のための学塾「凱風館」主宰。

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