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実話ベースの不倫小説 恋のあとさき 2 ~沙織の場合【2】〜

 

恋のあとさき ~沙織の場合【2】〜

人はどうして不倫という名の恋に落ちるのか、そしてその恋はどういう展開をたどるのか。

女性たちの気持ちは、そして男性たちの心は……。

実話をベースにした不倫小説をお送りします。

 

 

快感に引っ張られて

2度目にホテルの門をくぐるとき、沙織は心を決めた。

「私がこの人を好きになって、私の決断でここに来たんだ」と。

男にどうしてもと請われたわけではない、褒めそやされてその気になったわけでもない。

自分が好きになった人とどうしても抱き合いたかったのだ。そう思いたかった。

「どうしてこれほど沙織さんのことが好きになったのかわからない。

でも好きなんだ。

家庭を壊してはいけないとわかってる。

だけどあなたのことも失いたくない」

裕一がそう言ったとき、「私もまったく同じ気持ち」と沙織は笑った。

同じすぎて笑えてきたのだ。それを言うと、彼も笑う。

 

「同じことを考えていたんだね」

 

鳥が餌をついばむように唇を合わせる。

それがだんだん激しくなり、裕一の息遣いが沙織を興奮させていく。

彼の体の重さが心地いい。

自分の体と相手の体の区別がつかなくなっていく。

そう思った瞬間、沙織の体がしなった。

恐怖感が沙織を襲う。

裕一にしがみついているのか、沙織がどこかに飛んでいかないように彼が抱きしめているのかわからない。

とにかく沙織は自分がばらばらになって飛んでいくと感じていた。

 

「沙織さん……沙織さん」

 

遠くに裕一の声が聞こえた。

徐々に意識が戻ってくる。

目を開けると彼がじっと見つめていた。

 

「私……あんまり気持ちがよくて……」

 

自分の声が自分のものと思えない。

それほどの快感が自分の中に眠っていたことが沙織には大きな驚きだった。

夫とはまったくのセックスレスというわけではないが、今や「盆暮れセックス」だ。

しかも夫が酔ってその気になったときだけ。

沙織のほうも、寒いにつけ暑いにつけ、さっさと終わらせてよねという気持ちしかない。

とりあえず「夫婦であること」を確認する年に数回の儀式のようなものだと割り切っていた。

だから、巷で言われているようにセックスが気持ちのいいものだという認識は、沙織にはなかった。

同じ行為なのにどうして、これほどまでに違うのだろう。

自分が壊れて飛んでいく、恐怖と紙一重のあまりにぎりぎりのせつない快感……。

ずっとこれがほしくなったらどうしたらいいのだろう。

沙織の頭の中でいろいろな考えがぐるぐる巡る。

今は別れられない。

別れたくない。

この人を失いたくない。

それだけだ。

沙織は力を込めて裕一にしがみついた。

 

ホテルを出ると、ふたりはすぐに右と左に別れた。

最後に目と目で「またね」と確認する。

関係を長く続けていくためにはルールが必要なのだ。

体に残った気怠い余韻を男に預けながら一緒に歩きたいのは山々だが、それは危険な行為だった。

誰かに見られたら、もう会うことはかなわない。

体の中を風が抜けていくような思いを味わいながら、沙織は駅へと急ぐ。

駅に隣接するデパートの地下を覗き、子どもたちが好きな大きな豚肉を切ってもらう。

とんかつにするかソテーにするか……。

考えていると、ぬらりと足の間が濡れる。

体は今も、抱き合っていた男を求め続け、気持ちは家庭に向いているのだ。

身も心も引き裂かれるような気分になりながら、沙織はなんとか気を取り直して財布を開いた。

 

 

葛藤の日々

その晩だった。子どもたちがそれぞれの部屋に引き上げたころ、夫が帰宅した。

キッチンをのぞき込んでつぶやく。

 

「この時間に豚肉ソテーはきついなあ」

 

「そう言うと思った。あっさりと焼き魚に大根おろしはどう?」

 

おや、という目で夫が見つめる。

なぜかいつもより夫に優しくなっている自分を沙織自身も感じていた。

 

「私だって、この時間に肉がきついくらいわかってるわよ」

 

夫ににっこりを笑って見せた。

 

「さすがに長く連れ添った妻ってのはいいものだな」

 

妙にしみじみとした口調なのが気になって振り返ると、夫は手酌でビールを飲みながら、「あのさ」と話し始めた。

 

「オレの同期で高田っていうヤツがいるんだけど離婚したんだよ。

それが奥さんの不倫が原因だって今日わかったんだ。

彼はここ1ヶ月くらい病欠しててね」

 

沙織は思わず皿を取り落としそうになる。

 

「離婚によるうつ状態らしい。

しかも奥さん、高校生と中学生の子どもたちを置いて男と駆け落ちしたんだって。

気の毒だよなあ。

高田はいいヤツなんだよ、気が優しくて」

 

「彼に落ち度はなかったのかしら」

 

「うーん、そりゃ夫婦だからいろいろあるだろうけど、でも子どもふたり置いて駆け落ちするか?

