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恋のあとさき 1 ~沙織の場合【1】〜

 

 

恋のあとさき ~沙織の場合【1】〜

人はどうして不倫という名の恋に落ちるのか、そしてその恋はどういう展開をたどるのか。女性たちの気持ちは、そして男性たちの心は……。実話をベースにした不倫小説をお送りします。

 

 

恋に落ちて

 

ひとりで食べ終わった食卓で、沙織はふうっとため息をついた。3人分のお茶碗や箸が手つかずで置いてある。もう9時を回っているのに、まだ誰も帰ってきていない。ここ1年ばかり、平日の夜はいつもこうだ。大学生になった浩平は、学業とアルバイトで忙しい。高校3年生の春香は半年後に迫った受験のため、週に3回は塾に通っている。誰もが自分の人生を歩み始めている。親としては祝福するべきだろう。

ピンと音がしてスマホにメッセージが入ってくる。

 

<おかあさん、誕生日おめでとう。バイト終わった。もうじき帰るよ>

 

浩平からだ。続いてまたピンと音がする。

 

<おかあさん、誕生日おめでとう。あと30分で帰るね>

 

こちらは春香から。ふたりとも母親の誕生日は覚えてくれているらしい。再度、報せがきた。

 

<お誕生日おめでとうございます。いつまでも美しい沙織さんでいてください Y>

 

ドキッとする。と同時に、このメッセージをいちばん待っていたと実感した。思わずメッセージを撫でた。Y、つまり裕一が「沙織さん」とつぶやくときの表情、沙織を見つめるときの目の潤みなどを思い出すと、今すぐ会いたい気持ちにかられていく。

 

「ただいまあ」

沙織の想いを打ち砕くかのように家中に声が響く。春香の声はよく通る。沙織の表情がすぐに“母親”に戻った。

「おかえり」

「もう、イヤになっちゃう。今日は塾でさ」

春香は手を洗い、うがいをしながらもおしゃべりが止まらない。沙織は自分の18歳のころを思い出す。しゃべって笑って毎日が過ぎていったっけ。

おかずを温め直して春香の前に置くと、彼女は大きな口を開けて食べ始めた。

「おいしい、やっぱりおかあさんのハンバーグは最高」

あ、そうだ、と春香は食事の途中でどたばたと自分の部屋に走り込んだ。お行儀悪いわね、と言いかけたとき戻ってきた春香の手には、沙織の大好きなクッキーの袋があった。

「塾にいく前に走って買いに行ったんだよ。お誕生日おめでとう」

春香は言いながらすぐに座って、また食べ始めている。めまぐるしく動く春香に、沙織は自分が失っている若さを見て、ほほえましくなった。そこにはほんの少しだけ嫉妬に近い気持ちもあるが、それは見ないよう蓋をする。

 

 

若くはない……だからこそ

 

「ダメ、もう若くないんだから」

沙織がそう言ったとき、裕一はじっと彼女の目を見つめた。

「オレだって若くない」

裕一の目の奥が光っていた。自分に欲望を抱いている男の目を久しぶりに見て、沙織は息を呑んだ。「ほしいと思われている」のは衝撃だった。その衝撃が強すぎて、それ以上、言葉を発することができない。そのままタクシーに乗せられ、気づいたらホテルの部屋だった。タクシーの中で何を考えたのか記憶にない。

そこがラブホテルだとわかり、沙織は部屋を出ようとした。だが裕一に後ろから抱きしめられ、その手がワンピースの胸元に入ってきたとき、全身から力が抜けて動けない。裕一が前に回って顔を近づけてきた。唇が触れ、震えが走った。

 

たった1週間前のできごとだ。あれから7日の間、沙織はいつものように暮らしてきた。朝起きて、娘と夫に弁当を作り、家族を送り出して家事をして。週に4日は家から15分ほどの商業施設へパートに出ている。パート先には裕一がいる。

裕一とホテルに行ったのは、職場の懇親会のあとだった。以前から3歳年下の裕一が気になってはいた。だがそれは単なる「人としての好意」だと思っていたのだ、自分でも。なぜなら自分は結婚しているから、そして裕一も結婚しているから。恋など起こりようがないと決め込んでいた。だからこそ懇親会のあとで、酔い覚ましに裕一とぶらぶら歩きながらふと会話が途切れたときも、特に緊張感はなかった。それなのに、思わぬ展開が待っていた。

