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自立と孤立、依存と共存 中村うさぎ連載コラム 〜第18回〜

 

 

〜連載第18回〜

自立を目指して生きてきたら、いつの間にか孤立していた。

依存症に苦しんでたら、共存という新たな道が見えてきた。

これは、そんな私の半生の話です。

 

 

中学だったか高校だったか忘れたが、「塞翁が馬」という故事を習った。

禍福はあざなえる縄のごとし。

幸運だと思った出来事がじつは不運を招いたり、あるいはその逆にもなり得る。

幸運と不運はいとも簡単に翻る紙一重の存在なのだ、という話であった。

 

べつに感銘を受けたわけでもないのに、この話はその後の私の人生に大きな影響を与えた。

確かに私たちの人生は幸運や不運に翻弄されるが、それはあくまで紙一重のものであるから、当人の視点や努力次第で不運を覆して幸運とすることもできる、と解釈したのだ。

我ながら、非常にポジティヴな思考である(笑)。脳天気といってもいいかもしれない。

 

だが、この脳天気さが、その後の私の原動力となったのは間違いない。

たとえば人生において何か重大な選択の岐路に立たされた時、得るものと失うもののバランスを人は考え、より失うものの少ない道を選ぶだろう。

だが「うまくいかなくても、いくらでも挽回の道はあるわよ」と気楽に考える私は、失うものの数より得るものの重要さを優先する。

デリヘルをやった時も、それによって失う世間の信用や読者数、イメージの失墜、家族に及ぶ迷惑などを考えると、あまりにもリスキーであった。

現に、それらの現象は実際に起きた。

が、それより何より、私は自分の心の声を重視した。

性的労働の体験から自分は何を感じ取り何を得るのか……そのことのほうが、他人の思惑やら評判やらよりよほど大事だと思ったのだ。

 

結果、あのデリヘル体験を私は微塵も後悔していない。

むしろ「何故セックスワーカーは蔑視されるのか?」という今まで考えたこともなかった疑問を持つに至ったし、何より自分の中にある根深い男性嫌悪と向き合えたことは大きな収穫だった。

その体験は明らかに私を変えた。

デリヘルなくして今の私はないと断言できるほどだ。

したがって、失ったものは多々あったものの、私にとっては成功体験となった。

 

普通、昼職の女性が風俗嬢になると、それは「転落」とみなされ、一般的には不幸なことと考えられる。

だが、それは本当に「不幸」なのか?

セックスワークという仕事を不幸と捉えるかどうかは本人次第ではないのか?

そもそも何が幸福で何が不幸かなど、自分で決めることではないか。

禍福があざなえる縄であるのと同様、いやそれ以上に、幸不幸はきわめて隣接した存在である。

稼ぎのいい夫を持ち高級住宅街に居を構えてかわいい子どもたちに囲まれて生きていても、そこに幸せを感じられない人は大勢いる。

結婚もせず、さりとて華やかなキャリアウーマンとして活躍するでもなく、地味に慎ましく暮らしている人が同人誌作りに自分のすべてを打ち込んで楽しそうに生きている姿も見てきた。

何が幸せかなんて、本人にしかわからない。

 

だから私は、自分を幸福にするのは自分自身だと考えてきた。

その考えは今でも基本的に変わらないが、今回の病気を体験して、「幸運に転じようのない不運もある」ことを実感した。

自力で歩くこともかなわず、生きたい場所にも自由に行けないこんな身体を抱えることになって、「この病気も考えようによっては幸運だわ」なんて脳天気なことは、さすがの私も言えない。

もし人生が万事「塞翁が馬」であるのなら、私の病気と身体的不自由は、どのような「福」に転じられるというのだ?

 

そういえば先日、夫の親戚の結婚式に出席するために香港に行ったが、車椅子に乗った私に対する空港の処遇は、驚くほど手厚いものであった。

入国や出国手続きの長蛇の列に並ぶ必要もなく、障碍者は優先的に別のルートに案内されて、さっさと通過させてもらえる。

「障碍者特権、すげぇ!」と不謹慎な感心をしたものだが、だからといって「障碍者になってよかったわ」とは当然ながら思わなかった。

どんなに親切に扱われ、優先権を与えられようと、私は自分の足で歩ける人たちが羨ましい。

 

ひとりで外出できなくなってめっきり夜遊びが減ったものの、「これで仕事に集中できるわ」と思えるほどの効率アップはなく、むしろ引きこもっているせいで鬱々と無為に過ごす時間が増えてしまった。

遊びまわっていた頃のほうが、精力的に仕事ができたのだ。

やはり、このたびの不運を幸運に転じるような離れ業は不可能である。

挽回しようのない不運もあるのだ。

 

「禍福はあざなえる縄」……ええ、そうよ。そのとおりだけど、この世には「あざなえない縄」もあるんじゃない?

そして、もしかするとそれを知ることが、人生の大きな節目となるのではないか。

 

うん、まさに節目だった。

この病気を境に、私の人生は一変した。

だが、病気にならなかったら、どうなっていた?

私は以前と変わらぬ脳天気で精力的な日々を送っていただろうか?

そんなことはない。

何故なら、今の私を苦しめ弱らせているのは、病気だけではないからだ。

病気とほぼ同時期に、「老い」の問題が次々と勃発した。

病気で身体が弱ったのは確かだが、老いによる衰えも否定できない。

足腰は弱くなり、目はかすみ(白内障と診断された)、ちょっと外出しただけでへとへとに疲れる。

そうだ。たとえ病気にならなくても、私は老いによって確実に衰弱していっただろう。

そして「老い」は、個々人の運の強さなどに左右されず、誰にでも平等に訪れる。

 

どんな不幸も不運も挽回できる、人生に取り返しのつかないことなどない、と信じていた私は若くて傲慢であった。

老いは取り返しがつかない。挽回もできない。

それは「死」への準備だからだ。

「死」が取り返しも挽回もきかないように、「老い」もまた避けがたく逆戻りのきかない一方通行の道なのだ。

 

どうせ、老いて弱って何もできなくなる。

私の場合は、それが病気と重なっただけだ。

すべて病気のせいにして、我が身の不運を嘆いているが、それはどのみち私が辿らなくてはならない道だったのだ。

まぁ、本来ならもっと緩慢にくるべきものが、病気によって少し加速しただけのことだ。

 

「死」にはまだ運の要素が絡むけど、「老い」に幸運も不運もない。

みんな等しく弱っていく。

その平等さときたら、冷酷にすら感じられるくらいだ。

しかし、老いが平等であるからこそ、私たちはそれを受け容れる覚悟ができる。

何故自分だけが、などと思う必要がないからだ。

 

もしかすると私は、この「老い」と向き合うことに、これからの人生を費やすのかもしれない。

あの時、心肺停止で死ななかった理由は、そこにあるのかもしれないのだった。

(つづく)

 

イラスト:トシダナルホ

 

 

 

 

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編集・構成 MOC(モック)編集部
人生100年時代を生きる、
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PROFILE

中村 うさぎ

1958年生まれ。エッセイスト。福岡県出身。
同志社大学文学部英文学科卒業。
1991年ライトノベルでデビュー。
以降エッセイストとして、買い物依存症やホストクラブ通い、整形美容、デリヘル勤務などの体験を書く。

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