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自立と孤立、依存と共存 中村うさぎ連載コラム 〜第53回〜

 

 

〜連載第53回〜

自立を目指して生きてきたら、いつの間にか孤立していた。

依存症に苦しんでたら、共存という新たな道が見えてきた。

これは、そんな私の半生の話です。

 

 

「好奇心遺伝子」というものが存在すると、ずっと昔に遺伝子学者から聞いたことがある。

この遺伝子を持つ者は好奇心が強く、危険を顧みずに新しい体験に進んで飛び込んでいく。

その話を聞いた時、「ああ、私はきっとその遺伝子の持ち主なんだろうな」と思った。

ギャンブルのような生き方を自ら選択せずにはいられないからだ。

 

この「好奇心遺伝子」が実際に脳にどのように働きかけどのような人格を形成するのか、その時には詳しく聞けなかったが、私の心の隅にその遺伝子の話はずっと刻み込まれていて、他の知識を吸収するとそれとの関連付けを無意識に行なってしまう。

 

最近読んだ「言ってはいけない」という本に、心拍数と反社会的人格との相関性について書かれていた。

心拍数の低い人間は、他の人間に比べて恐怖心が希薄で危険な行動を取りやすく、「覚醒度」が低いために常に刺激を求める傾向が強いそうだ。

この「覚醒度」とは何かが詳しく書かれていなかったのだが、本の内容から推測するに、要するに「生きている実感の濃淡」の問題のようだ。

つまり、覚醒度の低い人間は「生きている実感」に乏しく、犯罪をはじめとする反社会的行為によって危険な刺激を味わわないと人生に退屈してしまう、ということらしい。

ただ、このような人々がすべて犯罪者になるかというとそうではなく、その刺激を犯罪に求めずに無謀な夢の実現や冒険といったスリリングな賭けに向けて、結果的に社会的成功者になる者もいるという。

 

このくだりを読んだ時、例の「好奇心遺伝子」を思い出した。

危険を顧みずに新しい体験を追い求めるには、まずリスクに対する恐怖心の低さ、常に刺激がなければ退屈してしまう覚醒度の低さが前提条件となろう。

自分の心拍数が平均より低いかどうかは知らないが、この「好奇心遺伝子」と「反社会的人格」には、かなり強い類似点がある。

つまり私は、犯罪者になっていた可能性が他の人より高いということである(苦笑)。

私は昔から「連続殺人鬼」が大好きなのだが、そういった嗜好は私の「犯罪に傾倒する遺伝的素質」から生まれているのかもしれない。

ただ、私の親類縁者には、父方母方ともに犯罪者はいない。

私のこの形質が遺伝的なものだとしたら、親類に犯罪者がいてもおかしくないはずなのに。

 

まあ、遺伝子についてはまだまだ仮説に過ぎないものがたくさんあるので、私のこの人格が遺伝なのか環境なのか、まだ決めつけるのは尚早であろう。

ただ、はっきりしているのは、私には「リスクへの恐怖心の低さ」と「日常に退屈して刺激を求めてしまう覚醒度の低さ」が間違いなく備わっている、ということだ。

この傾向は、私の場合、犯罪よりも依存症という行動様式に顕著に表れた。

破産するかもしれないというヒリヒリした緊迫感が買い物依存症に拍車をかけたのは明らかに「刺激への渇望」であったし、普通なら踏みとどまるところを踏みとどまれずにむしろ破滅に向かって一直線に暴走した時のあの快感は「リスクへの恐怖心の低さ」を如実に物語っている。

 

焼け死ぬとわかっていても炎に身を投じずにはいられない蛾のように、私は自らの破滅を予感しながらもその深淵に飛び込まないではいられなかった。

私はあの時、自分が「そういう人間」であることを初めて知ったのだ。

つまり、破滅的人間であり、反社会的人格である、という事実である。

それまで自分のことをきわめて倫理感の強い順法的な人間であり、危険を避ける臆病な性格だと思っていたので、これには心の底から驚いた。

私の「倫理観」や「順法精神」は、教育による単なる刷り込みであったらしい。

私の本性は、そんなものではなかったのだ。

 

このように、「好奇心遺伝子」「反社会的人格」といった形質に己を重ね合わせてみると、依存症というものの正体も浮かび上がって来る。

幼少期の親との関係とか、ストレスフルな現代生活とか、いろんな原因が挙げられているものの、元々の人格が「危険を顧みず反社会的(自滅というのもまた反社会的行動である)な刺激を求めるタイプ」なのだと言われれば、あの抗いがたい衝動の強さも腑に落ちる、というものだ。

そこに肥大したナルシシズムが加わって、私は際限なく称賛と承認を求めるようになり、反社会的な嗜癖に耽溺していく。

それが私の「自己実現」だったのだ。

 

サイコパスもソシオパスも、きわめてナルシシズムの強い傲慢な人々である。

激しい自己嫌悪に苛まれたりもするが、それは人並外れたナルシシズムの裏返しであり、要するに「自分はもっと凄い人間のばすなのに」という自惚れの強さに他ならない。

「もっと凄いはずなのに、全然凄くない私」を許せないだけなのだ。

「自分なんてこんなものさ」という諦めがつかず、等身大の自己像に軌道修正できない。

そして、基本的に他者を見下しているので、自分の反社会性を「天才的逸脱」と勘違いして自画自賛しているフシもある。

私は社会のルールなんかで縛ることのできない特別な存在なのだ、と。

 

やれやれ、困ったタイプである。

だが、実際にサイコパスやソシオパスが人並み以上の社会的成功を果たすケースも知られているので、たいした才能もない私のような凡庸なソシオパスでさえ、誇大妄想的な自己像を夢見てしまうのだ。

私が「狂人ナルシシズム」と呼んでずっと忌み嫌ってきたメンタリティである。

自分を特別な存在と思いたいあまりに、狂人であることすら自慢してしまう、始末に負えないほど愚かで滑稽な自己愛の亡者だ。

サイコパスもソシオパスも、この傲慢なナルシシズムさえなければ、もうちょっと正しい自己認識ができて、「生まれてすみません」と肩をすぼめて謙虚に生きることが可能だったろう。

 

「生まれてすみません」とは太宰治の名言だが、彼もまた手のつけられないナルシストであり、完全なるソシオパスであった。

でないと、あんなに心中を繰り返して女を死なせたりするもんか。

だから、私は太宰が大嫌いだ。そのナルシシズムが自分にそっくりだから。

「選ばれし者の恍惚と不安、ふたつ我にあり」などと言い放ったヴェルレーヌも大嫌いだ。

選ばれてなんかねーから!

目ぇ醒ませ、この自分大好きソシオパスどもめ!

 

だが、サイコパスやソシオパスの遺伝子は、マイノリティでりながらも淘汰されることもなく、人類の一定数を占めている。

それは一部の、ほんの一握りの天才がその中から生まれ、人類に大きな進化をもたらすからだ。

進化とは結局、種の利益のために多くの不利益な出来損ないも甘受する非効率的な戦略なのである。

私はその「進化」が生んだ出来損ないのひとりだ。

生まれてすみません(笑)。

(つづく)

 

イラスト:トシダナルホ

 

 

 

 

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編集・構成 MOC(モック)編集部
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PROFILE

中村 うさぎ

1958年生まれ。エッセイスト。福岡県出身。
同志社大学文学部英文学科卒業。
1991年ライトノベルでデビュー。
以降エッセイストとして、買い物依存症やホストクラブ通い、整形美容、デリヘル勤務などの体験を書く。

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