これを恋愛感情と考えていいのかどうか、7日の間、沙織は考えていた。誕生日のひとりの食卓でため息をついたのは、「これは不倫だ」と“発見”したからだ。漠然と「結婚しているから恋などあるはずがない」という気持ちを抱いていたが、裕一への想いは止めようがないと感じ、さらにそれが「不倫」と呼ばれる関係であることに改めて気づき、ショックを受けていた。

「もうやめよう。あんな素敵な時間を過ごせただけでいい。今日で50歳だもの。誕生日のプレゼントだったと思えばいい」

そう思った瞬間、裕一からの誕生日メッセージを思い返す。心の奥と、体の奥が燃えてくる。

「おかあさん、なにぼんやりしてるの」

浩平の声で我に返る。いつの間にか、息子も帰宅していたのだった。小さな花束が手渡され、思わず涙ぐんだ。

「私は、いい子たちに恵まれて幸せだわ」

「おかあさん、しみじみしてる」

息子と娘が笑っている。幸せか、そうだ、これが幸せなのだと自分に言い聞かせる。そして、言い聞かせている時点で、自分が裕一との関係を終わらせたくないと思っていることに気づいている。

 

 

2度目へのハードル

 

翌朝起きると、テーブルの上にコンビニのケーキが置かれていた。夫が深夜、あわてて買ってきたものらしい。誕生日を忘れていなかったのか、あるいは忘れていて再度出かけて買ってきたのかはわからない。

「おはよう。昨日はごめん。接待で……」

弁当を作っていると、夫が背後から話しかけてきた。

「おはよう」

「週末、みんなで焼肉でも行くか」

夫はいつもそうやって、なんとかリカバリーをしようとする。何もフォローしないよりはマシなのだろうが、沙織はそういうやり方に少しうんざりしていた。

「みんなの時間が合えばね」

軽く受け流して弁当に集中した。夫は、とりあえずは妻の機嫌を損ねずにすんだと思ったのか、「今日もがんばるぞー」と声を上げた。

 

昼間のシャンパンは酔いが回る。酒に酔っているのか目の前の裕一に酔っているのか、沙織は判断できない。

裕一が予約してくれたフレンチレストランで、沙織は凝ったランチを堪能していた。

「おめでとう」

裕一は何度も言う。やめてよ、大台に乗っちゃったのよと沙織は軽く彼を睨む。自分の目に媚びが浮かんでいるのは承知の上だ。これが女のずるさだと実感する。そして媚びている自分を楽しむのが「恋」なのだということもわかっていた。

沙織はパートが休みで、裕一は午後から半休をとっている。彼はしょっちゅう休日出勤をしているので有休が余っているのだそうだ。

ランチに2時間もかけ、その間中、沙織は笑っていた。裕一が相手だと、どうしてこれほどリラックスしていられるのだろう。接点がなさそうなふたりなのに、実は大学が同じ、しかも学部まで一緒だったとわかり、親近感が増した。3歳差だからかろうじて1年は同じキャンパスにいたわけだ。

店を出ると、裕一は繁華街の奥へと沙織を誘う。人気の少なくなった路上で、裕一は沙織の肩を抱いた。

「危険よ、そんなことしちゃ」

振り払おうとしたが裕一の力は強かった。

「もっともっと、沙織さんのことが知りたいんだ」

ラブホテルの看板が見えてくる。

「だめ、1度きりにしておかなくては」

そう言いながら、沙織は自分が彼を欲していることに気づく。

「どうして? よくなかった?」

男の声に不安が混じる。

「そんなことない! とってもよかった。だからこそ、いけないと思うの」

「よかったのなら、もう一度、よくなろうよ」

「でも……」

拒絶すればするほど、肩に回された裕一の手に力がこもる。この人は欲情している。そして私も……。沙織は裕一の腰に手を回した。この人を失いたくない。本気でそう思った瞬間だった。

(つづく)

 

イラスト:アイバカヨ

 

 

 

 

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編集・構成 MOC(モック)編集部
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PROFILE
亀山 早苗

亀山 早苗

1960年東京生まれ。明治大学文学部卒業。フリーライターとして、女性の生き方を中心に恋愛、結婚、性の問題に取り組む。『不倫の恋で苦しむ男たち』『夫の不倫で苦しむ妻たち』『不倫の恋の決断』『妻と恋人』『渇望』『オンナを降りない女たち、オトコを降りるオトコたち』など、不倫や婚外恋愛に関する著書多数。『渇いた夜』、『愛より甘く、せつなく』などの小説作品やノンフィクション作品も手がける。

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