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西寺郷太の「ポップ・ステーション」最終回 ノーナ・リーヴスという名のポップ・トレイン、旅はまだまだ続いてゆく

 

 

これまでシリーズ9回に渡ってお送りしてきた西寺郷太の「ポップ・ステーション」。ひとまず、前回の〈外苑前編〉で終了と相成ったわけですが、今回は当人からの最後のご挨拶も含めて“もうちょっと話しておきたい”ことをまとめた、一編限りの〈ファイナル・カーテン〉をお届け。これにて本当に読み納めとなります!

 

 

──半年間続いたこの連載もMOCでは今回が最後、ということになります。連載の途中からは西寺郷太の歴史語り……と思わせつつ当時の郷太さんやノーナ・リーヴスからほど近かった音楽風景を回想する意味合いもあって。ひとまず、ここでひと区切りと。

 

回想して細かく語る時代がどんどん接近してきたので(笑)。自分が1973年生まれなので、大学生になって京都から上京した18歳の時点が1992年4月。そこから、30代の突入までを回想しようとすると2004年頃までということになります。当初、立ち上げ段階のMOC編集部からの連載依頼は〈インタビュー形式〉で僕の好きなアルバムを一枚ずつ紹介してゆく、というプランでした。でも、“大人”を対象としたサイトであるからこそ、もうはっきりと過去となった90年代を回想しながら僕の個人的体験を細かく語ることで、それぞれが過ごした90年代を思い起こさせる方が楽しいし、歴史的価値もあると考え次第にシフトしていきました。途中で音楽的知識の集積が半端なく信頼のおけるライター、久保田さんに訊き手を頼めたのも良かったです(笑)。写真の杉江拓哉さんは、ほんと天才で。これからもお世話になると思います。

 

 

 

 

──こちらも毎回楽しく取材させていただきましたよ。連載開始以来、どんどん注目も高まっていって、たくさんの方に読んでもらえましたね。

 

それだけ、90年代というのが美しい過去になっているんだなぁ、と。ただ、この調子で細かく、例えば〈2010年代〉を回想するのは、まだ早いかなぁと。歴史として固まっていないといいますか。なので今回はゼロ年代終わり、マイケルが亡くなった2009年までをかなり早回しで語れて終われればなぁ、と。

 

──早回しとは言いつつ、かなり濃い内容にはなるかと思いますが(笑)。ここまで、デビューから4、5年、ワーナーミュージック在籍時の話まで語ってもらいましたが、その後ノーナ・リーヴスは日本コロムビアに移籍して。移籍が決まった日にメンバーとマネージャーで食べに行った寿司がめちゃくちゃ美味かったっていう話でしたよね。

 

そうです、人生でいちばん美味かった(笑)。で、コロムビアに移籍したのは2002年だったんですけど、前年に松村(克己)社長になられたばかりで、言わば新体制で僕らを迎え入れてくれたんです。

 

 

 

 

──松村社長というのは、ほんの少しの間でしたけどサディスティック・ミカ・バンドのベーシストとして活躍されていたジャック松村さんですよね。その後、ミュージシャンを辞められてCBSソニーやBMGジャパンに席を置かれていて。

 

そう、そのジャックさんなんですけど、僕らがコロムビアと契約して半年も経たないうちに亡くなってしまったんです。僕ら、一度もお会いすることがないままで。

 

──たしか、若くして亡くなられたんですよね(享年49歳)。

 

心不全で……。めちゃくちゃ驚きましたし、激動でした。8月末のジャックさんの急逝で、当たり前ですけど新社長が来て、前の社長の方針なんて知らないってなるじゃないですか。で、嘘だろ!?って感じで急に僕らのレーベルや部署もなくなって。10月にリリースした時にレーベルがない。そんなことあるのか、と(笑)。通常、別会社から移籍したバンドは半年くらいリリースできないんですね。なので、この時に関してはワーナーからのデビューの時と違って、半年レコーディングしてた僕らはまったく悪くないと思うんですけどね。コロムビアと契約した2002年の前半は、ジャニーズ楽曲などの制作仕事で紹介してもらい出会ったプロデューサーの門倉聡さんと共同でたくさん曲を作り、レコーディングしていたんです。そこで完成したのが『NONA REEVES』。BOOWYのアルバムで『BOOWY』ってセルフ・タイトルのアルバムを高校時代“ボウイのボウイ”って呼んでたんで。

