人生100年時代を楽しむ、大人の生き方 Magazine

西寺郷太の「ポップ・ステーション」其の十 ノーナ・リーヴスが通った街、外苑前。ワーナーミュージック・イヤーズ(中編)

 

 

3番出口の階段を昇って、目の前の横断歩道を渡り、次の信号を渡って右に曲がると、そこにはかつてノーナ・リーヴスが通っていたワーナーミュージックのオフィスがあった──東京メトロ銀座線外苑前駅周辺からお届けしている西寺郷太の「ポップ・ステーション」駅。今回は、キリンジやクラムボンなど世代の近いバンドがワーナーミュージックに集まってきた1999年にまつわる、ちょっとイイ話から。

 

 

ちょっと前に、燃え殻さんっていう小説家/ライターの方がやられてるラジオに呼ばれたんですよ。燃え殻さんは僕と同い年で、「ボクたちはみんな大人になれなかった」っていう小説で大ブレイクした方ですけど、それよりちょい前から同い年の仲間が集まる「73会」って飲み会で顔合わせて知ってて。で、2ヶ月ほど前にたまたま深夜恵比寿で飲んでたら、彼も同じ店で飲んでて、久々に会ったんですよね。そうしたら「今度ラジオ番組やるんで、郷太さんにぜひ出て欲しいんです、ミーティングで名前出したばっかりでまた会えるなんて驚きました」って言われて。僕も酔ってたんで「えー、燃え殻さん、ラジオやるんですね、何回かやってるんですか?」って訊いたら「初めてなんですよ。慣れないんでめっちゃ緊張してます」的な雰囲気で。そこで俺もちょっと火がついちゃって「ラジオなら任せてくださいよ。名前出してくれて嬉しいっすよ。全然イイっすよ」って言ったんです。そしたら燃え殻さんが言うには、番組スタッフが「深夜なんで、郷太さん生放送に呼ぶのは流石に無理ですよ」ってオファーを止めたらしいんですね。もう企画会議の時点で流れた話なんだ、と。それを聞いて「いやいや、そんなん気にしないでくださいよ、初めてのラジオ番組なんでしょう?事務所に連絡してくれたら必ず出ますから」って、まあ飲みの席だったこともあって僕も気楽に答えたんです。でまあ、後日事務所に本当にオファーが来たら、それが朝4時の生放送という(笑)。それもFM横浜で(笑)。

 

 

 

 

──ああ、それはたしかにお願いするのにも気を遣う時間帯ですね(笑)。

 

深夜のラジオにミュージシャンが出てるっていうのは珍しくないですけど、それはだいたい“収録”ですからね。まあ、昔は深夜でも生でしゃべってた番組も多かったんですけど、僕らも文化放送でレギュラーやってましたしね。ただここ10年以上、ド深夜の生放送はほとんどない。燃え殻さんは、そういう部分の経験はないから、真夜中でもミュージシャンがラジオでしゃべってることもあるってずっと思ってたと思うんですよね(笑)。いや、それ収録だからって、散々文句言ったんですけど(笑)。正直、仮に俺がMCの番組だったとして20年仲がいい、和田唱や小宮山雄飛や堂島孝平でも呼べないですよ(笑)。それも深夜って12時とか1時かと思ったら、まさかの朝4時(笑)。生だから遅刻は絶対に厳禁じゃないですか。もうね、2時半ぐらいに家出て。俺が勝手に引き受けた仕事だから、スタッフも動かなくていいよって言って、自分ひとりで第三京浜車で行って必死こいて一時間前に着きましたよ(笑)。

 

──深夜のドライヴっていう悠長なものでもなかった(笑)。で、どんな内容の番組だったんですか?

 

ただ、なんかこの流れで結局断ると「男がすたる」というか(笑)。出ることに意味があるような気がしたんです。この時代に深夜の生放送、というのもね。それと、燃え殻さんの小説の内容に関して、僕は基本否定的な立場をとってたんですね。

 

 

 

 

──そうだったんですか?

 

彼にもそれは伝えてたんです。もちろん小説を書いて、多くの人を感動させたことは凄いし、賞賛されるべきだと思ってます。でも、燃え殻さんが描いて「共感」を得た主人公のメンタリティや、90年代後半時代背景の描写が僕にはまったく響かなかったんですね。え?みたいな。単に真逆の世界から見てたってだけで、優劣ではないんですけどね。あくまでも僕の好みではなかった。それを彼には伝えていたのに。

 

──郷太さんを誘ってきた、と。

 

面白いですよね(笑)。いや、そう言う意味で器が大きい人だな、と。彼のことを褒めてくれた人は世の中にいっぱいいたのに。燃え殻さんは「郷太さんは直接、違和感を伝えてくれたことが嬉しかったし、その意味もよくわかった」って、何度もお礼されて。そんなこともあってのオファーだったから、その生放送には出なきゃいけないな、って。FM横浜でもデビュー時にレギュラー番組をもたせてもらっていて、ずっとお世話になってる局ですしね。で、事前にあちらのディレクターから伝えられていたのは、1999年の想い出の曲を5曲選んで話すっていうテーマだったんですよ。ピンポイントで“1999年”ってね。というのも、燃え殻さんの「ボクたちはみんな大人になれなかった」の時代設定が1999年だったからなんですけど、それじゃあと思って選んで持っていったのが、この連載でも以前話したペンパルズの「I WANNA KNOW」、ブラーの「Tender」、TLCの「No Scrubs」、それと98年の終わりに出たけど99年に流行ったっていうことでジョージ・マイケルの「Outside」。

