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自立と孤立、依存と共存 中村うさぎ連載コラム 〜第35回〜

 

 

〜連載第35回〜

自立を目指して生きてきたら、いつの間にか孤立していた。

依存症に苦しんでたら、共存という新たな道が見えてきた。

これは、そんな私の半生の話です。

 

 

自分の半生を振り返ると、数々の困難を乗り越えてきたような気がする。

実際、私に対して「いろんなことを乗り越えてきた中村さんにお話を伺いたい」と言ってくださる人もいる。

 

だが、もしかすると私は、何ひとつ乗り越えてないのかもしれない。

たしかに買い物依存症は治まって、今ではあんなに情熱的に服を買うことはなくなった。

でも、それは「乗り越えた」のではなく、ただ勝手に治まっただけだ。

ホストクラブやウリセンにも興味を失い、いや、それどころか色恋やセックス自体がどうでもよくなってしまったが、それは単に老化のせいで「乗り越えた」ことにはならない。

身体の障害も受け容れたけど、「乗り越えた」と言うより「諦めた」と言った方が正確だ。

 

いろいろなものが過ぎ去ってしまうと、人は「乗り越えた」と思いがちだが、じつは時が過ぎて痛みや苦しみが薄れただけのことなのではないか。

自力で乗り越えたのではなく、ただ「忘れた」だけなのだ。

でも、私のような人間は、それを自分の手柄か何かのように考えてしまう。

そして、「困難を乗り越えて私は強く賢くなった」などと思って悦に入るのだ。

 

我々はそうやって自分を正当化する物語を作り、それを支えに生きていく。

以前はそういうものを、すべて「欺瞞」と感じて激しく嫌悪していた。

しかし、今は少し考えが違う。

「欺瞞」というのは「真実」あってのものだが、常に無自覚に記憶を改竄し自分に都合よく物語を書き換えていく我々人間の習性を考えると、もはや何が「真実」で何が「フィクション」なのかわからない、と思い始めたのだ。

 

そう、「真実」などは存在しない。

あるのは「事実」だけだが、それはいかようにも解釈できるから、ひとつの事実から複数の物語が生まれ、どれもが各自にとっての「真実」になり得るのだ。

なので、何が「真実」か、などと考えても意味はない。

それよりも、自分がどんな「物語」を作ろうと、それはすべて「フィクション」なのだと自覚することの方が大事なのではないか、と考えるようになったのである。

 

私が買い物依存症だったのは事実だ。

だが、私がその依存症を乗り越えて強く賢くなったというのは「フィクション」だ。

私はたぶん、何も変わっていない。

考え方は変わっただろうけど、それを進歩や成長と感じるのは幻想だ。

そういう物語にしておかないと私は生きていけなかった……それだけのことだ。

だから、私は自分の「物語」も他人の「物語」も信じない。

それはあくまで本人が作り出したフィクションであって、もしも「真実」というものがこの世に存在するのなら、「物語」自体ではなく、そういう「物語」の中に潜む思考のベクトルや認知の歪みの中にこそ「その人の真実の姿」が存在するのである。

いや、「真実」というより、それは「魂」と表現した方がいいのかもしれない。

 

たとえば、何でもかんでも「私は被害者」という物語にしてしまう人がいる。

本当にその人がいつも被害者なのかどうかより、その人の人格は「被害者魂」を核にして構築されているのだ、と考える。

その人の語った物語を嘘だと決めつけるつもりはない。

事の虚実などどうせわからないのだから、その人が「私が被害者の物語」を好むということだけ心に留めておけばいいのだ。

それはたぶん、その人を理解する手掛かりとなる。

 

自分を「被害者」に位置付ける物語を好む人は多い。

まぁ、どんな物語を作ろうが個人の自由なので、それ自体を非難する気はさらさらないが、ちょっと違和感を抱いてしまうのは「自分は被害者だから特別な権利がある」という考え方に走るタイプだ。

自分が受けた被害を世間に訴えるのは構わないし、むしろ声をあげるべきでもあるだろう。

が、「被害者は正義」とばかりに自分の中の嫌悪や憎悪を関係のない他者にまでぶつける行為は、単なる八つ当たりにしか見えない。

なんだか最近、そういう人が多いような気がする。

これも、彼ら彼女らが自分の物語をこの世で唯一絶対の「真実」だと思い込んでいるせいだ。

その「真実」を通して世界を、そして他者を見ているからだ。

本当は、バイアスかかりまくりのフィクションなのに。

 

人はすべて「被害者」であると同時に「加害者」でもある、と、私は思う。

犯罪などは別として、「常に被害者」の立場の人など存在しない。

みんな、ある局面では「被害者」であるが、別の局面では「加害者」なのだ。

なのに、「被害者物語」の中に住んでいる人たちは、自分が知らない間に誰かを傷つけていることなど考えもせず、永遠に自己を憐れみ、他者を弾劾し裁き続ける特権を勝手に自分に与えている。

我々の作る物語などほとんどナルシスティックなものには違いないが、この手のナルシシズムが私にはどうにもムズ痒くてならない。

自分を甘やかすのもたいがいにしなはれ。

誰かに傷つけられたからといって、誰かを傷つける権利など発生しないのだ。

そんなヘイトの連鎖を作ってどうするのよ?

 

人は愛によって繋がるよりヘイトによって繋がりやすい、と私は書いた。

戦争が人を幸せにしないのは知っているのに、この世から戦争がなくならないのは、そのせいだ。

そして、ヘイトはいつも他者への恐怖と「被害者意識」から生まれる。

自分がいつも脅威にさらされていると考える人は、攻撃することで自分を守ろうとするからだ。

 

我々には「物語」が必要である。

どんな物語を構築しようと、それは個々人の自由である。

ただ、その「物語」の在り方に、その人の本質は宿る。

だから私は、やたら「トラウマ」を連発する人を警戒する。

その人は「被害者」の名のもとに他者を攻撃する人間である可能性が高いからだ。

(つづく)

 

イラスト:トシダナルホ

 

 

 

 

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編集・構成 MOC(モック)編集部
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PROFILE

中村 うさぎ

1958年生まれ。エッセイスト。福岡県出身。
同志社大学文学部英文学科卒業。
1991年ライトノベルでデビュー。
以降エッセイストとして、買い物依存症やホストクラブ通い、整形美容、デリヘル勤務などの体験を書く。

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