 

 

 

 

──“ノーナのノーナ”って呼んでますよね(笑)。

 

門倉さんはサザンオールスターズの、それこそセルフ・タイトル・アルバム『Southern All Stars』……1990年に出たのかな? そのアルバムの共同制作者で。ミスチル前の小林武史さんとともに、桑田佳祐さんの懐刀としてタッグを組まれていて。特に門倉色が強いと言われているのが「忘れられたBig Wave」とか、「女神たちへの情歌(報道されないY型の彼方へ)」「さよならベイビー」ですね。

 

──このあと同じ年に出た『稲村ジェーン』が派手な売れ方をしたので、それとくらべてしまうと『Southern All Stars』は今振り返ると地味なポジションなのですが、“地味だけど良い”アルバムなんですよね。

 

「女神たちへの情歌」が特に好きだったんですよ、僕は。なので門倉さんと共に一緒に音楽を作りたい、と。当時の僕はアルバム『ディスティニー』や、その後のシングル「I LOVE YOUR SOUL」で自分やノーナ・リーヴスのできる最高のポップ・チューンを作ってしまった、一旦MAXに達したと思ってましたから。限界を越えるには、より日本のポップ・シーンを理解して、具現化できるプロデューサーが必要だと考えたんですね。実際コロムビア期に、僕自身の作曲レベルは上がった、と思ってます。

 

 

 

 

──“ノーナのノーナ”には「THE DEATH」みたいなインスト曲も入ってますしね。

 

これまで“ダサい”とか“ノーナにはこれはないだろう”みたいに思ってた路線にもグイッと踏み込んだというか。いわゆる90年代の爽やかで洒落た〈渋谷系〉イメージ……僕ら〈渋谷系〉じゃないんであくまでもイメージですけど、そういうのからの脱却というか。かなり、歌謡的でグロテスクに攻めたはずの「ENJOYEE!(YOUR LIFETIME)」がシングルで当時はいろんな人がギョッとしたと思うんですが(笑)、今はむしろ普通ですし。1980年代後半のシンクラヴィア的なチープな感じを目指した打ち込みは、ちょっとやり過ぎたかもですが(笑)。今の若い人はアニソンで育ったこともあって、むしろ刺激的で過剰なディスコ感とかドメスティックな歌謡感も受け入れてくれるんですよね。最新アルバム『MISSION』の「ヴァンパイア・ブギーナイツ」は、ギラギラした「ENJOYEE!」の勢いを、15年の時を越えて改めて出来ないかなぁと考えてつくりました。「GIMME GIMME」「ヒポポタマス」、王道バラードにもトライした「HISTORY」とか、「アルファベット・ボーイ」「トゥナイト 〜愛があった夕べ〜」とか、曲の強度は高いと思います。歌詞に関しては、かなり過渡期で悩みましたけど。

 

──郷太さんが30代になろうかっていう頃ですよね。20代でそれなりにキャリアを積んだミュージシャンが歌詞に悩みはじめる年頃というか、郷太さんもやはり。

 

コロムビアから徳間時代の最初、20代後半から、歌詞に悩むようになって。当たり前ですけど単に若くてフレッシュっていう存在ではなくなるわけで。基本的にロックやポップ・ソングの主人公の多くは20代前半までのキャラクターじゃないですか。一応。なんで、そこを抜けた自分がどう歌手として作詞家として、ポジショニングすればいいのかってことに悩んでたんだと思うんですよね。ただ、やっぱりノーナ・リーヴスで、自分の歌詞ばかり書いてたからこその悩みだったのかな?と。ある種の作詞スランプは暇だった、というか(笑)。考え過ぎが原因だと、今は思ってます(笑)。その時期も「重ねた唇」とか、苦しみながらも納得できる作品を書けてはいるんですけど。あと、自分で歌う曲を全部作詞作曲するだけじゃなく、時には人に作詞を委ねるっていうのも大事なんですよね。僕が作曲して、いしわたり淳治くんが作詞を手がけてくれた「透明ガール」は、いいコンビだったなぁと思いますね。

 

 

 

 

──あとあとになって「あれが〈過渡期〉だった」と振り返ることができるのも、その後の充実した活動あってのことですよね。

 