 

 

 

 

──あの曲ですね。

 

そう、ジョージ・マイケルが公衆トイレで囮の警官だと知らずに不純な行為をしかけて捕まって、ゲイであることをカミングアウトしたあとに出した曲。トイレで警官の格好をしてディスコを踊るっていう、外でそういうことしたっていいじゃんって開き直った明るい歌なんですけど、それ、すごく好きな曲で。それと、自分たちの「バッド・ガール」、最新アルバム『MISSION』から原田郁子ちゃんをフィーチャーした「記憶の破片」……これはその、99年にクラムボンがワーナーからデビューして、郁子ちゃんたちともそこで知り合って現在に繋がってるっていうことで。それと、キリンジの「耳をうずめて」。

 

──そのへんはワーナー仲間ということで。

 

でまあ、そんな感じで僕なりに考えて選曲したものを渡したんです。そしたら向こうのディレクターがテーブルに座って台本をめくりながら「郷太さんに選曲していただいた曲なんですけど、1995年から1999年の5曲ということで選んでいただきまして……」って言ったんですよ。

 

──おやおや?

 

それで僕は「いやいや、ちょっと待ってください、最初に1999年って言われましたよね」って言ったんです。事前のやりとりを確かめてみたらやっぱりそう書いてあったんで。そしたら今度は「そのへんはアバウトで結構なので」って言うから、「いや、そのアバウトめっちゃ困るんですけど……」って。もう、うるせーこだわり親父だと思われるかも知れないですけど、「それ、ぜんぜん違うじゃないですか?」って。

 

──わかります!

 

外苑前で良い店教えてって言われたはずが、港区全体でみたいな(笑)、そのぐらい違いますよ。

 

──港区といえば新橋も含まれますから(笑)。

 

でしょ(笑)。いや、自分で例えておいてなんですけど港区どころの騒ぎじゃないですよ。1995-1999って。どっちでもいいから最初から言ってよって(笑)。で、この連載を読んでくれてる人ならわかると思うんですけど、95年といえばオアシスが『モーニング・グローリー』を出した、言わばブリットポップ全盛期です。

 

 

 

 

──日本だったら95、6、7年っていうのは小室哲哉プロデュース・ブーム。それが98、9年ってなると宇多田ヒカルが登場して、ミッシェル・ガン・エレファントも大人気で。椎名林檎やthe brilliant greenみたいに、歪んだギターの音がヒットチャートに顔を出すようになったのも98年前後ですからね。

 

あとは最大の違いとして、95年の時点では僕もまだ素人で、ミュージシャンになりたいなって夢を描いてる大学生だったけど、97年にはワーナーからメジャー・デビューして、99年はなんとかしないとヤバいぞ、プロじゃいられなくなると思ってた時期だから、メンタリティーもまったく違うんですよ。なんか、90年代といえば「渋谷系」でしょう?とか……まあ、90年代に限らずですけど、10年をなんとなくひとつの塊として取り上げているのを目にすることってあるじゃないですか。

 

──ありますね。ざっくり見積もっても、3つや4つのターニングポイントがあると思います。

 

そう、90年代初頭の空気と、真ん中の空気と、終わりの空気はぜんぜん違うんだよなって、そこは、すごく強調したいんですよね。僕らもたまに「ノーナって渋谷系だったんですよね?」とかって言われるんですけど、ぜんぜん違うんです(笑)。強いて言うなら、以前話した「下北ギター・ポップ系の異端児」というべきか。というのも、マイケル・ジャクソンとかプリンスとかをリアルタイムで追っかけてる人は「渋谷系」にはまずいなかったんですよ。80年代のスター特有、王様みたいな服を着てて、煌びやかな格好をしてるのは否定の対象であって。セントジェームスのボーダー着てたりコンバースのオールスター履いてステージに登場するっていうのは、マイケルとは真逆な格好じゃないですか。

 

 

 

 

──ジャクソン5はアリだったりするんですけどね。

 

みんなね、記憶を改ざんするというか(笑)。大学入った頃、マイケルが好きだと言うと「ジャクソン5の頃は良かったのに」が70%、「オフ・ザ・ウォールまでは良かったのに」が25%。で、当時のヒップホップ的観点なのか、スリラーの「ヒューマン・ネイチャー」と、デンジャラスの「リメンバー・ザ・タイム」だけは認める、が5%(笑)。ホント、話題といえば整形だ、肌の色が白くなった、虐待疑惑だって、そればっかりで。それでも好きだ好きだ、凄い歌手だ、音楽家だって言ってた和田唱とか僕なんかは隠れキリシタンみたいな気持ちで(笑)。