相手は一回りも年下の男らしいよ」

 

彼とのセックスがよかったのよ、きっと。

すべてを失っても彼との愛に人生を賭けたくなったのよ。

沙織は心の中できっぱりと言った。

 

「世の中、不倫が流行ってるのかもしれないけど、あんなにあからさまになったのは会社でもめったにないことだから、今日なんかその話でもちきりだよ。

高田の奥さんって、もとはうちで働いていたらしくてさ、『あの人、そんなタイプじゃなかったのに』っていう話まで出てきちゃって。

高田が気の毒でたまらないよ」

 

そんなに美人でも妖艶でもなかった、ごくごく普通の地味な奥さん。

そういう人こそが一度、あの快感を知ってしまったら抜け出せないのかもしれない。そう、私のように。

 

「おいおい、お湯が沸騰してるよ」

 

夫に声をかけられて、沙織は我に返る。

あわててヤカンをつかんであちっと声を上げた。

 

「お子さんたち、どうしてるの?」

 

「高田のお母さんがめんどう見ているみたい。

お母さんだって、もう80歳くらいになるんじゃないかなあ。

彼女にしてみれば、息子は心身共にぼろぼろだし、孫子たちも傷ついているだろうし、ひとりでがんばってるとしたら大変だよなあ」

 

夫は声に若干の怒りをにじませている。

家族を振り捨ててでて行った妻に、同期の友人として悔しいのかもしれない。

 

「夫婦って何があるかわからないわね」

 

「何があっても一緒にがんばっていくのが夫婦だろ」

 

沙織はふっと夫の顔を見た。

この人はそういうつもりで生活してきたのか……。

もちろん私もそう思ってきたけれど、夫にそんな覚悟があったとは思えなかった。

言葉と行動が一致しないのが夫の常なのだ。

 

「その高田さんっていう人の奥さん、夫に女として大事にされていたのかしら」ふとつぶやいてしまった。

 

「え、なに?」

 

夫に聞こえなかったのが幸いだった。

 

「ううん、大変だなと思って」

 

沙織は夫の前に焼きたての魚と大根おろしを置いた。

漬け物とサラダと焼き魚。

夫も年をとったのかなと魚をおいしそうに食べる夫を横目で見ながら、沙織はグリルを洗い始めた。

 

翌朝、家族を送り出して掃除や洗濯をしながら、沙織は夫の話を頭の中に蘇らせていた。

高田さんの奥さんは、どうして一回りも下の男と駆け落ちしたのか。

その決意は相当なものだろう。

そうせざるを得なかった何かが夫婦の間にあったに違いない。

他人事とは思えなくて、沙織の心は昨日からざわついたままだ。

子どもたちを置いてでていった妻の気持ちが、わかるようでわからない。

わからないようでわかる。

だから体の節々が痛い。

今日はパートが休みでよかった。

こんな気持ちで裕一の顔を見たら、突然泣き出してしまいそうだから。

そのとき、携帯にメッセージが流れてきた。

 

<沙織さん、昨日はありがとう>

 

携帯でのやりとりも、万が一、誰かに見られたとき言い訳がつかないような文言はやめようと沙織と裕一は約束した。

ロックは二重にかけることや、夜や週末にメッセージのやりとりもなるべくしないようにするということも話し合った。

すべては「長く一緒にいるため」だ。多少の不自由はやむを得ない。

 

「ただし」と裕一はそのとき笑って言った。

「我慢ができなくなったら、メッセージやりとりしようね。

あなたとの間で我慢と無理はしたくない」

 

顔を合わせて話すことが少ない分、沙織の仕事が休みの日は、裕一は折りに触れてメッセージをくれる。

 

「沙織さんが寂しいだろうと思ってするんじゃないんだ、僕が沙織さんと一緒にいなくて寂しいんだ」

 

裕一はさらりとそう言った。

家庭をもつ沙織に負担をかけまいと彼は常に、心の底からそういうフォローをしてくれる。

それが沙織には何よりうれしかった。

 

「私は高田さんという人の奥さんのようにはならない」

 

裕一のメッセージが浮かんだ携帯を抱きしめながら、沙織は自分に言い聞かせた。

(つづく)

イラスト:アイバカヨ

 


 



 

実話ベースの不倫小説  恋のあとさき 1 ~沙織の場合【1】〜

 

実話ベースの不倫小説 恋のあとさき 3 ~沙織の場合【3】〜

 

編集・構成 MOC(モック)編集部
人生100年時代を生きる、
大人のためのマガジンMOC(モック)
Moment Of Choice-MOC.STYLE

 

PROFILE
亀山 早苗

亀山 早苗

1960年東京生まれ。明治大学文学部卒業。フリーライターとして、女性の生き方を中心に恋愛、結婚、性の問題に取り組む。『不倫の恋で苦しむ男たち』『夫の不倫で苦しむ妻たち』『不倫の恋の決断』『妻と恋人』『渇望』『オンナを降りない女たち、オトコを降りるオトコたち』など、不倫や婚外恋愛に関する著書多数。『渇いた夜』、『愛より甘く、せつなく』などの小説作品やノンフィクション作品も手がける。

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