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自立と孤立、依存と共存 中村うさぎ連載コラム 〜第12回〜

 

 

〜連載第12回〜

自立を目指して生きてきたら、いつの間にか孤立していた。

依存症に苦しんでたら、共存という新たな道が見えてきた。

これは、そんな私の半生の話です。

 

 

さて、「生きる理由」など必要ないと判断したはいいが、何かしらの目標やゴールを設定しない人生は、本当に虚しく感じられるものである。

理由がないと生きていく気力を失う……それが人間という生き物の特徴らしい。

なまじ知性などを持ったおかげで、このざまだ。

犬や猫は理由も目的も考えず、ただ本能的に「生」に執着している。

それが生き物のそもそもあるべき姿なのだろう。

だが、我々はもう引き返せない。

禁断の「知恵の実」に手を伸ばし、それを食べてしまったのだから。

 

アダムとイヴが食べた「知恵の実」とは何だったのか、私はずっと考えてきた。

何故、人間は「知恵」を持つことを禁止されたのか?

文明が発達して戦争を起こして殺し合うから?

いや、そうじゃない。動物だって殺し合う。

 

違うんだ。

人間が手に入れてはならなかった「知恵」とは、常に自他を区別しジャッジし続ける「私」……すなわち「自意識」なのだ。

己を他者と比較し、「私」の価値を確認したがり、優越感や劣等感で己を苛み続ける。

そういう地獄に、自ら身を投じる羽目になるからだ。

 

我々は「私の価値」を確認せずには生きていられない不幸な生き物だ。

自分に何の価値もないと考えるとあっという間に死にたくなる、この世でもっとも脆弱な生き物だ。

そのため、人は「生きる理由」や「生きる目的」を探し続ける。

まるで理由や目的が、自分の存在価値を裏付けてくれるかのように。

 

だが、「生きる理由がない」ことは、「生きる価値がない」ことなのか?

ああ、それは明らかに違う。

たとえ理由や目的がなくても、その人生が本人にとってかけがえのない唯一無二のものであることには変わりない。

私の人生は私にしか歩めない。

しかも、たった一度きりだ。

本人が投げ出すまでは、その人生には確実に価値があるのだ。

「相対的価値」ではなく「絶対的価値」が。

 

「生きる理由など要らない」と決めた私だが、それでも生きていかなくてはならない以上、残りの人生をどう生きるかは私の責任だ。

私には己の人生に対して果たすべき責任がある。

私の厄介な荷物であり同時に一生離れられない「私」というこの存在と、対峙し、格闘し、

時に手を取り合って生きていく責任が。

多忙のせいにしたり、他人のせいにしたり、社会のせいにしたり、そうやって「私」から逃げ続けてきた時期は、あの病気による身体的な死の体験と仕事を失ったことによる社会的な死の体験によって、きっぱりと終焉を迎えた。

余生の仕事は、「私」と向き合うことしかない。

 

そう考えてみたら、身体が不自由になって外出もままならなくなったことさえ、「自分と会話する時間ができた」というふうにも解釈できるじゃないか(ポジティヴ過ぎるけど)。

それは、私が自らの意志で選んだ「生きる理由」ではなく、私がこの世に生まれてきてしまった者として果たすべき「責任」であり「義務」なのだ。

そう、他の動物ならいざ知らず、このような「自意識」という原罪を背負った人間として生まれた以上、これは否応なく我々に課せられたライフワークだ。

私たちは長い一生をかけて「私」を知る、そんな生き物なのである。

 

人間は「私とは何者か」などという答のない問いを抱えて生きる。

そして、最後まで「私」を知らずに死んでいく。

それでも知りたくて、私たちは「他者」を通して己を確認しようと足掻く。

 

たとえば、「恋愛」。

自分が相手にとってどれだけ大事な存在かを確認することで、自分の価値を確認しようとする。

だから、ないがしろにされるとひどく傷つくし、「愛されてない」と感じると自分の価値がなくなったように落ち込む。

だが、私たちの「価値」は、たったひとりの他者に決定されるようなものだろうか?

恋人を通して確認できるのは主に自分の「女(男)としての価値」であり、そんなものはあなたの「価値」の一部分にすぎない。

 

仕事の評価もまた、他者を通した自己確認だ。

自分がどれだけ認められているか、必要とされているか……もちろんそれは重要ではあるが、それもまた「社会的価値」の部分に過ぎず、あなたという人間の「価値」のすべてではない。

 

恋に破れ、仕事を失ったとしても、あなたの「価値」が皆無になったわけではなかろう。

あなたの存在価値は、他者の承認によって補われる部分はあるものの、本質的にはあなた自身が決めることなのではないか。

世界中の人が君を必要としなくても、あなたが自分を必要としているのなら、そこには「価値」が生じるのだ。

 

だから、私たちは生きている限り、自分の価値を自分で承認する義務があるのである。

己の「価値」の判定を、たやすく他者に明け渡してはならない。

それは自分を他者に委ねる行為であり、自分をないがしろにする行為だ。

私たちはまず、この厄介な「私」と向き合い、その存在を肯定することから始めるべきだろう。

 

自殺未遂の後の悶々とした日々の果てに、私が下した結論はこれであった。

もちろん、それは他者を一切必要としない、という意味ではない。

他者にとっての自分の価値は、あくまで自分の価値のごく一部に過ぎない、と考えることにしたのだ。

たとえば「他者の期待に応えられない私」とか「他者の承認を得られない私」とか「他者に迷惑をかけるだけの私」とか、そういうことで自分を無価値と判断するのはやめる、ということだ。

そして自分が自分にとって本当に価値ある存在と認めるためには、私の嫌いな「私」と和解する必要がある、と考えたのだ。

 

幸い、時間はたっぷりある。

仕事に忙殺されることもないし、以前のように自由に出歩けなくなったから、家で考える時間だけはおかげさまで豊富になった。

これら一連の不幸は、もしかすると、私が人生を見直す転機となるかもしれないのだった。

(つづく)

 

 

イラスト:トシダナルホ

 

 

 

 

 

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編集・構成 MOC(モック)編集部
人生100年時代を生きる、
大人のためのマガジンMOC(モック)
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PROFILE

中村 うさぎ

1958年生まれ。エッセイスト。福岡県出身。
同志社大学文学部英文学科卒業。
1991年ライトノベルでデビュー。
以降エッセイストとして、買い物依存症やホストクラブ通い、整形美容、デリヘル勤務などの体験を書く。

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