30代中盤から後半にかけて、若いアーティストのプロデュースをしたり、いろいろな作詞家仕事を経験するなかで「あれ? 作曲家の方が向いてると思ったけど、実は作詞家の方が適性あるかも?」と思い始めて来ました。あくまでも〈職業作詞家〉〈職業作曲家〉という意味では、僕の作曲はちょっと独特過ぎるので(笑)。あとはやっぱり、2009年6月にマイケル・ジャクソンが亡くなってから、執筆や連載の仕事がどんどん増えたことも大きいですね。それでさまざまなシチェーションでコトバと格闘しているうちにどんどん研ぎ澄まされていったというか。2007年に、兄貴的存在といっていい、RHYMESTERの宇多丸さんが、「ウィークエンド・シャッフル」って番組をTBSラジオで始められて。今や伝説と言ってもいい番組で、「アフター6ジャンクション」に形を変えて大好評で続いていますが。

 

──日比麻音子アナがパートナーの水曜日をとくに楽しみにてます(笑)。

 

(笑)。それでまあ、久保田さんはご存知だと思うんですが、僕、小学校生の頃からずっと政治オタクで、自民党の歴史とか派閥争いとか好きで。当時は〈安竹宮〉とか、ニュー・リーダーの時代でしたけど、その前の例えば〈三角大福中〉時代の本とか、GHQ時代の資料とかを10代の頃に読み漁ってたんですよね。で、自分でノートにまとめたり、選挙区を頭に入れたり。まだ10年あるやんけ、早く選挙権くれよって(笑)。「時事放談」はマストで観て、「文藝春秋」と「POP GEAR」を毎月購読して全部読むみたいなそんな感じだったんですけど、宇多丸さんが俺が始めた〈政治〉や〈歴史〉のトーク・イベントの話をめちゃくちゃ面白がって聞いてくれて。

 

 

 

 

──僕も、ノーナのライヴのMCでたまに政治ネタ放り込んでくるの、好きですよ(笑)。

 

それもまあまあウケてるという(笑)。で、「ウィークエンド・シャッフル」で政治の話、戦後自民党の話、郷太くん今度してよってなって、「わかりました!」って言って引き受けたんですが、数日前から怖くなって(笑)。トーク・イベントは一応、ノーナ・リーヴスとか僕のファンが来てるわけですけど、TBSラジオって誰でも聴けるし、政治家も政治記者も聴けるわけじゃないですか。同じ角度で話して舐められるもの嫌ですし。で、なんか、ミュージシャン・西寺郷太ならではの視点で政治を切り取れないかな?ということで、出演前日に突如思いついたのが〈小沢一郎とマイケル・ジャクソンほぼ同一人物説〉で。

 

──この時の放送、聴いてました。

 

2007年10月なんで、まだマイケルは亡くなっておらず、2度目の裁判で無罪となり、マスコミも上げた拳の行きどころがなくなっちゃってた時期ですね。少年虐待疑惑だったわけですが、あまりにも訴えた母親がゆすりたかりの常習犯であることがバレてしまって。そんなこともあって一番叩かれていた時期から、逆に忘却されていた瞬間でした。ま、この話始めると長くなるんでまとめると、モータウンというレコード会社の秘蔵っ子として育ったマイケル・ジャクソンと、自民党の秘蔵っ子として育った小沢一郎さんのキャリアの流れや趣味趣向──動物好きだったり、いつもマスクしてたり、が、〈ほぼ同一人物説〉だと、細かく年表を並べて指摘するというある種の“遊び”だったんですが、それを小林信彦さんや大滝詠一さんも聴かれていて、褒めてくださって。雑誌編集者や、水道橋博士さんも含め、いろんな人から大反響で(笑)。

 

 

 

 

──というか、大滝さんが聴かれていたっていうのは意外なようでもあり。

 

大滝さんご本人から「僕は小沢一郎と同じ岩手の同じ地区の出身ですよ」ってメッセージが届いたのは突然で嬉しかったですね。残念なのは、大滝さんが若い世代の人と対談するっていう企画があって、僕の名前も挙がっていたらしいんですけど、東日本大震災が起こって一旦流れてしまったんです。また次の機会にって言ってたら、大滝さん、亡くなられて。〈ほぼ同一人物説〉以降は、なんていうんですか、本を書いたり、ラジオなんかでしゃべったり、こういった連載で話をすることも増えましたね……。新聞や、講演会などに誘われる機会も増えて。もちろんすべて引き受けるわけではないんですが。

