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自立と孤立、依存と共存 中村うさぎ連載コラム 〜第15回〜

 

 

〜連載第15回〜

自立を目指して生きてきたら、いつの間にか孤立していた。

依存症に苦しんでたら、共存という新たな道が見えてきた。

これは、そんな私の半生の話です。

 

 

「あんた、死ぬ気なの?」

 

ステロイドの服用をやめると伝えた時、夫は怒りと悲しみの入り混じった表情でそう答えた。

 

ステロイドの急な中断は危険である。

だから私の主治医も、様子を見ながら少しずつ少しずつ減らしていくという方針を取っている。

それは医師として至極まっとうな判断なのだが、このステロイドを続けている限り、私の過食と肥満は止まらない。

そして、私の心の中で荒れ狂う自己嫌悪の嵐も鎮まらない。

こんな日々がずっと続くのなら、死んだほうがマシだと思った。

 

「死んでもいいんだ。こんな毎日が続くんなら」

「そう……それがあなたの答なのね?」

 

夫は肩を落とし、泣きそうな顔で言った。

 

「あなたは自分がこうと決めたら、誰が何を言おうと自分のやりたいようにやる人だから、ワタシは何もできない。あなたが死にたいんなら、ワタシには止められない。だから、好きにすればいいわ」

「うん。じゃあ、薬やめるね」

「何があっても知らないわよ?」

「わかってる」

「わかってるとは思えないわ」

「あと、通院もやめるね。勝手に薬をやめたら検査でバレるから、きっと叱られるもん」

「そうね。先生はきっと怒るわね」

「でもさ、私の身体は私のものじゃん? 医者は病気を治すのが仕事だけど、私の身体や命まで支配する権利はない。だから、私は自分の好きなようにする。医者の命令なんか聞かない」

「……わかったわ」

 

この時の夫の気持ちを考えると、申し訳なくて胸が潰れそうになる。

彼はきっと、こう思っていただろう。

どうしてこの人は、自ら自分の命を縮めたがるのだ?

ワタシがこんなに一生懸命に介護してるのに、よくなろうという努力を放棄して、破滅しかない道を選ぼうとする。

ワタシはこの人に何もしてあげられないの?

どんなに頑張って世話をしても、励ましても、この人には何の効果もないの?

 

夫には、私の地獄がわからない。

同様に、私には夫の地獄が見えてない。

お互いがそれぞれの地獄を抱えて煩悶の日々を送っている。

家族とはいえ、そこは永遠に「他人」なのである。

私たちは「愛」という感情で繋がることはできるが、互いの一部しか共有できない。

相手の心の奥に広がる地獄や砂漠に入り込むことはできないのだ。

ましてや、そこから相手を救い出すことなどできようか。

 

私を救えるのは、私しかいない。

その手段が夫の望む方向とは真逆の「死」を目指すものであっても、それが私の決めた自分の救済方法なのであれば、もはや彼には口出しできない。

夫はそれをよく承知していた。

この人が死にたいのなら、自分はそれを見守るしかない……そのように彼は考えたのだろう。

 

これまで、彼は私に「生きていて」と何度も頼んだ。

私が「もう生きていたくない」と泣くたびに、「でも、ワタシはあなたに生きてて欲しいの」と繰り返した。

「あなたが歩けなくても、仕事ができなくなっても、ワタシはあなたが生きてるだけで満足だから」と。

だが、私はその願いを聞き入れるどころか、首を吊ったり薬をやめたりして、彼の想いを裏切り続ける。

自分の声がまったく届かない妻に、彼はどれほど冷たい拒絶と孤独を感じただろうか。

それはきっと、凍えるような地獄だろう。

私の荒海のような地獄と違って、そこには凍てついた恐ろしい静寂しかない。

 

夫をこのような孤独の氷原に閉じ込めたのは、他でもない私の責任である。

これまでもずっと私は自分の思うように生きてきて、そこに彼の居場所はなかった。

だから私は、彼に恋人ができると、いつも心の底から喜んでいた。

私の心には他者に居場所を提供できるようなスペースがない。

そのことにはだいぶ前から気づいていたので、誰かが夫の居場所になってくれれば、こんなに嬉しいことはないのだ。

もちろん、こんな私だって、夫の幸福を願っている。

自分が彼を幸福にしてあげられたらどんなにいいだろう、それが理想ではないか、と思うのだが、その一方で、自分にそんな能力がないことを誰より承知している。

私の世界には、私しか住めないのだ。

夫婦というのは相手に居場所を提供する関係だと思っているが、私が彼に与えてあげられたのは日本国での在住資格だけだ。

それもまたひとつの「居場所」には違いないが、彼の心の居場所を与えることはできない。

だから彼は、私の夫でいる限り、凍てつく孤独の地獄にたったひとりで置き去りにされることになる。

 

ああ、それを思うと心がキリキリと痛み、罪悪感でいっぱいになる。

ごめんね、ごめんね。

あなたはこんなに私に寄り添って温めてくれようとしているのに、私はあなたをいつも凍えさせている。

でも、私は自分を変えられないの。

私は常に「ひとりで生きていくこと」を目標にしていたけど、そしてそれを「自立」だと肯定的に考えてきたけど、違うよね?

そんなのは「孤立」であって「自立」ではない。

でも、気がついたら私は、こういう生き方しかできない人間になっていた。

私は私なりにあなたを愛しているんだけど、あなたの望む愛し方はできないの。

 

やはり、私は欠陥人間なのだろう。

他者との繋がりに、根源的な不可能性を抱えている。

それがアスペルガー症候群のせいなのか、それとも私の未熟な人間性のせいなのか、そこのところはわからない。

ただわかるのは、私が誰をも幸福にできない人間であるということだけだ。

悲しくも残念な事実だが、私は自分の世界を自分で勝手に地獄に作り変え、ひとりで悶々としていることでしか「生」を表現できない人間なのであった。

 

こうして私は、夫を悲しませながらも、薬の服用を断った。

そして、その身勝手な選択の結果、大きなツケを払わされることになるのであった。

(つづく)

 

イラスト:トシダナルホ

 

 

 

 

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編集・構成 MOC(モック)編集部
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PROFILE

中村 うさぎ

1958年生まれ。エッセイスト。福岡県出身。
同志社大学文学部英文学科卒業。
1991年ライトノベルでデビュー。
以降エッセイストとして、買い物依存症やホストクラブ通い、整形美容、デリヘル勤務などの体験を書く。

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