 

──まあ、隠してはなかったですよね(笑)。

 

隠れキリシタンではなかったですね(笑)。キリシタンでーす!ってどこでも叫んでましたね(笑)。だから、ミュージシャン界のなかでヘンなやつとして思われてたところもあって。ま、それは今もでしょうけど(笑)。イーグルスとかブルース・スプリングスティーンが好きな当時のおっさんに、え?お前、ワム!が好きで音楽始めたってマジか?嘘って言ってくれよ、みたいな(笑)。たとえば今ね、t.A.T.u.とかシャンプーとか、スキャットマン・ジョンに影響されて音楽を始めましたっていう若い子がいるって聞いたら、そんなヤツおるんか?って思うじゃないですか(笑)。確かに売れたけど、そこまだ追いかけてんのか!みたいな。マイケルとかワム!ってそういう存在だったんですよ。ヒップホップの世界だと、MCハマーとかヴァニラ・アイスがきっかけ、ってことはあるかもしれないけど、大人になってプロになっても一番尊敬してるラッパーがヴァニラ・アイスって人いるんですかね?逆にそういう人がいたら凄いかもですけどね(笑)。

 

 

 

 

──渋谷系という話だと、そもそもノーナがデビューした頃にはブームも終わっていて。

 

だから、今こうやってしゃべっていかないと、とくに若い人が見たら、なんか渋谷系っていうのが90年代に流行ってて、その中の終わり頃にノーナ・リーヴスとか、Cymbalsとかがいて、みたいなことになっちゃう。僕らはぜんぜんそうじゃなくて、オマケもオマケというか、下北沢でやってた頃には渋谷系の景気良いブームも終わってたし、なおかつ僕がフリッパーズ・ギターを聴いたのはすごく遅かったって話を前にしましたけど、小山田さんや小沢さんに直接の影響を受けていると思われたならむしろ光栄と思うぐらいで。

 

 

 

 

──方法論としては近い、ってことですかね。

 

僕はスライ&ザ・ファミリー・ストーンだったりマーヴィン・ゲイだったり、黒人音楽に憧れたイギリスのワム!やブロウ・モンキーズ、アメリカだとホール&オーツ、ボズ・スキャッグス、色々ありますけど、いわゆるブルー・アイド・ソウルというジャンルの音楽を単純に好きだっただけですね。なんとか言葉をリズミックに日本語化できないだろうかって悪戦苦闘したら、NONA REEVESのカラーが完成したっていうだけで。ただプロになってみてわかったことっていうのがたくさんあって。僕は、山下達郎さんの音楽もよく知らなくて、とくに影響も受けていなかったんですけど、日本語でポップスを作ろうって考えた時に、自分が独自に見つけたと思っていた道、この抜け道しかないと思って行ってみたら、そこに〈小沢健二〉っていう道標が立っていたり、さらに掻き分けて行くと、達郎さんや大滝詠一さんがいてってことがよくあって。

 

──先人たちがしっかりと足跡を残していたと。

 

なるほど、皆さん凄いな、と。僕自身、とくに日本の音楽ってアイドルやベストテンものぐらいしか知らなかったし、どっちかっていうと小学校4年生から洋楽にかぶれて、マイケルだプリンスだジョージ・マイケルだビートルズだって、言わば海外サッカーしか観てない、Jリーガーをまったく知らない子どもみたいになってたわけですよ。プラティニだマラドーナだみたいなこと言ってて、日本にはうまい人なんていないだろうって勝手に思ってたけど、自分がサッカー選手になってみたら、日本のサッカー選手がどれだけすごかったかっていうことがわかったみたいなね。最近、サッカーにハマってるんで何でもサッカーに例えるんですけど(笑)。

 

 

さて次回は、ここまで2回に渡ってお届けしてきた外苑前〜ワーナーミュージック・イヤーズの完結編。ここでもまた、忘れられない出会いが待っていて……。

 

 

写真:杉江拓哉( TRON)   取材・文:久保田 泰平

 

 

 

 

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編集・構成 MOC(モック)編集部
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PROFILE

西寺 郷太

1973年東京生まれ京都育ち。早稲田大学在学時に結成したバンド『NONA REEVES』のシンガーであり、多くの楽曲で作詞・作曲も担当している。音楽プロデューサー、作詞・作曲家としては少年隊やSMAP、V6、KAT-TUN、岡村靖幸、中島美嘉などの多くの作品に携わる。また、ソロ・アーティスト、堂島孝平・藤井隆とのユニット「Smalll Boys」としても並行して活動。そして、日本屈指の音楽研究家としても知られ、特にマイケル・ジャクソンをはじめとする80年代の洋楽に詳しく、これまでに数多くのライナーノーツを手がけ、近年では80年代音楽の伝承者として執筆した書籍の数々がベストセラーに。代表作に小説「噂のメロディー・メイカー」(扶桑社)、「プリンス論」(新潮新書)など。テレビ・ラジオ出演、雑誌の連載などでも精力的に活動し、現在WOWOWのインターネット番組「ぷらすと」にレギュラー出演中。

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