 

──文筆家・西寺郷太との想い出といえば、2009年に上梓された「新しい「マイケル・ジャクソン」の教科書」が発売される直前に、僕とスクービードゥーのMOBYさんがやってたポッドキャストの番組(「NO BASEBALL, NO LIFE.」。現在はFMおだわらで放送中)にゲストで出ていただいて。収録のあとに3人で渋谷の喜楽に中華そばを食べに行ったとき、発売前にして重版が決まったっていう連絡が郷太さんのケータイにあったんですよね。

 

そんなこともありましたね(笑)。まあ、まだまだ途中ですけど、振り返ってみれば、僕は誰も通ってない道を通ってここまで来てると思うんですよね。またまた大滝詠一さんの話で恐縮ですけど、日本のミュージシャンって、曲を作って出すことだけを表現だと思ってるからダメなんだって。音楽を究めて、それを言葉とか文章で発表するっていうことも、曲を作って出すのと同じぐらい重要なんだって、いつも仰ってましたよね。研究と実践、その両方が大事ってことなんですよね。ニュー・アルバムができました、聴いてください、キャンペーン回りました、ツアーしました、っていう繰り返しだけじゃなくて、自身を媒介にして他にもこういう音楽があるのかっていうのを聴く人に気づかせる、そういうことを大滝さんはやってきたんですよね。大滝さんの場合、晩年は研究ばかりに熱心で「早く新曲ください!」って言われることもあったかとは思いますけど(笑)。

 

 

 

 

──たしかに、大滝さんによって気づかされた音楽がたくさんあります。フィル・スペクターとかクレイジーキャッツとか、50〜60年代のアメリカン・ポップスなんかは大滝さんや達郎さんがガイドになってますね。まあ、郷太さんの働きによってマイケルやワム!を知った人も多いでしょうけど。

 

おこがましいですけど、僕は世代はだいぶ下ですが、結果的にですけど、大滝さんのうしろを通ってきたと思ってるんですよね。自分もプロになって、いろいろ悩みながらやってきて現在に至ってますけど、そのなかで出会った人の話をしていくことも、その偉大さを継承していく作業なのかなって思いますね。「ポップ・ステーション」のMOCでの連載は終わりますが、こういった作業はこれからも続けていきます。

 

──さて、ノーナ・リーヴスは、前回お話していたディレクター竹原さんの想いも繋がったのか、2017年にワーナーミュージックに復帰して……。

今に至るという感じですかね。みなさん、アルバム『MISSION』聴いてください(笑)。あと、今、新しいアルバムを作ってます。今回、まとめて90年代を回想するチャンスをもらったんで、次のアルバム楽曲に反映されていると思います。ありがとうございました!

 

──アルバム、楽しみにしてます!

 

 

 

エンディングBGM:ジョージ・マイケル「Kissing A Fool」

 

 

写真:杉江拓哉( TRON)   取材・文:久保田 泰平

 

 

 

 

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編集・構成 MOC(モック)編集部
人生100年時代を楽しむ、
大人の生き方マガジンMOC(モック)
Moment Of Choice-MOC.STYLE

 

PROFILE

西寺 郷太

1973年東京生まれ京都育ち。早稲田大学在学時に結成したバンド『NONA REEVES』のシンガーであり、多くの楽曲で作詞・作曲も担当している。音楽プロデューサー、作詞・作曲家としては少年隊やSMAP、V6、KAT-TUN、岡村靖幸、中島美嘉などの多くの作品に携わる。また、ソロ・アーティスト、堂島孝平・藤井隆とのユニット「Smalll Boys」としても並行して活動。そして、日本屈指の音楽研究家としても知られ、特にマイケル・ジャクソンをはじめとする80年代の洋楽に詳しく、これまでに数多くのライナーノーツを手がけ、近年では80年代音楽の伝承者として執筆した書籍の数々がベストセラーに。代表作に小説「噂のメロディー・メイカー」(扶桑社)、「プリンス論」(新潮新書)など。テレビ・ラジオ出演、雑誌の連載などでも精力的に活動し、現在WOWOWのインターネット番組「ぷらすと」にレギュラー出演中。

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